Prinz Eugen
Last-modified: 2015-07-01 (水) 03:13:57
No.176 |
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 | Prinz Eugen (プリンツ・オイゲン) | Admiral Hipper級 3番艦 重巡洋艦 |
艦船ステータス(初期値/最大値) |
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耐久 | 50 | 火力 | 38 / 56 |
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装甲 | 38 / 64 | 雷装 | 32 / 64 |
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回避 | 34 / 68 | 対空 | 16 / 44 |
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搭載 | 9 | 対潜 | 0 |
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速力 | 高速 | 索敵 | 15 / 40 |
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射程 | 中 | 運 | 30 / -- |
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最大消費量 |
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燃料 | 50 | 弾薬 | 70 |
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艦載 | 装備 |
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3 | SKC34 20.3cm連装砲 |
3 | Ar196改 |
3 | 未装備 |
装備不可 |
改造チャート |
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Prinz Eugen → Prinz Eugen改(Lv45) |
図鑑説明 |
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わ! びっくりした! 私、ドイツ生まれの重巡、プリンツ・オイゲン。 アドミラル・ヒッパー級3番艦です。 ビスマルク姉さまとライン演習作戦に参加しました。 幸運艦…そう? この海でも戦い抜きます! |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
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| | CV:小澤亜李、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
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セリフ | CV:小澤亜李、イラストレーター:島田フミカネ | 入手/ログイン | Guten Morgen!(グーテンモルゲン 訳:おはよう) 私は、重巡プリンツ・オイゲン。よろしくね! | 母港/詳細閲覧 | Einen schönen Tag.(アイネン・シェーネン・ターク 訳:良い一日を 別れの挨拶) | おあ! びっくりしたあ! …ぁはい! 出ます! | 提督ぅ! ライン演習ですかぁ!? ……あぁなんだ、違うのかぁ……ううん! でも頑張る! 任せて! | 母港/詳細閲覧【Xmas】 | わぁ、クリスマスはやっぱり、シュトーレンやレープクーヘンが楽しみ! 美味しいよねぇ♪ | 母港/詳細閲覧【新年】 | これがニホンの新年、『オショウ・ガ・ツー』なのか…! カドマ・ツーも、独特で素敵かも…! | 母港/詳細閲覧【節分】 | これが日本の文化、『セッツブーン』! この豆を、長門に投げればいいの?…えいっ! わぁっ!? | ケッコンカッコカリ(反転) | Admiralさん、ご用事ってなんですか? わ、こ、これをわたしに? え、え~と、ビスマルク姉様がぁ…あ、あぅ… あ、あの…Danke! 大切にします!! | ケッコン後母港(反転) | ふぁぁ、Admiralさん、疲れたら少し休まないとダメだよぉ。きっと! だからねっ! | 編成 | 重巡プリンツ・オイゲン、出撃します! | 出撃 | ビスマルク姉さま、ご一緒に出撃しましょう! | | 遠征選択時 | viel Glück.(フィール・グリュック 訳:頑張れ、幸運を グッドラックの意。) | アイテム発見 | viel Glück. | 開戦 | よく狙って……Feuer! | 航空戦開始時 | | | 夜戦開始 | プリンツ・オイゲン、追撃戦に移ります! | 攻撃 | Feuer! Feuer! | 砲撃、開始! Feuer! | 主砲……よく狙って……砲撃、開始! | 連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | | 小破 | うわぁっやられた! でも、まだ…! | 私がこんなので沈むわけない……! 反撃よ! | 中破/大破 | こんなの、ビスマルク姉さまに笑われちゃう…! | 勝利MVP | ふぇっ、私がラッキーガールですって? 全然そんなことないよー! 浅瀬とか、苦手だし…… | 旗艦大破 | うう……しっかりしなきゃ、私 | 帰投 | 作戦完了! お疲れさまでしたー。 | 補給 | Danke、感謝ね! | 改装/改修/改造 | DankeDanke! | Danke gut! | viel Glück. | 入渠(小破以下) | はぁ…やられちゃった。すぐ直すから | 入渠(中破以上) | Gute Nacht.(グーテナハト 訳:おやすみ) | 建造完了 | 新艦艇が就役したみたい。楽しみね! | 戦績表示 | 艦隊の情報ね、ん、ちょっと待って…… ほぉ、ほぉほぉ、なるほどねぇ…… | 轟沈(反転) | 私……今度は先に沈むのね…… 酒匂……長門……また……ね | 時報 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | 放置時 | ビスマルク姉さま、大丈夫かなぁ……ちょっと気になる…… 様子、見てこよう、かなぁ……? |
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ゲームにおいて 
- 2014年11月14日のアップデートで新実装。同日から始まった秋イベント:期間限定海域【発動!渾作戦】のE-3クリア報酬。
- 通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の手段が無い。
- なお改造後持参装備がアレなため、秋イベ以降の入手難易度は伊401同様高くなる可能性がある。
- そして15年春E-6甲でそのアレが配られたため、実装が遠のいてしまった模様。
- 重巡洋「艦娘」の追加は鈴谷、熊野以来、1年3ヶ月ぶりである(13冬コラボイベント時限定実装のタカオを除く、ただしタカオ自体の性能は霧の艦艇とあって重巡のそれをはるかに超越していたが……)。
- ちなみにドイツ艦なので建造でZ1、Z3、大型でBismarckが建造できるかは要検証。
- 建造できれば、遠征が未終了でもドイツ艦を全て入手できることになるし、誤解体等でドイツ艦を全ロストしていても復活させることもできる。
- ただし、現時点で建造に成功したとの検証結果はなく、Z1等の代用にはできないと考えた方がよいかもしれない。
- 改造Lvが45と高く、同レベルは磯風と同様になり、重巡の中ではトップ。
- 改にするには5-4がオススメ。ちなみに旗艦S勝利のみ44周で達成可能(MVPを取ればその分周回数は下がる)。
- 初の無改造でのホロ重巡。改造するとSホロになる。
- 運の初期値が30と改造前の重巡洋艦娘の中ではトップの値。改造後を含めても2014年11月現在では青葉改や妙高改二しか並ぶ艦が存在しない。
このため着任してすぐから魚雷カットインが視野に入れられる唯一の重巡とも言える。
- この値は後述するクロスロード作戦に参加した長門と酒匂を意識した値と思われる。轟沈時の台詞にもその二人の名前をつぶやくことから、面識はあるようである。
- 改造後は更に上昇して運40になる。
- 余談だが、この娘の登場により初めて、艦娘図鑑において、1人だけの絵師が手がける図鑑ページが登場した。絵師は島田フミカネ。
- 惜しいのは、吹雪や北上などを含む図鑑2ページ目。10隻のうち9隻がしばふ艦である。
- ちなみに同時に1ページすべて海外艦(日本艦以外)で初めて埋まったページでもある。
- どうにも和んでしまう「Feuer! Feuer!」のイントネーションは必聴。
- ちなみに中破絵で見られるパンツは
weiß…良い色だな…
- 公式4コマ第77話で初登場。
Bismarckが小さくなった、開口部(排熱機構)等、絵師のつぶやきを拾ったと思われるネタが複数有った。
小ネタ 
- アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦。
キールのクルップ・ゲルマニア造船所にて1936年4月23日起工・1938年8月22日進水・1940年8月1日就役。
- 基準排水量14,680tは第二次世界大戦に参加した重巡洋艦の中で最も重い。*1
- 艦名は、17世紀末から18世紀初頭に活躍したオーストリアの軍人オイゲン・フォン・ザヴォイエンに因む。
- 名前の独:プリンツ/Prinzは、英:プリンス/Prince、と同じ。王族・貴族の男子と言う事である。
だが断じて男の娘ではない!!*2
- 彼がプリンツ・オイゲン、つまりオイゲン公子と呼ばれたのはサヴォイア公家の男系子孫だから。*3フランス生まれの陸軍の軍人である。
イタリア系(サヴォイア家)フランス貴族出身のオーストリア軍人という大河ドラマのネタになりそうな人。
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| | 【オイゲン・フォン・ザヴォイエンの略歴】
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【オイゲン・フォン・ザヴォイエンの略歴】
- 名門サヴォイア公家のフランス分家であるソワソン伯爵家に生まれる。
しかし、嫡子ではなかったので家を継げず、軍人として身を立てようとするも国王(ルイ14世)に取り立ててもらえなかった。
そこでオーストリアに渡り仕官。数々の戦功を立て順調に出世、将軍に昇り詰め祖国フランスとの戦争で大活躍。
元は他国人であるにも関わらずドイツ民族の名将として没後も尊敬を集める事となった。
- プリンツ・オイゲンの本家であるオーストリア帝国も第一次大戦時の戦艦に同じ名前を付けている。
そして第二次大戦時のイタリア巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」も同一人物が元ネタ。
家系はイタリア系だしイタリア王家の親戚筋だしイタリア人みたいなもんだろ(byドゥーチェ)…という事か。
都合三カ国で主力艦の名前になった人もこの人ぐらいだろう。(後述する英艦、本艦の米編入も含めると5カ国)
- 彼の正式な名前をそれぞれあげると、
ドイツ名:”オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリニョン(Eugen Franz von Savoyen-Carignan)”
フランス名:”ウジェーヌ=フランソワ・ド・サヴォワ=カリニョン(Prince Eugène-François de Savoie-Carignan)”
イタリア名:”エウジェーニオ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(Principe Eugenio Francesco di Savoia-Carignano)”
どこのイーノックだ
- 対フランス戦争の一つ、スペイン継承戦争ではイギリス軍司令マールバラ公ジョン・チャーチルと共同作戦を展開した。
- ちなみにこのジョン・チャーチルは名前から推測されるとおり、第二次大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルのご先祖様である。
- 上記のエピソードに因んで、イギリスのロード・クライヴ級モニター5番艦にも「プリンス・ユージン」として使用されている。
このクラスは地上砲撃艦としてのモニターの性格から、あえて陸軍軍人の名を艦名に採用している。
- 対オスマントルコ戦争での功績もあって選ばれた名前だが、「フランス絶対倒すマン」だったオイゲンの名前を出されたことについてフランスはどう思ったことやら。
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- 比較的艦名が長いため、艦これでは「プリンツ」「プリンちゃん」「オイゲン」の様に略される事が多い。
- 当時、実艦の乗組員達・ドイツ海軍内では「プリンツ」と呼ばれていたようだ。*4
- 呂500の台詞では「オイゲンさん」と呼ばれている。
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| | 【設計】
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- アドミラル・ヒッパー級の仮想敵はフランス・イギリスの所有する条約型巡洋艦(つまり重巡)。
仏の最新鋭重巡アルジェリーに対抗できる攻撃力、同じく仏海軍のダンケルク級戦艦との直接戦闘を避けられるだけの速力、そして広大な大西洋海域で行動しうる長大な航続力を念頭に置いて設計された。
- 更にレーダー元帥の無茶ぶりで防御区画を強化したことなどもあり、基準排水量約14,000tと重巡にしてはかなり重く仕上がっている。
その上オイゲンは、後期型の一番艦*5としてさらなる設計変更で600tも重くなっており、世界的にもかなり重く大きい部類の重巡として仕上がってしまっている。*6
- 武装は終戦まで生存したため細かな変遷が激しい艦である。
- 主砲は20.3 cm SK C/34連装4基8門、対空、対水上用として10.5 cm SK C/33連装高角砲6基12門。
- 同時代の日米の重巡洋艦と比べると砲数に劣るが60口径(実質は55口径)という長砲身、高初速の20.3cm砲はライン演習作戦などで高い戦闘力を発揮した。(詳しくはSKC34 20.3cm連装砲を参照)
- 魚雷発射管も53㎝3連装4基(後に操作室にシールドがなされたものに交換)とイギリスの1.5倍程。
- 対空兵装は3.7cm、2cmの単装/連装機関砲を装備。逐次増設や新型に置き換えたため時期によって数は異なる。ツェルベルス作戦時に艦橋とB・C砲塔上に2cm 四連装FlaK 38を追加。1944年から1945年にかけて3.7cmを4cm Flak 28(連合国の装備でお馴染みスウェーデンのボフォース 40mm機関砲)に置き換えている。
- 各年次ごとの搭載兵器と数量は以下の通り。*7
1941年:3.7cm連装 6基12門 2cm単装 8基8門
1942年:3.7cm連装 6基12門 2cm単装 8基8門 2cm4連装 7基28門
1944年:3.7cm連装 6基12門 2cm連装 16基32門 2cm4連装 6基24門
1945年:4cm単装 18基18門 2cm連装 2基4門 2cm4連装 6基24門
- 装甲配置は基本的にビスマルク級やシャルンホルスト級と同一の形式である。
- 舷側装甲はA~D砲塔にかけての広い範囲で主甲帯が12.7度内側に傾斜した80mm KC n/A鋼板。その裏に軟質ヴォータン鋼の水平装甲系傾斜部50mmが主甲帯下端に接続している。
- 水平装甲は上部デッキが12mmその下の装甲デッキが20~50mmと部位ごとに異なった厚さとなっている。
- 主砲塔は前盾が150mmその他70mm(天蓋部を80mmとする資料もある)バーベット部は80mm、司令塔は側壁が150mmと中口径弾への防御を重視する一方で水中防御は重視しておらず、水密区画と丈夫な隔壁、高性能な排水ポンプによって耐える仕様であるのは他のドイツ艦と同様であった。*8
- 本艦を始めとしたドイツ艦特有の防御形式の利点は、主甲板と傾斜部が艦の中心を補強する形となり船体の構造強化に繋がり剛性強化にもつながる、甲板傾斜部より内側にある区画に限れば装甲厚以上の高い防御力を付与することができるなどが挙げられる。
- 逆に欠点は防御容積が甲板傾斜部より内側に限られるため比較的小さい、艦の内部に長大な装甲という重量物を傾斜して取り付けるため、それを支える船体構造などの重量が増加し工数も膨大なものとなる点が挙げられる。
- 電子兵装、光学機器、射撃管制は充実した装備を誇る。艦これにおけるドイツ艦装備の命中補正の理由とも言えるだろう。
- 電子兵装はレーダーが後部マストにFuMo25(1944.8~)、艦橋上部にFuMo26、前後部射撃指揮所にFuMo27、前部マストにFuMo81 Berlin-S(1944.8~)を装備し、その他には艦橋にFuMB3/FuMB4逆探装置とFuME2敵味方識別装置を装備している。
- 搭載したことが無いのは戦艦ティルピッツに搭載されたFuMo213 Würzburg-D系統くらいでドイツ海軍の開発した水上艦用レーダーのほぼ全ての系統の派生型を何かしら装備している。*9
- 光学機器は殆どがステレオ式測距儀である。艦橋、前後射撃指揮所、B・C砲塔に7m、前後射撃指揮所付近のドーム上のカバーの中に広角砲用に4mを4基、対空指揮所には3mを2基装備。その他対空火器の補助用に1.25mの測距儀を装備している。*10
- 火器管制はビスマルク級と同じC/38射撃方位盤を巡洋艦用にカスタマイズしたC/38Kを備え、さらに前部射撃指揮所周辺に夜間用の射撃指揮装置を装備している。
- 両舷水中にはGHG水中聴音機が装備されており。ライン演習作戦ではフッドとプリンス・オブ・ウェールズのスクリュー音をPrinz Eugenの聴音機が発見した。*11
- 観測、偵察用航空機はAr196を3機を船体中央の格納庫に搭載している。
- 機関は姉のヒッパーやブリュッヒャーがあまりに機関不調に悩まされたため、信頼性を高めるために蒸気圧を低めたラモント式ボイラーを採用している。
だが、それでも機関不調はあまり改善されておらず、機関整備に長けたフランスのブレスト工廠の世話になるまで万全の状態とは言いがたかったと言われている。
- ボイラー圧力をヒッパーの78気圧から73気圧へ低下させた。この程度では信頼性改善について何の足しにもならず、ザイドリッツではさらに48気圧にまで落とすことになる。
- フランスでの修理においてはボイラー部品の6割をフランス製部品と交換することになった。フランス側の所見では「ボイラーの設計において熱膨張が全く考慮されていない」という。
- 復水器(蒸気を水に戻す装置)に問題を抱えていたとされておりライン演習作戦後もここが故障した。
- 戦後の米英の調査では冷却水の取水口の配置と形状に問題があったとしている。
- 航続距離も、要求性能は20ノットで6,800海里であったが、
ドイツではタービンの製造技術で他国に後れを取っていた為に19ノットで6,500海里と要求性能を下回る結果になり、
ドイッチュラント級*12やシャルンホルスト級に追随できずに通商破壊戦では、不十分な戦果しか挙げられなかった。
- 1929年に就役した北ドイツ・ロイド社の客船「ブレーメン」とその姉妹船、「オイローパ」がブルーリボン賞*13を相次いで受賞しているように、ドイツも機関の製造に関しては他の列強諸国と同じく世界最高水準の技術を持っていた。
- これらの客船は24気圧、13万5千馬力のパーソンズ式飽和蒸気機関を搭載している。「ブレーメン」は5万トンの船体を最大29ノットで、「オイローパ」は最大27.9ノットで走らせることができた。
- しかしドイツ海軍はシャルンホルスト級戦艦を設計する際、実績ある飽和蒸気機関に代わり、より新しい技術であった過熱蒸気機関を採用した。なぜなら同級には先行するドイッチュラント級装甲艦に比べ、三倍もの出力が要求されたからである。
- この過熱蒸気機関は飽和蒸気機関に比べると利用できる余剰圧力が大きく、エネルギーの利用効率と省スペース性に優れていたため、シャルンホルスト級以外にも大小様々な艦艇に採用されている。
- この技術は先に就役していた民間船*14に採用例があったので、発生する問題も既知であったがまだ未熟であり、大型艦に転用するには時期尚早であった。結局、その運用には当初の予想よりずっと多くの熟練機関員が必要となる。ドイツ海軍は開戦後もしばらく、この故障しやすい機関の運用ノウハウ蓄積に大変苦労した。その一例はZ3のページに詳述されている。
- アドミラル・ヒッパー級は主砲の数・配置、艦橋等、艦形を同時期に建造されていたビスマルク級・シャルンホルスト級に意図的に似せて設計されている。
これは敵側による誤認の誘発を狙ったもので、ライン演習作戦での「デンマーク海峡海戦」において実際にイギリス艦隊(フッド、プリンス・オブ・ウェールズ)が先頭を走るプリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認しており実戦において効果を発揮している。
- ビスマルク:side
、front 、シャルンホルスト:side 、front 、プリンツ・オイゲン:side 、front
実艦を見比べてみると艦橋周りや全体のシルエットなど似せてあるのが分かるだろう。大和型・金剛型・高雄型の三級などと見比べてみるとドイツ艦三級がいかに似せているかが分かり易い。
- 後述のフミカネ氏の呟きにもある通り、艤装など彼女の見た目がビスマルクに似ているのはこれが由来して意図的に似せてデザインされているからである。
・・・ということはシャルンホルスト級も?
- 塗装については終戦まで生き残った歴戦艦であるため、何度も再塗装をされている。戦力不足の中で少しでも生存率を上げるための涙ぐましい努力が伺える。
- 船体の塗装は改造前はビスマルクと同様のバルチック・スキームであり改はツェルベルス作戦時のものである。
- 特徴的な主砲塔と高角砲の塗装はなんと全基違うパターンが施されており艦船モデラー泣かせなお洒落さんである。
- 模型などでは主にライン演習作戦、ツェルベルス作戦、最終時の塗装の三種類が良く見られるがそれ以外にも何種類ものパターンが存在する。
- 条約型重巡洋艦とアドミラル・ヒッパー級
- いわゆる条約型巡洋艦では、限られた1万トンの中で走攻守の能力を割り振るため、すべてを満足することは不可能である。
このため、各国はその用兵思想に基づいて、妥協をしている。
イギリス:航海性能を優先して砲力を妥協し装甲を犠牲にする(カウンティ級)
アメリカ:砲力を優先し魚雷を諦め居住性その他を犠牲にする(ペンサコラ級)
日本:装甲を弾薬庫と機関に集中しその他は低防御にして代わりに砲塔数を増やす(妙高型)
つまり、条約型巡洋艦とは総じて低防御で戦闘においてはかなり危険な船である。
言い方を変えれば、「理想の艦を作れない」点で1万トン制限は軍縮条約としてよく考えられたものであるともいえるだろう。
- 条約型重巡洋艦の延長線上で拡大を続ければアメリカのデモイン級(17,255t)となり、巡洋艦としての機能と戦艦以外を圧倒する戦闘力の両立を求めるとアメリカのアラスカ級巡洋艦(28,880t)や日本のB65型超甲型巡洋艦(31,400t)などに行き着く。
- ドイツ海軍は設計の項目の冒頭で述べたとおり用兵上の要素というよりは英仏の条約型重巡の対抗という受動的な要素でアドミラルヒッパー級を建造し、その後は条約型重巡路線では無く巡洋戦艦路線を選択した。*15その結果がP級装甲艦、O級巡洋戦艦(共に26000tクラス、未完成につき資料により仕様が異なる)であり、条約型重巡とその拡大路線はアドミラル・ヒッパー級のみとなった。
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| | 【戦歴・戦果・参加作戦】
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【ライン演習作戦】
- 1941年5月18日、大西洋での「ライン演習作戦」に出撃し、5月24日にデンマーク海峡開戦で戦艦ビスマルクとともに英海軍力の象徴であった英巡洋戦艦フッドを撃沈し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃破/首脳部をほぼ全滅させ撤退に追い込んだ。
- フッド撃沈後、ビスマルクが損傷した為ビスマルクは作戦を離脱し仏ブレスト港を目指し、プリンツ・オイゲンは単独で通商破壊任務に就くこととなった。しかし道中機関不調を起こし、戦果を得られぬまま作戦を中止し、6月1日フランスのブレスト港に入港し作戦を終了した。
- この間、27日に空前の大追撃戦の末ビスマルクは沈没していたが、作戦中無線封鎖していたプリンツ・オイゲンはそれを知らず、自身が作戦を終了し入港した際に作戦中に別れたビスマルクのその後の運命を知る事となった。
- 放置セリフでビスマルクを心配しているのはおそらくこれが元ネタ。
- ちなみにビスマルクの運命を決めたソードフィッシュ雷撃隊とはツェルベルス作戦で相対する事となり、全滅させる。
- 入港後は、英空軍の爆撃をはじめとして厳重な監視・攻撃下におかれ、先に入港していた戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ*16共々、出撃もままならない日々が続いた。
- フッドが轟沈した理由は諸説あるが、そのひとつに「オイゲンの8インチ砲弾を受けた副砲の火災を消し切れず、最終的に副砲火薬庫から主砲弾火薬庫へ引火誘爆した」というものがある。
実はフッドを撃沈したのは彼女だったのかもしれない。あれ、そうするとビスマルクの立場は……?
【ツェルベルス作戦】
- 1942年2月、オットー・チリアクス海軍中将の指揮の元、シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦6隻他と共にフランスのブレスト港から白昼堂々ドーバー海峡を強行突破しドイツ本国へ帰還させる「ツェルベルス(ケルベロス)作戦」*17(英語呼称「チャンネルダッシュ」)に参加。
- ブレスト港は独支配下のフランス南端に位置しておりドイツ海軍の大西洋における通商破壊作戦の前線基地で、海軍はここで修理を完了させ通商破壊作戦を遂行する事を企図し望んでいた。しかしヒトラーが連合軍のノルウェー上陸を危惧しており*18大型艦を防備に当てたかった事と、三隻も連日の空爆により動けずにいた事に業を煮やした事により総統の直命で作戦が決定された。
- このイギリス海峡はまさに英国の目と鼻の先
1:レーダーと哨戒機による警戒網が張り巡らされている 2:航路全編に渡って無数の機雷が敷き詰められている 3:最挟部ドーバー海峡に至っては僅か34km、人が泳いで渡れる距離(佐渡島~本州とほぼ同じ) 4:レーダー管制の沿岸重砲が対岸まで直接射程に収めている 5:無数の航空基地にはブレストや沿岸は勿論ドイツ本国まで爆撃を繰り返している英空軍が待ち構えている 6:ブレスト~ドーバー間よりも英海軍根拠地スカパーフロー~ドーバー間の方が近い
ざっと危険要素を挙げるだけでも分かるまさに絶望的な航路である。
- 本国へのルートは、1:イギリスを迂回しデンマーク海峡を大周りするビスマルクやシャルンホルストらも過去に通ったルート、2:はるかに危険だがより短距離のイギリス海峡を通るルート、の2通りあったがより短距離だが遥かに危険な海峡ルートが取られる事になった。
- 空軍の海軍に連動する作戦は「ドンナーカイル(サンダーボルト)作戦」。
沿岸基地から飛び立った戦闘機が艦隊直掩にあたり、半数づつ交代し続ける事でブレストから本国まで常時最低32機以上があたる作戦。犬猿の仲の空・海軍であったが、ヒトラーから艦隊防衛を念押しされバトル・オブ・ブリテンの英雄である夢の国チキンレースに参加した最古の著名人アドルフ・ガーランド大佐*19が指揮をとり、戦闘機250機以上が投入された。
- この2ヶ月前1941年12月に日本軍が英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを航空機で撃沈し、戦艦は飛行機の攻撃では沈まないと信じられていた時代から、飛行機の優位性が認識され始めた時であった。狭いドーバーではその航空機が大挙して襲いかかってくるであろう事が最大の脅威だったのだ。
- ドイツ軍がこの航路で白昼堂々ドーバー海峡を突破する事を選択したのは、1:陸上基地から飛び立つ航空機による援護を受けられる 2:夜間に出港する事にで作戦露見までの時間を遅らせ安全距離を稼げる の2点が大きかった。つまり援護なしの奇策ではなく強力な援護を伴った正攻法を選んだのだ。
- 対して英軍は独軍の三隻の海峡突破作戦をそのほぼ正確な日時まで予想しておりイギリス海峡ルート遮断計画「フラー作戦」を立案し、沿岸航空軍団(Coastal Command)からボーフォート雷撃機3個戦隊、海軍航空隊(FAA)からソードフィッシュ1個戦隊、爆撃機軍団(Bomber Command)からランカスター爆撃機300機、を攻撃隊として待機させており大量の戦闘機の援護も約束されていた。
- しかしボマーコマンドは当時世界最強の戦略爆撃部隊だったが艦艇攻撃の経験はなく、ボーフォート雷撃機隊は泊地攻撃は経験してるものの高速で移動中の艦艇への攻撃訓練は十分出来ておらず、最も頼りになるのはビスマルク追撃戦を経験している旧式複葉機のソードフィッシュ雷撃隊であった。
- 英海軍は、ノルウェーから何時出てくるか分からないティルピッツに対応する戦力を残しておかねばならず本国艦隊主力はスカパーフローを離れられないと言う事情もあり、海軍は軽量級のみに任せ空軍が攻撃の主力を担うと言う話が出来ていた。
- また、この作戦ではレーダー対電波妨害装置による史上初の正真正銘の電子戦が行われた。
*20
英軍の強力なレーダー対策として独軍は1ヶ月以上前からジャミングを開始し
少しづつ時間を延ばしていく事で単なる電波障害と思わせ油断させる事に成功した。
- イギリス軍はドイツ艦艇の脱出経路としてドーバー海峡も想定していたが、迎撃作戦を過度に秘匿したため各部署の連携に支障を来した。
さらにブレスト港を監視していた潜水艦シーライオン(※S級英潜水艦。金剛及び浦風を撃沈した米バラオ級潜水艦ではない)もドイツ艦隊の出撃を察知できなかったため完全に後手に回ることとなった。
イギリス軍は急ぎ「高速魚雷艇による攻撃」「ソードフィッシュによる空襲」「旧式駆逐艦による追撃」を行うもドイツ空軍の支援機とドイツ艦艇の砲火により有効なダメージを与えられず、一隻も撃沈することが出来なかった*21。
- 英軍で攻撃に参加したのは航空機681機・駆逐艦6・護衛駆逐艦3・魚雷艇32隻。
- シャルンホルスト、グナイゼナウが触雷するなどのトラブルはあったが、プリンツ・オイゲンを含め戦艦2・重巡1・駆逐艦6・水雷艇14・Sボート26という堂々たる艦隊でドーバー海峡の突破に成功。一隻の撃沈もなく全ての艦が突破に成功し、プリンツ・オイゲンは全くの無傷でドイツ艦隊の死者は1名のみであった。
- この事件を英「The Time」誌は以下の様に報じた
『チリアックス中将はメディナ=シドニア公(スペイン無敵艦隊総司令官)が出来なかった事を成し遂げた。 17世紀以降、我らが海軍力の誇りをこれ以上傷つけた出来事はない。~中略~ これにより私達が誇りを持ってイギリス海峡と呼ぶ場所を戦時下においていかなる敵国艦隊も通過する事は出来ないと言うロイヤルネイビーの伝説に終止符が打たれたのだ。』
【ノルウェー、練習艦隊】
- 爆撃から逃げた先のキールでもイギリスによる空襲を受けたため更にノルウェーへ避難したが、英潜水艦トライデントの雷撃によって艦尾を損傷。操舵不能になるも、二時間の修理の末に自力航行能力を回復した。
そしてローフィヨルド泊地へ緊急退避し、応急処置として艦尾を切断してまえばり板で塞ぎ、手動式の舵を取り付けた。
- 5月16日、プリンツ・オイゲンは自力でドイツへ向け出発した。キールへの航海中、イギリスの爆撃機19機と雷撃機27機による攻撃を受けたが幸運にも命中弾ゼロで被害は無かった。
- 10月まで修理のため戦列をはなれ、1月には2度ノルウェーへの増援としてプリンツ・オイゲンは
シャルンホルストとともにノルウェーへ向かおうとしたが、イギリス軍機に発見されたため引き返した
- ノルウェーへの移動を諦めたプリンツ・オイゲンは練習艦隊に配属され、9ヶ月間バルト海で士官候補生の訓練に使用された
【バルト海での艦砲射撃】
- 東部戦線においてソ連軍がドイツ軍を押し戻し始めた為、1943年10月1日からプリンツオイゲンは砲術支援の為に戦闘任務に復帰し艦砲射撃により迫りくるソ連軍を撃退し陸軍を支援した。
- 1944年6月、プリンツオイゲンは装甲艦ドイッチュラント(通称ポケット戦艦、この時はリュッツオウに改名済み)・第六駆逐隊と共に第2任務部隊を編成し、後にティ―レ任務部隊と改称され大型艦では装甲艦アドミラル・シェーアが加わった。
- 8月19・20日、プリンツ・オイゲンはリガ湾に入り25,000m離れたトゥクムスを砲撃し、主砲弾265発を発射。4隻の駆逐艦Z25・Z28・Z35・Z36と搭載機アラドAr196・魚雷艇2隻がそれを援護した。
- 9月初め、プリンツ・オイゲンは要塞島、ゴーグラント島攻略作戦を支援したが作戦は失敗に終わった。
その後フィンランドから撤退する兵士を輸送する船団の護衛にティ―レ任務部隊全軍があたった。
- 10月11・12日、メーメルのドイツ軍支援の砲撃を実施。
同14・15日、弾薬の補給後再び砲撃に戻り、この4日間で28の目標に対し主砲弾1,196発を発射した。
- 10月15日、夜間の濃霧の中、プリンツオイゲンは軽巡洋艦ライプツィヒ(未実装)に衝突。左舷中央(艦橋と煙突の間)に突っ込まれ竜骨すら切断された同艦はあわや真っ二つという大事故を起こしている。
この際、実に14時間もの間繋がったままであったが、皮肉にもこれによってライプツィヒは沈没は免れている。
- というのも船体に深く食い込む程の衝突を起こしてすぐに両艦が離れた場合、防水措置の猶予もなく大破孔が口を開くことになり大浸水で一気に沈没に至ってしまうからである。
これは排水量が10,000tを超えるような船であっても例外ではなく、イギリスで1893年の演習中に戦艦「キャンパーダウン」に衝突された戦艦「ヴィクトリア」は衝突から僅か13分で転覆・その数分後には沈没してしまっている。
- 11月20、21日、ゴーテンハーフェンへ送られ1ヶ月にわたる修理を終えたプリンツ・オイゲンは
ソルベ半島のドイツ軍支援のため主砲弾約800発を発射した。
- 当時の野砲の口径は7.5cm程度のものが多く、数が少なく運用に難のある列車砲が28cmがやっとという状況下でプリンツオイゲンの20.3cm砲による長距離艦砲射撃がいかに強力で心強いものであったかが想像出来るだろう。
- 21時の時報「艦砲で押し寄せる戦車の群れを、結構叩きました。これも割と得意です!」はこれらの艦砲射撃が元ネタ。艦砲射撃はソ連軍の撃退に効果を発揮し、撃ちまくった砲弾の量を思えば得意どころの話ではない。
【ハンニバル作戦】
- 1945年1月中旬に修理を終えたプリンツ・オイゲンはハンニバル作戦に参加した。
これは終戦間際、ソ連軍に包囲され陸の孤島となった東プロイセンに取り残された200万を越すドイツ軍民の救出作戦で、プリンツオイゲンは艦砲射撃による長距離砲撃で迫りくるソ連軍を足止めし救出・撤退を支援した。
このハンニバル作戦はドイツ海軍最後の作戦で、ドイツ海軍は残されていた海軍兵力を総動員しこの救出作戦にあたった。
- 1月中旬、ザームラントへ派遣されたプリンツオイゲンはケーニヒスベルクを死守していたXXVIII軍団を艦砲射撃により支援。ソ連軍砲撃を実施し主砲弾870発以上を発射。駆逐艦Z25がこれを援護した。
この後にもゴーテンハーフェン、ダンツィヒ、ヘラなどでも艦砲射撃を実施し、主砲20.3cm砲弾2,025発、副砲10.5cm砲弾2,446発を撃ち尽くした。他にもポケット戦艦アドミラル・シェーアやドイッチュラント、ユトランド沖海戦の生き残り準弩級戦艦シュレジェンなども共に艦砲射撃や船団護衛にあたった。
- ハンニバル作戦では1945年1月21日~終戦日5月8日の4ヶ月間に、戦艦から魚雷艇などの小艦艇までの艦艇・商船や漁船に至るありとあらゆる種類の稼働する全ての艦船が動員され*22その数は約1100隻にのぼり、約240万人の軍民が安全な港へ送り届けられた。*23
この作戦は救出作戦としては史上最大の作戦で、ダンケルクの奇跡として有名な30万人を救出した英仏軍撤退作戦ダイナモ作戦をその規模・救出人数の両面において遥かに上回るものだった。
- ドイツ海軍はWW1時にはキール軍港での反乱により敗戦の直接原因となったが、WW2では敗色濃厚となった大戦末期に徒に勝利を模索したり一矢報いるべくその兵力を磨り潰すのではなくその持てる全兵力と資源を以って同胞の救出に全力を挙げる事で有終の美を飾ったと言えるだろう。
- 4月8日、プリンツ・オイゲンはドイッチュラントと共にスヴィネミュンデへ移動。4月13日には34機の英ランカスター爆撃機が襲来したが、分厚い雲に二隻は守られ爆撃は失敗。
- しかし二日後、4月15日に18機のランカスター爆撃機が再度襲来し5t爆弾一発がドイッチュラントに命中しドイッチュラントは着底するも、幸運にもプリンツオイゲンは被害を免れた。
- その後、4月20日にコペンハーゲンへと移動し、そこで5月7日退役、8日に終戦を迎え英海軍に引き渡された。
【戦後】
- 浮揚・戦闘可能状態で終戦を迎え*24、「USS プリンツ・ユージン(USS Prinz Eugen, IX-300)」として米海軍に接収・編入された。
- 1946年、ビキニ環礁での原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦となった。
2発の原爆の爆発を受けても沈まなかったため、実験終了後に調査のため曳航しようとしたが、途中でクェゼリン環礁の浅瀬に乗り上げて転覆・座礁した。
同様に爆撃で沈没しなかった長門も4日後の未明に人知れず沈んでおり、これらを以って「枢軸海軍最後の勝利」とする向きもある。
この「座礁」を彼女なりの「自決」と取れば、ついに敵の手によって"沈められる"ことはなかった、と言っても間違いではないのかもしれない。
後にスクリューのみドイツに返還されている。
- なお現在でも転覆した船体がほぼ完全な状態で残っており、艦尾のスクリューや舵が水上に露出した状態なので潜水しなくてもその姿を偲ぶことが出来る。
今も水上から見ることのできる艦これ登場艦としては菊月に続いて2隻目。菊月同様GoogleMapでその姿を見ることができる 。
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- ライン演習作戦、ツェルベルス作戦、バルト海での対地支援、ハンニバル作戦とドイツ海軍の主要な作戦に参加して武勲を積み重ねながら終戦まで浮揚・戦闘可能状態で生き延びた強運の巡洋艦として有名。
- 左肩のバルケンクロイツ(黒十字)下にある紋章は、プリンツオイゲン(実艦)のエンブレム
である。これは元は艦名の由来であるオイゲン・フォン・サヴォイエンのサヴォイア=カリニャーノ家の紋章。
- 同様にビスマルクにも艦の紋章
がある。これも艦の由来であるオットー・フォン・ビスマルクのビスマルク家の紋章
が元になっている。
- この様にドイツ海軍の艦艇はそれぞれに艦ごとの紋章があり、艦名の由来となっている人物・都市などの紋章が元になっている。他の艦の紋章も見てみたい人はこちらへ

- 改造前の塗装はライン演習作戦時のバルチックスキーム
が元になっている。バルチックスキームについてはBismarck改を参照の事。
- フミカネ氏によるデザイン関連の呟き。
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