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長波

Last-modified: 2015-07-04 (土) 12:22:05
No.135
夕雲型駆逐艦4番艦、長波サマだよ!さーいくぜ、オーッ!長波(ながなみ)夕雲型 4番艦 駆逐艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久16火力10 / 30
装甲6 / 19雷装24 / 69
回避47 / 80対空9 / 39
搭載0対潜27 / 52
速力高速索敵6 / 19
射程13 / --
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
25mm連装機銃
装備不可
装備不可
改造チャート
長波長波改(Lv30)
図鑑説明
マル4計画で建造されて戦時就航した夕雲型四番艦、長波だ。
栄光の第二水雷戦隊で縦横無尽の活躍したぞ。
ガダルカナル島では、田中頼三少将の名指揮で、
敵の待ち伏せを完膚なきまでに蹴散らしてやったぜ。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:竹達彩奈、イラストレーター:藤川 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2013年10月16日メンテナンスで巻雲と同時に実装された艦娘。
  • 武勲艦として名を立てた艦のためか、運の値が高めである。
  • 以前は3-2,4-4,5-1,5-3各ボスからのドロップしか判明されておらず入手は困難だったが、2014年2月26日のアップデートで追加された5-4でもドロップ可能に。
    道中・ボス戦の両方で出ること、さらに5-4自体周回が比較的容易なマップであるため入手難易度は大幅に下がったと言える。
    • 2013年11月のイベント「決戦!鉄底海峡」、同年クリスマスからのイベント「迎撃!霧の艦隊」でも出現した。
  • 夕雲型の4番艦であり、同型艦は艦これ実装分ではネームシップの夕雲を始め2番艦の巻雲、17番艦の早霜と19番艦(最終艦)の清霜が存在している。2015年冬イベントでは16番艦の朝霜も加わった。
  • 改造可能Lvが高いが、貴重なホロ装備三式水中探信儀を持ってきてくれる。
    • もっとも最近の駆逐艦の改造Lvが軒並み同程度の30や35が多くなっている現状だが。

小ネタ Edit

  • 本人がいうマル4計画での仮称は第119号艦。ただし回転灯はついてない。なお第110号は元世界最大の空母(の妹)である。
  • 大阪・藤永田造船所で1942年(昭和17年)3月5日進水、同年6月30日竣工。横須賀鎮守府籍となる。
    夕雲型の巻波(艦これ未実装)・高波により第三一駆逐隊を編成し、第二艦隊第二水雷戦隊(二水戦)に所属した。
  • 長波といえばルンガ沖夜戦が有名。田中頼三司令官座乗の第二水雷戦隊旗艦として、戦隊合わせて米重巡1隻撃沈3隻大破、戦隊の損失は高波のみという圧勝を得た*1
    • 台詞で「長波に続け」と言っているが、夜戦当時は隊列の中央にいた。米海軍から攻撃を受け高波が被弾する中、部隊の態勢を立て直しヒットアンドアウェイのような形で魚雷を放った後退避したのだが、これらの行動が上層部や僚艦から後で白い目で見られる事に。
      • 原因の一つとして、田中少将は高波の救援を黒潮らに命じて戦闘海域に再突入させ、自身は後退してしまったことがある。*2
        魚雷を撃ち尽くして丸腰同然だった黒潮らは敵巡洋艦から追い回され、救助を打ち切る羽目に。そのため現場からの非難も凄かった。*3
      • ただし、本来乗員の救助は旗艦でなく僚艦が行うのが通例であり、だからこそ旗艦自ら救助を行った木村少将の行動が映えたという一面もあることを付け加えておく。
      • また、「長波は予備魚雷を持っていながら丸腰の僚艦に救助を向かわせたという」と非難する表現もあるが、厳密には長波が予備魚雷を積んでいたかは不明。
        というも高波の江田航海長の証言によると警戒艦である高波も予備魚雷を下ろしており、また第三十一駆逐隊が輸送作戦前に予備魚雷を陸揚げしたという記録もある(ただし二水戦旗艦という役割を兼ねていた長波が第三十一駆逐隊として魚雷を下ろしていたとも断定できない)。
    • そもそもの作戦は輸送任務であって戦闘ではなかった。戦闘には勝利したものの、肝心な輸送任務には失敗している。
      • とはいえ米艦隊に発見され攻撃を受ける寸前であり、機関停止している場合ではなかった。
        しかも米軍側は日本軍の輸送作戦を予測して重巡4隻含む10隻以上の艦隊で待ち構えていたという事情があり、この局面ではやむを得ないことだったが、
        根本の問題は作戦指揮官である田中司令官が海軍の作戦方針である鼠輸送に猛反対していた点にある。
    • 台詞で「ドラム缶」を連呼してるが、これは浮くように中に食料とかを半分つめたドラム缶(輸送用)。これを予備魚雷を下ろしてまで艦上に240個位(数十トン)積んで、ガダルカナルの沖合いにロープで数珠繋ぎにして投げ入れて陸上から引き揚げる計画だった。
      しかし数珠繋ぎにしすぎて重くなり、飢餓状態の陸軍さんにそんなものを引き揚げる力はなく、4回やって2回投入に成功しているが結局翌朝アメさんに機銃掃射で大半が沈められてしまって失敗した。ついでにいうと長波はルンガ沖夜戦ではそのドラム缶を積んでなかった(旗艦だったので)*4
    • 当時の日本側は酷評し、一方アメリカ側はベタ褒めと、田中少将と長波の行動に対する評価は日米で180度異なる。*5
      このまるで異なる2つの評価が、彼女の表裏で異なる独特の髪の色という形で現れている…のかもしれない。*6
  • ルンガ沖夜戦に先立つヘンダーソン基地砲撃でも活躍していて、金剛榛名ファイヤー!してる最中に、群がってきた魚雷艇を蹴散らしてたりする。
  • ルンガ沖夜戦後はキスカ島撤退作戦に参加した。濃霧のために初霜と衝突したものの損傷は軽微で作戦に支障なく、奇跡の作戦成功に貢献した。
  • ラバウルにて爆撃を受け艦尾損傷、航行不能になる。水無月(未実装)によってトラックまで曳航され、トラックからは同じく爆撃にて魚雷頭部が誘爆し、多数の死傷者を出していた長良によって日本まで曳航された。
    • この2週間後、僚艦であった巻波・大波(共に未実装)がセント・ジョージ岬沖海戦で沈没し、第三一駆逐隊は新たに3隻が編入する2ヶ月半の間、長波ひとりぼっちになってしまった。
  • 長波が損傷修理中の間に、岸波・沖波(共に未実装)、そして朝霜が第三一駆逐隊に編入された。
  • 捷一号作戦(レイテ沖海戦)では、愛宕を撃沈した米潜水艦ダーター(Darter:SS-227)が座礁しているのを発見し、砲撃後に艦内に乗り込み、機銃や写真などの鹵獲品を得ている。この時鹵獲した13mm機銃を装備している。
  • レイテへの輸送作戦「多号作戦」で島風率いる輸送隊に合同したが、1944年11月11日、敵機347機の熾烈な空襲をわずか5隻の駆逐艦で迎撃し、島風らとともに枕を並べて沈んだ。
    午後12時45分沈没。地点北緯10度50分、東経124度31分。戦死者247名。船団は駆逐艦朝霜ただ1隻を残し壊滅した。
    • 長波は弾薬0になるまで奮闘している。生存者は放棄漂流していた浜波に一時避難の上、最終的にはレイテ島へ上陸した。
    • 長波喪失の2日後には沖波がマニラ湾空襲で沈没、さらにその2日後には朝霜が清霜*7のいる第二駆逐隊に転出、最後に残った岸波は1か月後に潜水艦に撃沈され、第三一駆逐隊は年明けに解隊された。
  • ちなみに夕雲型の中では最も長命。同型艦の中で長女の夕雲から末女の清霜まで全て面識(就役時期が被っている)があるのはこの長波一隻のみ。
    南太平洋海戦やレイテ沖海戦に参加しているため殆どの姉妹と作戦行動を共にしているはず。その経歴は立派なものだが同時に他の夕雲型の儚さを感じずにはいられない。
  • キスカ島撤退戦、トラックまでの重巡護衛、多号作戦と、二水戦内でも駆逐隊を組めずたらいまわしにされた島風となんと3回も作戦行動を共にした。
    その事が時報での仲良し発言に繋がっていると思われる。良かったね島風。
  • 子日のこともよく話しているが、子日は長波の竣工から僅か5日後に戦没しているため、実は面識がない。
  • よく「何とも不思議な髪色」と形容されるが、髪の内側と外側で色が違う髪型は実在する。
    “かりあげクン”の刈り上げ部分と髪の部分で別々の色に染め、上の髪がかぶされば内/外で別々の色に見える仕組み(地毛が黒なら刈り上げ部分だけピンクに染めれば長波の髪色になる)。
    髪を結ぶと下の色が見え髪型がガラリと変わった様に見えたりする。また、風や頭を動かした時に色の違いにより髪の動きがより強調されるので、バンド系やダンサーなどに好まれたりもする髪型である(有名所では木村カエラがこの髪型にした事がある)。
    • 後に実装された妹の清霜朝霜も、同じように内側と外側で色が違う髪型をしている。
  • 長波の慰霊碑は京都市の霊山護国神社境内にある。同神社には坂本龍馬の墓などがあり、碑を参拝するには拝観料が必要。

この艦娘についてのコメント Edit

ドロップ報告はここではなく建造レシピ及び出撃ドロップにお願いします

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 飛龍は口を開けば多聞丸だが、この娘はそんなこと無いから凄くかわいい。だが居ない -- 2015-07-16 (木) 17:44:43
  • 3-2を初クリアしたらドロップした・・・驚き。 -- 2015-07-16 (木) 21:23:59
  • 最近初ドロしてちょっと育ててるけど田中少将田中少将推してくるなぁと思ったら・・・なるほどPと同姓でしたか・・・。 -- 2015-07-17 (金) 09:14:18
  • 新任務で目を疑いました。まさかこの人が任務で必要になるとは -- 2015-07-17 (金) 23:11:32
  • ドロップしないぞ禿運営 -- 2015-07-17 (金) 23:46:16
  • 5-4のボスで出るって言っても小数点以下の可能性なんでしょ…おかげで任務が始まらねえ -- 2015-07-19 (日) 02:02:02
    • 5-4ならボスマスに限らず他のマスでも出るし結構ドロップすると思うが。ドロップに関しちゃ人によって出る出ないの体感全然違っちゃうからなんだけど、一日2〜3周してれば月一と言わずに出てるなぁ、ウチは -- 2015-07-19 (日) 02:38:02
    • ちゃんとキープしとけばいいんですよ -- 2015-07-20 (月) 20:18:03
    • そうなんだよなあ。もっと確率良い14秋15冬春でも掘れず仕舞だから縁が無いのかも。まあ夏も掘りますけどね (^Q^ -- 2015-07-20 (月) 21:15:48
    • 5-4とか巡回頻度の高い所は多少確率低くてもだぶついてくるよ。 -- 2015-07-23 (木) 15:14:15 New
  • 5-4だけ40周して夕雲は三人きたけど長波は一人も来ないなー。こりゃ割に合わんわ。毎月の3-5で狙う方がいいな -- 2015-07-20 (月) 12:18:42
    • 水上編成多めでランカーやっても月2人見ることは珍しいぐらいだ、3ヶ月ぐらい入り続ければ確実だぞ -- 2015-07-21 (火) 09:06:40
  • 阿武隈改二の3-2一回目撃破任務で、まさかのドロップ。残念、もう君はいるんだよ・・・。 -- 2015-07-21 (火) 11:44:07
    • 長波を連れて行く二回目の任務でドロップしましたが何か…まあ、もう誰がドロップしても新顔は居ないので良いんだけど、流れが長波改MVPから長波ドロップだっからちょっと面白かった -- 2015-07-21 (火) 15:37:37
  • 5-4で落ちるレア駆逐艦のみで第4艦隊まで組めるほど回ってるのに何故きみだけ未だに来てくれないんだ長波… -- 2015-07-22 (水) 12:37:53
    • うちにもいない子です。始めてから2年経過しようというのに・・・駆逐艦最後の一体 -- 2015-07-22 (水) 15:01:21
  • 長波来てくれた・・・ありがとう、これで図鑑が152番まで途切れることなく埋まった!思いのほかかうぁいい! -- 2015-07-23 (木) 00:18:01
  • 夏イベで田中少将繋がりの艦娘が増えるよ!やったね長波ちゃん! -- 2015-07-24 (金) 10:50:02 New
    • むしろ田中少将批判の流れ弾を受けそうなんですが -- 2015-07-24 (金) 16:44:48 New
  • 髪だけでなく瞳も二色なのか? -- 2015-07-25 (土) 20:27:35 New
  • 今日4-4を削ってたらボスにA勝利して長波サマが来て下さった、嬉しいね。 -- 2015-07-25 (土) 21:06:00 New
  • 5-4周回し続けて、さっき4人目の雪風が来た。長波は一体いつ来てくれるんだろう……。 -- 2015-07-26 (日) 20:25:06 New
  • 田中少将。人命救助を部下に任せて敵前逃亡する腰抜け。また1つ知識が増えたわ。 -- 2015-07-26 (日) 21:41:07 New
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 高波の就役は1942年8月31日で、戦没は同年11月30日。つまり僅か三ヶ月で生涯を終えてしまったのである。
*2 ただし、このとき長波は米艦隊から猛烈な砲撃を受けていたと言われる。田中少将としては、長波を囮にして麾下駆逐艦の突撃を助ける意図があったのかもしれない。
*3 他の艦は既に撤退行動中のため、旗艦が離れるわけにはいかなかった事情もあるが、僚艦を撤退させ、旗艦自ら救助にあたった、後の二水戦司令官木村少将とは非常に対照的である。
*4 詳しい戦闘の経緯は雑学及びWikipediaなどを参照してください。
*5 米側では「太平洋戦争において日本の名将を二人あげるとするならば、陸の牛島・海の田中」と評されるほど。ただ、このモリソン評に代表される評価は、戦術指揮面に傾倒しており、作戦遂行面など日本海軍側の事情をほとんど考慮していない。
*6 ちなみに当の田中少将はドラム缶輸送に猛反対していたが、ルンガ沖夜戦後も何度も行うはめになる。
*7 この時点で清霜は駆逐隊の僚艦を全て失っていた。