日本のレーダー技術=連合国の技術より劣ると思われがちだが、一概にはそうとも言い切れない。
実は欧米各国のレーダーが高性能化したのは、ある日本人技術者の画期的な発明を用いた為である。
それが八木・宇多アンテナ通称八木アンテナである。
このアンテナの特徴は以下の通り。
- 指向性が強く、13号対空電探のようにスタック(積上げ)するだけで更に強くなる
- 構造が単純なので、小型・軽量化・量産が非常に簡単で故障知らず
- ビームアンテナの一種で受信に電源が要らない。送信出力調整も簡単
………という具合で、レーダー用アンテナに必要な要素が全て揃っていたのだ。
発明されたのは1925年で、論文が世界中に出回るやいなや、各国軍部はこぞって八木アンテナを用いたレーダーの開発に取り掛かった。
しかし日本では、八木アンテナは全く注目されず、完全に無視されていた。
それでも、陸軍ではレーダーの有効性に着目して1930年頃から研究・開発が行われるようになり、1939年に初の国産レーダー「超短波警戒機甲」が完成し、中国大陸や日本本土に大量に配備される。
1941年には改良型の「超短波警戒機乙」*5の実用に成功し、順次「甲」と転換されていった。
これに対し、海軍では自ら電波を発するレーダーを「闇夜の提灯」と称して軽視し、無線機などの電波を探知する逆探知装置の開発を重視していた。
この判断が間違いだと気付いた時には手遅れに近い状態で、慌てて技術開発を行うも、連合国製はおろか、陸軍製のレーダーと比べても性能が低いものしか開発できなかった。*6
皮肉な事に日本が八木アンテナの存在を知ったのは、1942年にイギリスの植民地であったシンガポールを占領した時であった。
イギリスのレーダー関係の書類を押収した技術将校は、書類の中に頻出する「YAGI」という単語の意味を理解できず、悩んだ末に捕虜にしたイギリス兵に「YAGI」の事を尋ねた。
その質問にイギリス兵は呆れながら「あなたは、本当にその言葉を知らないのか?YAGIとは、そのアンテナを発明した日本人の名前だ」と答え、技術将校を仰天させたという。
その後、地上設置型と艦載レーダーの主流はパラボラアンテナに移行するが、八木アンテナを用いたレーダーは航空機に搭載できるまで小型化され、連合国の夜間戦闘機は夜空を支配した。
現在、八木アンテナはTV・ラジオ用受信アンテナとして世界中の家庭で活躍している。
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