紫電改二
Last-modified: 2015-07-16 (木) 12:34:01
No.055 |
---|
| 紫電改二 | 艦上戦闘機 |
装備ステータス |
---|
火力 | | 雷装 | |
---|
爆装 | | 対空 | +9 |
---|
対潜 | | 索敵 | |
---|
命中 | | 回避 | |
---|
射程 | | |
---|
装備可能艦種 |
---|
駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 |
軽空母 | 正規空母 | 水上機母艦 | 航空戦艦 |
備考 |
---|
|
本土防空の切り札、局地戦闘機「紫電改」の艦載機型です。 大馬力エンジンと空戦フラップの採用などによる優れた空戦能力で、開発・配備の遅れた烈風の穴を埋めるべく計画されました。 空母信濃が就航した暁には、たとえ烈風や烈風改が揃っていても、あえて搭載して欲しい幻の… そして実在した最後の艦上戦闘機です。 |
ゲームにおいて
- 開発可能な艦戦においては烈風と並ぶレアリティのホロ艦載機。
- 開発できる確率は低いが、性能は対空+9と零式艦戦52型の対空+6を大きく凌駕し、烈風の対空+10に次ぐ優秀な値を誇る。
- 数を揃えれば高難度MAPでも制空戦闘を優位に行えるはずである。烈風が開発できなくて紫電改二ばかりになってしまうという
史実再現システムを実装した提督も多いだろうが、烈風の数が揃うまでの繋ぎと考えれば特に問題はないだろう。
- 余談であるが、史実において烈風が開発できなかったために代用として紫電改が投入されているため、運用としては間違ってはいない。
- 図鑑埋めのためにこれを開発しようとして烈風ばかり開発できる
物欲センサー発動中という提督もいるようだ。
- 烈風は改造で持参する艦娘がいるが、紫電改二はいまだに誰も持ってこない。
- ちなみに烈風との制空値の差は、11〜24スロット装備で4。最大で32スロット以上に装備したときの6。
- つまりほとんどの場合で4の差になる。烈風が揃うまでは併用して上手な運用をしたい。
- 唯一確定で痛い差が対空ボーナスが1.8で、烈風の2.0と比べると切り捨てが発生しやすいこと。
- 余談であるが、震電改同様実装時は制空値が0になる特大のバグがあった。
小ネタ
- 帝國海軍の艦上戦闘機、紫電改二(試製紫電四一型)が元ネタ。試作機が空技廠所属の山本重久大尉*1の操縦で空母信濃(未実装)での発着艦試験に成功している。
- 説明文の実在した最後の艦上戦闘機はこれが由来。烈風や零戦六四型(未実装)は空母に載った実績がない。
- 説明にもある通り、紫電改の艦載機型であるが……どの紫電改?
- 実は紫電改(紫電二一型、及び紫電二一型甲)の派生型はいくつかあり、紫電改二は紫電改一(試製紫電三一型、N1K3-J)の艦載機型である。
- 試製紫電三一型は機首に13mm機銃2丁を増設し電装周りを改善したタイプ。「試製」とあるが少数生産されている。
- 重武装にも関わらず、山本少佐には「零戦より着艦が容易」と言われており基本設計の優秀さが伺える。
- 艦載型は実はもう一種類、紫電改三(試製紫電三二型、N1K4-J)を艦載化した紫電改四(試製紫電四二型、N1K4-A)があるが実機が製作されたかは不明である*2
- また、艦載機ではないが、二一型甲をベースに発動機をハ43に換装した紫電改五(試製紫電二五型、N1K5-J)も終戦までに制作中だった。「紫電改○」シリーズ多過ぎだろ…
- 因みに肝心の紫電改二は殆ど生産されていない。空母に搭載して出撃するような時期では既になかった。
- 他の派生型も二一型の生産に絞ることが決定して量産されなかった。
- 紫電に「改」が付く前の紫電一一型は水上戦闘機「強風」を局地戦闘機として改設計したもの。そのためフロートが無い以外殆ど同じ、と思うであろうが……。
- 実際はエンジンが「火星」から「誉」に変更された。また、胴体に中翼で繋がる主翼とそれに合わせた二段引き込み脚を作り、これがまたトラブルを起こすなど散々の出来栄えだった。
- 例によって誉エンジンはgdgdだわ、自動空戦フラップの調子は悪いわ、翼内機銃の代用でガンポッドをぶら下げていたせいで空力特性も下がるわと、間に合わせ以外の何物でもなかった。
- 即席で作るという目的は達成できたものの、二段引き込み脚のトラブル解消に時間かけるより「新設計したほうがよくね? 誉エンジンが完全に熟するのも時間かかりそうだし」となって紫電二一型(紫電改)が生まれる。
誉エンジンに合わせ胴体が細くなって抵抗が減ったのと、低翼の為に普通の内方引き込み脚が使えるようになったのが大きなメリットだった。
- 自動空戦フラップの動作も修正され高い評価を得ている。
- その一方で、自動空戦フラップによる速度低下を嫌って、動作させずに空戦をしたパイロットも居たというが……。
- 爆装では250kg爆弾2発の搭載が可能であり、戦闘爆撃機(戦爆)としてみても非常に優秀な機体である。
- 設計製作は世界最高峰の飛行艇と名高い二式大艇の開発を手がけた
変態水上機メーカー川西航空機。
戦後は新明和工業となり、海自の哨戒飛行艇PS-1、救難飛行艇US-2の開発・製造元でもある。
- 元型となった水戦「強風」は大量発注後に戦況悪化でキャンセルされたが、既に川西では量産体制を構築しており、大量の部品が不良在庫となる危機になった。
そこで川西は海軍に「強風」のパーツを流用した局地戦闘機計画を提案。三菱の新型機遅延にいい加減うんざりしていた海軍もこれを歓迎し、川西への救済措置も兼ねて開発がスタート。
- 紫電改は局地戦闘機とあるように、本来は迎撃戦闘機であるゆえに航続距離が零戦に比べると短い。
それ以外は、零戦に不足していた防弾装備、大型機としては極めて良好な機動性に加え、高速の一撃離脱も可能な速度を有するなど、本来の烈風のポジションを埋め合わせるほどの素晴らしい戦闘機であった。
- 烈風がいつまでたっても完成しないことに業を煮やした日本海軍は本機の試作機が完成した1944年初頭の段階で烈風を差し置いて、なんと艦載機も含めた次期主力戦闘機に選定した。
- ただし書類を書き換えるのが面倒臭かったらしく、機体分類上は局地戦闘機のままだった。しかし前線ではもっぱら制空戦闘機として運用され、配備を熱望する若手が続出した。
- ところが元々水上機メーカーの川西、完成した紫電や紫電改を送り出そうにも飛行場がなく、伊丹の飛行場(現在の伊丹空港)まで陸路を輸送せざるを得なかった。そのあたりは各務原まで輸送した三菱も一緒だが。さらに大阪地区防空の強化(陸軍任せで当初は何もなかった)もあって、隣接の阪神競馬場やグラウンドを接収して飛行場にしたのだ。本館は管制塔に転用された他、スタンドも残されており、三三二空の戦闘機隊員のスナップ写真が残されている。
- 終戦後、本館だけが残され、飛行場跡地には住宅団地や学校が建設された。本館は武庫川女子大学の付属高校・中学校の教室として使用されたが、建設当時に準じる形で復元されて保存されている。一方、宝塚の川西航空機の土地を結果的にトレードするような形で建設されたのが現在の阪神競馬場である。その隣には新明和工業の本社がある。
- 本機の需要の大きさは前線部隊で『ゼロ戦に乗るなんて死にに行くようなもんだ! 噂の紫電改に乗りたーい!』と嘆かれるほどのものだった。
- 紫電改との比較で「零戦は練習機」との言葉がある。
これはより大型化した紫電改には従来の九六艦戦を中間練習機とするのでなく、零戦を中間練習機にする必要があるという意味であったが、
「紫電改は零戦と比べ物にならない高性能機!」と誤用されてしまった。
- しかし川西航空機の生産力が中島飛行機や三菱重工業などの大手に劣っていたので、とても三四三空や横須賀航空隊以外に回せる余裕が出ず、全部隊への配備は叶わぬ夢であった。
- だが三四三空や横須賀航空隊などの数少ない部隊での本機の活躍と元搭乗員たちの手記により戦後の国民に強く印象を遺し、後年の1960年代の戦記漫画ブームにおける名作『紫電改のタカ』で一気に知名度を拡大。
いつしか遅すぎたゼロ戦の後継機と認知されていった。現在においても団塊の世代の人々は零戦の正統後継機は本機であると信じており、三菱重工業製だと信じてる者もいるらしい……。
あれ?烈風要らなくね? たぶん本当に要らなかったと思う
- 日本軍機の常として、高高度性能は高くなかったそうな。四発の重爆撃機を迎撃する局地戦闘機(≒迎撃機)としては今一つであった。雷電のほうが最適だと判断されたのが、雷電の延命に繋がった。
ただし、実際の運用法である制空戦闘機では、一定以上の高高度性能は不要という考えも存在する上、適正高度での戦闘力は流石の新鋭機といったところだったという。
そもそも、日本の高高度性能の高い単座戦闘機は陸軍の疾風や五式戦闘機ぐらいだし。
疾風はエンジン同じで主翼が小さいので高高度性能は紫電改と同等以下、五式も似たようななもん。相対的に良いのは全開高度が高い飛燕と雷電なのだが・・・
- B-29迎撃戦にはほとんど参加していないが、本機もB-29にはやはり苦戦させられた。雷電に高々度を任せていたあたり、制空戦闘機としては成功したが、本機の元々の開発目的の局地戦闘機としては成功したとは言いがたかった。
なお、海軍によるB-29撃墜の大半は局地戦闘機「雷電」によるもの。
- 戦後日本人の『B-29にはまったく歯がたたずに手が出せなかった』などの日本軍は脆いというイメージとは裏腹に奮戦している。
その数300機以上が日本軍に撃墜されており、これは対日戦に投入されたB-29の1割以上に達する。不時着、被弾による破棄等も含めると700機以上対日戦で喪失している。
護衛戦闘機であるP-51Dが随伴してくるまで、B-29は出撃の度に1割以上の損害を食らうことも珍しくなかった。高高度を飛行するB-29を迎撃するのは非常に困難で危険な任務であったが、日本陸海軍の防空隊は意外にも善戦していたのである。
- 完全に余談ではあるが、雷電のパイロットで有名な赤松貞明という人物がいる。あの坂井三郎をして帝国海軍最高のパイロットと称され、雷電を駆り多数のP-51Dの撃墜を報告している。零戦単機でP-51Dの75機編隊に突撃し、確実に一機を撃墜して無事帰還する離れ業を演じていたりもする。
- ちなみに終戦前に1946年を見込んだ更なる新鋭機の開発が
やけくそのように開始されていたのだが、次期主力戦闘機のベースになったのは烈風ではなく、本機である。
- 対案に根本的な新型として、紫電と同時期に開発が中止された「陣風」の開発再開も検討されていたあたり、川西航空機がいつしか中島飛行機や三菱重工業と並んで海軍の信頼を得ていたかが伺える。
- 余談だが紫電改を開発した菊原静男氏はYS-11の製作にも参加した人物である。
- 川西航空機としてはあくまで本機は局地戦闘機として開発したのであって、目的外とも言える制空戦闘機として運用され、しかも成功したのは嬉しい誤算であった。そのために川西航空機は、
三菱重工業から『二流メーカー如きが俺たちのお鉢を取りやがったぁ!』と見苦しい嫉妬を買ってしまった。 あんたらは自分達の新型機をちゃんと軍に納入してから文句言えよ
- なおその設計思想のためか、「紫電」はF4Fワイルドキャットさんに、「紫電改」はF6Fヘルキャットさんにシルエットがよく似ている。
お陰で味方から誤認され、攻撃される事が多かった。*3
- あまりに味方から誤認されるので、わざわざ見せ合いっこしたという心温まる(?)エピソードも存在する。
- 紫電改と言えば、二代目第343海軍航空隊、通称「剣部隊」が有名である。
これは海軍航空参謀「源田実」によって編成された航空隊でベテランやエース揃いで有名。
- 戦闘機隊は「701戦闘飛行隊」「407戦闘飛行隊」「301戦闘飛行隊」の3つに分かれており、結成当初、701は「鴛淵 孝」、407は「林 喜重」、301は「菅野直」が隊長を務めていた。
また、各々の戦闘機隊員には「杉田庄一」、「武藤金義」、また一時期「坂井三郎」なども所属していたという終戦押し迫る当時としては非常に平均練度の高い航空隊であった。
- アメリカ軍パイロットからもその実力を称賛され、落日の日本海軍航空隊の中において有終の美を飾った。
- 特にその徹底した組織的戦闘は、日米ともに幾度となく語られることとなっている。
- なお、優秀なメンバーを揃えるために他の飛行隊からエース級を引き抜きまくり味方から大いにクレームが出たことは言ってはいけない。
と、言われているが実際は他の飛行隊より過剰にA級ベテランパイロットが所属していたわけではない。各戦闘機隊にせいぜい10名程度であり、部隊の大半は未熟なパイロットばかりであった。
にも関わらずあれほどの活躍をしたのは、連合軍の戦術を研究し日本の弱点(無線機や僚機との連携の不徹底)を解消し、より高性能な機体を装備したことが大きい。
- ただ、主に紫電改を運用した343空は陸上基地部隊なので、紫電改二の艦上機部隊として艦これに登場するのは難しい…かも。
- 343空飛行長*4を務めた志賀淑雄少佐は開戦時の加賀戦闘機隊長であり、空母信濃が沈没しなければ信濃飛行長に就任するはずだった人物でもあるので、艦上機隊として紫電改二(志賀隊)登場の可能性はある…かもしれない。
ちなみに志賀少佐は、海軍航空技術廠のテストパイロットとして紫電の開発段階から関わっており、紫電から紫電改への改良を高く評価する一方で烈風については酷評している。
- 終戦後に連合軍が紫電改を接収しアメリカ式
過剰整備したところ、速度が100km/h近く向上し*5米軍で行われた実戦演習でもあらゆる米軍機を圧倒してしまったという。*6
- 連合軍コードネームは「George」
- 描かれてる機体は"ヤ-1155" 谷田部海軍航空隊所属 実際には紫電一一型甲、つまり紫電改ではなく紫電でした。
- その為、イラストのエンジンカウルも紫電改ではなく一一型の形状になってしまっている。
この装備についてのコメント