雪風
Last-modified: 2015-07-21 (火) 09:26:49
No.005 |
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| 雪風(ゆきかぜ) | 陽炎型 8番艦 駆逐艦 |
艦船ステータス(初期値/最大値) |
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耐久 | 16 | 火力 | 10 / 29 |
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装甲 | 7 / 29 | 雷装 | 24 / 79 |
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回避 | 50 / 89 | 対空 | 12 / 49 |
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搭載 | 0 | 対潜 | 24 / 49 |
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速力 | 高速 | 索敵 | 6 / 19 |
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射程 | 短 | 運 | 50 / -- |
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最大消費量 |
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燃料 | 15 | 弾薬 | 20 |
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装備 |
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12.7cm連装砲 |
61cm四連装魚雷 |
装備不可 |
装備不可 |
改造チャート |
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雪風 → 雪風改(Lv20) |
図鑑説明 |
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陽炎型駆逐艦8番艦の雪風です。 私たち主力艦隊型駆逐艦の中で、十数回以上の主要海戦に参加しながらも、 唯一ほとんど無傷で終戦まで生き残りました。 奇跡の駆逐艦って?ううん、奇跡じゃないですっ! |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
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| | CV:藤田咲、イラストレーター:しずまよしのり (クリックするとセリフ一覧が開きます)
|
セリフ | CV:藤田咲、イラストレーター:しずまよしのり | 入手/ログイン | 陽炎型駆逐艦8番艦、雪風です!どうぞ、宜しくお願い致しますっ! | 母港/詳細閲覧 | なんでしょう?司令官 | はいっ!頑張ります! | あの、雪風に何か、ご用でしょうか | 母港/詳細閲覧(二周年) | 司令、記念日ですね! おめでとうございます! 雪風も嬉しいです! | 母港/詳細閲覧(梅雨) | 司令……最近雨の日が多いです。制服や洗濯物が乾きにくくて困りますね、司令♪ | ケッコンカッコカリ(反転) | 奇跡の駆逐艦だなんて…そんな、違います。あたし、司令とずっと一緒にいたいから…あっ、そっ、それも違うんですっ。 | ケッコン後母港(反転) | 絶対、大丈夫! | 編成 | 雪風、いつでも出撃できます! | 出撃 | 連合艦隊の出撃です! | 雪風、いつでも出撃できます! | 遠征選択時 | 絶対、大丈夫! | アイテム発見 | 絶対、大丈夫! | 開戦 | 雪風は沈みませんっ! | 航空戦開始時 | 沈むわけにはいきませんっ! | 夜戦開始 | 砲雷撃戦、続行します! | 攻撃 | 艦隊をお守りします! | 雪風は沈みませんっ! | 連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃 | 沈むわけにはいきませんっ! | 小破 | 不沈艦の名は、伊達じゃないのです! | あっ!至近弾です! | 中破/大破 | もーっ。でも、し、沈みませんから! | 勝利MVP | 雪風、また生還しました!司令のおかげですねっ | 旗艦大破 | あっ!至近弾です! | 帰投 | 艦隊が帰投いたしました! | 補給 | 幸運の女神のキスを感じちゃいます! | 改装/改修/改造 | 幸運の女神のキスを感じちゃいます! | 司令!ありがとうございますっ! | 絶対、大丈夫! | 入渠(小破以下) | 雪風、修理に入りますね! | 入渠(中破以上) | 再び作戦に参加するための修理です! | 建造完了 | 新しい仲間が進水しました! | 戦績表示 | 司令!通信が入っています! | 轟沈(反転) | 不沈艦なんて…この世に無いのね… | 時報 | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | 放置時 | |
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ゲームにおいて
- 島風と並び、Lv20で仕上がる駆逐艦では最強の部類に属するステータスをもつ。さまざまな駆逐艦に改二が実装された現在でもやはりトップクラスである。
- 火力、雷装、対空、装甲、回避の最大値が平均的な駆逐艦より10高い。
- 対潜、索敵、耐久は、さほど変わらず。
- 特筆すべきは運の高さ。改造後で60と全艦中ぶっちぎりでトップの数値。
- 夜戦では装備構成に依存した特殊な攻撃として、2連続攻撃を行う「連撃」と、強力な一撃を加える「カットイン攻撃」がある(夜戦(戦闘分類)参照)。
通常は比較的安定して発動する連撃が好まれるが、運60を誇る雪風はカットイン攻撃の発動率も十分に高い。
このため鬼や姫などのボス級への対策として、火力要員としても活躍できる優秀な駆逐艦となっている。
- 戦艦や姫クラスが相手となると連撃では装甲を貫けない可能性もでてくるため、普段からカットイン装備でいいだろう。(連撃→1.2倍×2、魚雷カットイン→1.5倍×2)
- なお運の最大値は99。他に運99以上になる艦娘は現在の所長門改(99、場合により101)と初霜改二(100)のみである。(改造前の長門は79)
- 運によるカットイン率上昇にはキャップ値が設定されているので、カンストしても全夜戦カットイン攻撃にはならない。
- かなり珍しいことだが、島風と同じく改造してもホロのままでレアリティが変化しない。
- Sホロ→Sホロや桜ホロ→桜ホロを除けばこの2隻のみ。
- 島風と並ぶ高初期性能のため、駆逐艦が必要な場面では大いに活躍するはず。特に駆逐艦でないとクリアできない3-2などでは重宝されるだろう。
- カットイン攻撃発動率の信頼性から、特にボスハンターの適性が高い。この雪風さえ生き残れば、カットイン魚雷攻撃でボスも水底に叩き返せる。道中の生残性に優れた他の駆逐艦と組み合わせよう。
強力なカットインが他の生き残り雑魚に吸われることを防ぐため、隊列最後尾に配属するといいかもしれない。
- 非常にレアな駆逐艦で、入手は難儀。ただ通常の建造でも出る可能性がある分、某駆逐隊を集める場合、入手性は一番マシな部類ではある。
- 南西諸島海域では2-4ボスでのみドロップ報告有り。
- 北方海域では3-1から3-4までのボスでのみドロップ報告有り。
- 西方海域では4-1ボス、4-2ボス、4-4ボス前哨戦でのみドロップ報告有り。
- 南方海域では5-2ボス、5-4ボスでのみドロップ報告有り。
- ちなみに島風の方はドロップするマップも多く、雪風よりは入手が容易な傾向がある。
- 専用の建造レシピが編み出されているので、資材が有るなら建造で狙っても良いだろう。
黄色はトップ、桜色は次点の性能
No | 名前 | 改造 Lv | 耐 久 | 装 甲 | 回 避 | 火 力 | 雷 装 | 対 空 | 対 潜 | 索 敵 | 運(初期 /最大) | 燃 料 | 弾 薬 | 備考 | 追加 |
5b | 雪風改 | 20 | 32 | 59 | 99 | 59 | 89 | 59 | 59 | 39 | 60/99 | 15 | 20 | | 編集 |
10b | 島風改 | 20 | 36 | 59 | 99 | 59 | 99 | 59 | 59 | 39 | 12/59 | 20 | 25 | | 編集 |
144 | 夕立改二 | 55 | 31 | 52 | 89 | 73 | 93 | 59 | 69 | 49 | 20/59 | 15 | 20 | | 編集 |
145 | 時雨改二 | 60 | 31 | 52 | 93 | 57 | 84 | 72 | 69 | 43 | 50/79 | 15 | 20 | | 編集 |
147 | Верный | 70 | 37 | 54 | 89 | 54 | 89 | 59 | 74 | 44 | 20/77 | 15 | 25 | | 編集 |
179 | Z1 zwei | 70 | 35 | 53 | 84 | 49 | 71 | 64 | 69 | 43 | 15/49 | 20 | 25 | | 編集 |
180 | Z3 zwei | 70 | 35 | 53 | 84 | 47 | 71 | 68 | 69 | 43 | 15/49 | 20 | 25 | | 編集 |
181b | 天津風改 | 20 | 34 | 61 | 94 | 49 | 84 | 63 | 59 | 39 | 17/69 | 20 | 20 | | 編集 |
195 | 綾波改二 | 70 | 32 | 54 | 90 | 70 | 87 | 52 | 63 | 49 | 40/77 | 15 | 20 | | 編集 |
204 | 初春改二 | 65 | 31 | 51 | 90 | 52 | 88 | 73 | 69 | 45 | 16/59 | 15 | 20 | | 編集 |
207 | 潮改二 | 60 | 33 | 55 | 94 | 50 | 80 | 74 | 72 | 48 | 32/80 | 15 | 20 | | 編集 |
219 | 初霜改二 | 70 | 31 | 51 | 94 | 50 | 84 | 79 | 69 | 48 | 53/100 | 15 | 20 | | 編集 |
220 | 叢雲改二 | 70 | 31 | 50 | 90 | 55 | 89 | 74 | 69 | 42 | 15/57 | 15 | 20 | | 編集 |
221b | 秋月改 | 40 | 37 | 53 | 88 | 57 | 54 | 116 | 72 | 49 | 12/69 | 20 | 25 | 防空駆逐艦(対空カットインが特殊) | 編集 |
225 | 朝霜改 | 45 | 33 | 49 | 92 | 47 | 78 | 62 | 79 | 43 | 18/68 | 15 | 20 | | 編集 |
226 | 吹雪改二 | 70 | 31 | 50 | 92 | 59 | 88 | 78 | 68 | 54 | 17/77 | 15 | 20 | | 編集 |
234 | 睦月改二 | 65 | 27 | 43 | 90 | 45 | 79 | 56 | 69 | 43 | 14/64 | 15 | 15 | | 編集 |
235 | 如月改二 | 65 | 27 | 43 | 91 | 46 | 80 | 57 | 69 | 44 | 13/60 | 15 | 15 | | 編集 |
237 | 暁改二 | 70 | 31 | 50 | 89 | 60 | 90 | 59 | 66 | 60 | 15/67 | 15 | 20 | | 編集 |
小ネタ
- 太平洋海戦当時は、初風、天津風、時津風と共に第十六駆逐隊を結成していた。のちに浜風、谷風、磯風、浦風が所属している第十七駆逐隊へ異動している
- 天津風や時津風、浜風、磯風、矢矧は雪風について言及する事があり彼女への信頼を感じさせる。
- あまりの幸運っぷりに、ついたあだ名は「奇跡の駆逐艦」。ただ生き残っただけでなく、主要な海戦のほとんどに参加しつつ、毎回ほぼ無傷で帰還している
異能生存体。しかも大体は激戦のど真ん中に居たというからもう……。
尤も「奇跡の駆逐艦」や「幸運艦」は戦後に付けられたあだ名で、戦時中は武運の意味合いが強い「強運艦」や「不死身の駆逐艦」、直ちに戦闘態勢に入れる初動の速さから「超機敏艦」と呼ばれていた。 『雪風、いつでも出撃できます!』*1
- 沖縄特攻で生き延びたり、呉空襲では係留されたまま米軍機を落としたり(この時機銃弾を撃ち過ぎて、後で上から怒られた)と、乗員の錬度も凄まじい。
『ううん、奇跡じゃないですっ!』 ゲームでの台詞は乗員達の腕前を讃えているのかも。
- 彼女の歴代艦長の中でもっとも有名なのは、やはり第5代艦長の寺内正道中佐であろう。
斗酒なお辞せぬ酒豪で、でっぷり太った体躯に炯々たるギョロ目、ピンと張った八の字ヒゲがトレードマークの、細事にこだわらない豪快な人物であった。
その操艦技術は卓越しており、対空戦闘では『艦橋の天蓋から鉄兜もかぶらず身を乗り出し、三角定規で爆撃を読みつつ航海長の肩を蹴って操艦した』というエピソードが残る。*2*3
乗員たちは艦長を「雪風の守護神」として非常に信頼しており、あの大和特攻の際も、古参下士官の中には「うちの艦長は操艦日本一だ、任せておけば間違いない」と微笑している者すらいたという。
- 寺内艦長は「わしが乗っている限り雪風は沈まん」と豪語。乗艦は絶対に沈まないという強固な信念の持ち主で、
事実、前任艦の電は彼が任期にある間、弾が向こうから逸れるような幸運に恵まれ、幾多の激戦をほぼ無傷で乗り切っている。
その自信は、大和特攻にあたっても、他艦のように乗員たちに遺書を書かせたり遺髪を集めたりせず、参加艦お揃いの特攻の象徴、菊水の紋章を入れさせなかったところにも現れている。
- 雪風艦長は兵学校を下から数えたほうが早い成績(海軍兵学校55期生卒業成績120人中119番)で出ていたため、厳しい訓練や新しい戦術によって生還したのに「単に運がいいだけだ」と見られるのが嫌だったとか。
「生還のコツ」を聞きに行った同期の訪問にたいそう喜んだそうな。
- 5代目艦長の子息・寺内正義氏は某公共放送の元解説委員(現在は退職して国際ジャーナリスト)。イスラム圏の専門家なので、その類の事件等があった時に「視点・論点」等の報道解説番組に登場していた。
現役の記者のときにはベトナム、イラン、イラク、レバノンなどの戦地に何度も取材に行っていたが、その時は、雪風元乗員の会が作った雪風の名の入ったタオルを小さく切って常に持ち歩いていたという。無傷で帰ってこれたのは雪風の幸運のおかげかも、と回想している。
- 豪傑寺内艦長の影に隠れがちだが、第4代艦長の菅間良吉中佐も幸運艦・雪風を語る上で忘れられない逸話を残した人物である。ソロモン方面におけるいくつもの名だたる激戦の中で雪風を生き残らせたのは他ならぬ彼。
物静かな性格にポーカーフェイス、女性的な雰囲気を帯びた容姿は寺内艦長と対照的だが、奥に秘めた芯の強さ、名人の域とまで称された操艦技術、そして強運人としての評判は共通しており、「私が乗っている限り雪風は沈まん」と豪語。
乗艦は絶対に沈まないと言う強固な信念の持ち主で、事実、前任艦の磯波は彼が任期にある間、弾が向こうから逸れる様な幸運に恵ま・・・う、うん?
- 「ちょっと陰険なとこもあった」と部下に回想されてしまう菅間艦長も、雪風を去る時は「操艦の名人に去られてこれからの戦いは大丈夫か」と心配する部下たちを思い遣り、自負していた強運人の看板を降ろして激励の言葉を贈っている。
「嘗て私は運がいい男だと大見得を切ったが間違いだった。武運の神に守られているのは雪風だ。私が去っても雪風は沈まない。雪風に神宿る――『雪風に神宿る』だ。」
- 太平洋戦争開戦時の艦長は飛田健二郎中佐。強気でユーモラスな薩摩隼人で、宴会では三等水兵とも肩を組み共に酒を飲んだと伝えられる。雪風の"和"の艦風の形成に大きく貢献した人物。
雷電コンビのエピソードに隠れてしまい語られる事は少ないが、雪風もスラバヤ沖海戦で飛田艦長の指揮の元、漂流中の敵軍兵士40名を救助している。
- 「超機敏艦」と称された雪風伝説も飛田艦長が魁。タバオ港がB-17爆撃機の空襲を受けた際、雪風は修理中であったにも拘らず素早く発進して難を逃れたが、これは飛田艦長が空襲を予見して缶の圧力を上げるよう命令していたお陰である。
この迅速さと用心深さは雪風最後の戦いとなる宮津湾空襲まで継承されている。*4
- 尚、飛田艦長の口癖の『うんにょー』は、「いいや」「違う」を意味する鹿児島弁『うんにゃ』が更に訛ったもの、らしい。改二だろうか?『うんにょー!』
- 大和の特攻に同行した際の軍医長は、復員後故郷の佐賀県で町医者として開業、2010年には地域密着医療に貢献した医師に贈られる賞を受賞しており、未だご存命である。NHKのデジタルアーカイブス でインタビューを見ることができる。
- 雪風と常に行動を供にしていたのが、すぐ下の妹の時津風親方。沈没した時、幸運艦雪風に乗組員が殆ど救助されている。ラッキー、なのか?沈没したんだけど・・・。
- 時津風が沈没した海戦は、時津風と共に白雪、朝潮、荒潮を一度に失ったビスマルク海海戦である。
敵の制空権下、真っ昼間、駆逐艦と輸送船だけで堂々と突破セヨと言うムチャな作戦によって、輸送船8隻の全てと護衛の駆逐艦8隻中4隻が沈没。
参加艦隊の参謀が「全滅するからやめてくれ」と願い出たのを作戦司令部は「全滅覚悟で行け。命令だ」と突っぱねたとか。創作の疑いはあるものの、事実であってもおかしくない
そんな中で大半の乗組員が救助されたのなら幸運と言えなくもないが、艦これ提督が孔明に見える様なアホな作戦を命じられた時点でラッキー?を問うレベルの話ではない。
- 雪風は戦闘で沈んだ妹、時津風の乗員を救助後、一旦北上して脱出。救援に駆け付けた初雪に救助者を移して燃料を補給すると、
12隻の仲間たちが沈められた戦場に舞い戻り、漂流中の荒潮を発見して生存者を救助している。*5*6
- 尚、ビスマルク海海戦は完勝したアメリカが付けた名称。日本側はあまりに被害が甚大過ぎてこの戦闘に名称を付ける事ができなかった。
そのせいもあって味方にこの惨敗は伝わっておらず、飛鷹の乗組員は「アメリカの捕虜になった時、戦果を報道してるのを見て知った」と言う有様。
日本にはダンピールの悲劇の異名と、帰還した雪風乗組員の「こんなみじめな惨敗の姿で戻ってくるなんて……」の悲痛な手記が残る。
- 幸運を讃える声がある一方で、僚艦が次々大破・沈没する激戦でもピンピンしているのを気味悪がられることがあった。
夕暮(艦これ未登場)が沈んだ際は、敵の空襲を受ける前に各艦が個別回頭し、艦隊の左右の列が入れ替わっていたため*7、当の雪風乗員で「僚艦が身代わりになったのでは?」と気に病む人もいたらしい。
もっとも、スクリューが破損したため戦闘に出撃できなくなりそうになった時*8、「いつも多くの僚友達を救助してるから天が雪風に休みをくれたのだろう」と考える様な図太い兵士も乗っていたので、人其々である。*9
- そして他の艦では「雪風の強運に肖ろう」と言う話が広まって、雪風の塗装をお守りに忍ばせようとする兵士が出没。勝手に雪風の
スカートペンキを剥がしていってしまい、雪風乗員を困らせる事になった。
- 艦隊決戦用に設計された陽炎型十九隻、ほぼ同型の朝潮型十隻、夕雲型の十九隻、合わせて四十八隻中、生き残ったのは雪風ただ一隻のみ。
- 幾多の激戦をほぼ無傷で生還した・・・という華々しい戦果ばかり強調されがちだが、損傷が少ない故に、大きな戦闘の合間も休みなく護衛や輸送の任務をやり遂げた功績を忘れてはならない。
前述の『ダンピールの悲劇』の3日後にも徹夜続きで次の輸送任務に出発しており、戦争後期になると行く先々で仕事を任され、空母護衛の三重複なんて無茶まで経験する。
あまりの激務に雪風がどこにいるのか第十七駆逐隊の僚艦たちはおろか軍司令部さえ掴めなくなってしまった。ブラック鎮守府ってレベルじゃねーぞ
冗談のような話だが歴とした事実で、雪風乗艦を命じられたある新兵が雪風を探して横須賀からシンガポール、台湾、呉と6ヶ月も渡り歩き、とうとう呉でデング熱に倒れて療養・・・してたら雪風が寄港したので着任できたと言うとんでもない逸話がある。*10
- マリアナ沖海戦は座礁によりスクリューを破損していたため本隊から外され、後方で補給部隊の護衛として参加した。
護衛していた第二補給部隊が空襲を受けた際に「探照灯」で米軍機搭乗員の目をくらませるという奇策を用いて3機を墜落させる事に成功するという世にも珍しい迎撃を行っていたりする。
しかし、全ての攻撃を捌き切ることは出来ず、被害を受けた油槽船一隻を雪風が雷撃処分する事となってしまった*11。公式4コマ35話でもネタにされている。
- マリアナ沖海戦後、スクリューの修理のため一足先に帰国の途に着いた雪風だが、台湾沖で米潜水艦により沈められた樽島丸の乗組員が筏で漂流している所に偶然通りかかり、
飢えと乾きに苦しむ80名の生存者を救助すると言う幸運艦ならではの働きをしている。 *12
- 大和型艦艇の内、大和と信濃(艦これ未登場)の最後の戦いで護衛を務めた。その影響か「武蔵の沈没時も護衛だった」と勘違いしている人を頻繁に見かけるが、その時は別の姉妹の護衛だったから、風評被害を広めちゃダメよ?
電撃アンソロジーまでやらかしたのは救いようがない
- 坊ノ岬沖海戦で沈むまで、雪風と同じく主要な海戦に皆勤していた陽炎型13番艦の浜風と混同している人も多いと思われる。浜風も当初は金剛、榛名の護衛だったが、武蔵の沈没時は清霜と2艦でその最期に立ち会い、乗員の救助を行った。
- 信濃の回航の際護衛を務めていた雪風は、信濃を追跡する浮上中の米潜水艦を目にしながら漁船と誤認・・・雪風痛恨のミスとして語られるこの逸話だが、実は全くのデマである。
日本側記録に「信濃を後方から追跡する船舶をレーダーが感知。調査に向かわせた雪風が『漁船と思われる』と報告した」とあり、これが実は米潜水艦であったとする説だが、
信濃を撃沈した米潜水艦アーチャーフィッシュは、この時間帯、艦長のジョセフ・F・エンライト少佐の証言により信濃の前方にいて、雪風が調査した船はアーチャーフィッシュでない事が判っている。詳しくはこちら。
- 「雪風が浮上中の米潜水艦を漁船と誤認した」と記したのは豊田穣氏ら数名の作家である。
中でもエンライト少佐に直接取材をした豊田氏が、勘違いによるものか、意図的な脚色か、エンライト少佐の証言を正しく伝えなかった理由は不明である。
但し豊田氏の著書では、別の時間帯に潜水艦を発見した雪風乗員の証言まで「確認できなかった」と変えられている点は記しておく*13。
- 太平洋戦争における雪風最後の戦闘は宮津湾空襲(昭和20.7.30)である。B29による機雷投下によって、天橋立を眺める狭い湾内に閉じ込められた雪風と17駆逐隊最後の僚艦初霜を30機の米軍機が襲撃。
機雷を投下しにくい陸岸付近を進みながら、20ノット前後の低速しか出せない不利な戦闘で開戦以来最大の死傷者(戦死1名、負傷者20名)を出したが、F4Uコルセア1機を撃墜する奮戦の末、雪風は生き残った。
- 初霜は機雷により大破、沈没を避けるため海岸に乗り上げた。雪風から4名の兵が内火艇で初霜の救助に向かったが、この中で最年少、当時18歳だった野間光恵氏(元兵曹)は現在もご存命である。
負傷者の救助を手伝う野間兵曹らに、初霜の士官は「敵は今雪風を攻撃しているがもうすぐこちらを襲ってくる。お前たちも早く逃げろ」と告げたとある。
この初霜の士官は残り一隻となった雪風に敵機が殺到する様を見て「雪風ももう駄目だ」と感じたのだが、しかし雪風は敵の攻撃が尽きるまで粘り切った。
- そして野間兵曹ら4名だが、初霜の士官に「逃げろ」と促されると急いで内火艇に飛び乗り―今正に空襲を受けて危険な雪風に向かった!
途中になってやっと「待てよ?さっきの士官は『陸に逃げろ』と言ったんじゃ・・・?」と気づいたが、その時は4名とも「雪風が危ない!早く戻って戦わなきゃ!」「死ぬなら雪風の皆の元で・・・」と言う気持ちで一杯だったと言う。
敵機の機銃掃射に阻まれ雪風には接舷できず、やむなく天橋立に上陸したが、4名とも雪風同様この戦いを生き延び終戦を迎えた。
- 終戦後は復員船として1万3千人以上を本土へ帰還させた。その中には、後に「ゲゲゲの鬼太郎」などをヒットさせる水木しげる氏の姿もあった。
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| | 復員輸送中の雪風では有志らが雪風楽団を結成し、「復員者歓迎雪風の歌」を演奏して復員兵や民間の引揚者を慰めた。
|
- 『復員者歓迎雪風の歌』 高橋榮主計長作詞、朝比奈秀夫操舵手作曲
- 一.皆さん永々ご苦労さん 迎えに来ました雪風が 故国の便り満載し 万里波涛の浪蹴って
- 二.陽炎型の輸送艦 わが雪風に乗り込んだ 百八十のつわものが 精魂込めて送ります
- 三.春が来ましたお国には 今頃桜の季節でしょう 家じゃ父さん母さんが きっと待ってる、指折って
- 四.南十字の星沈み いつしかまたたく七つ星 明けては暮れる帰国航 思いは尽きないことでしょう
- 五.富士と桜が明日は待つ 皆さん辛抱今暫し 狭い艦内じゃあるけれど 住めば都の風が吹く
- 六.いばらの道は遠けれど 常に雄々しい希望もて 君らの鍛えし心身を 捧げよ祖国の再建に
- 七.港が見えます内地の港 入港にはずむ皆さんよ どうぞお体大切に 送り送らる波の上
- 八.迎えて送る聖(ひじり)の任務 今日もはるばる南洋航路 赤道直下をひた走る ああわが雪風輸送航
|
- 復員輸送艦時代の雪風で艦長を務めた佐藤精七少佐は少し変わった形で雪風の幸運に恵まれた人物である。
終戦後、酒匂で副長代理を務めていた佐藤少佐は、ある下士官が「副長代理が毎日のように陸に上がっては軍需物資の横流しをしている」と虚偽の噂を流したため、突然予備役を命じられ解任されてしまう。
あらぬ噂により追放同然の処分を受けた佐藤少佐だったが、丁度その頃、雪風で予定されていた艦長が着任できなくなったため*14、急ぎ代わりの将官を探さなければならなくなり、酒匂退艦が決定した佐藤少佐の任命が検討された。
これを境に佐藤少佐の日常は好転する。なんと噂を流した下士官が名乗り出たのだ。「規律に厳しい副長を追っ払いたくて噂を流したが、目的を達成できたからには真実を話しお詫びします」と言う。
降って沸いたような幸運の展開で佐藤少佐の濡れ衣は晴れた。予備役も取り消された事で彼は栄転と言う形で雪風の第8代艦長に着任している。
- 佐藤艦長就任の話には続きがある。酒匂での噂は雪風乗員の間にも伝わっており、佐藤艦長は雪風に着任すると複数の乗員から噂の真偽を問われる事となった。
「艦長艦長、陸に毎日遊びに出かける馴染みの飲み屋があるそうですね?」「その店に親しくしてる美女がいると聞いてますが、紹介してください!」「不名誉な横流しの噂がどうしてそんな楽しい話になってるかッ!?」*15
わざわざ噂の店に乗員を連れて行く羽目になった佐藤艦長(ひでぇ・・・)。確かに女はいた。「噂が本当なら俺も大したものだ」と内心期待するほどの美人だったが、幸運にも濡れ衣は晴れてしまった。
その後の雪風艦長時代の勤務については「あまり苦労したことがないので、今記事を書くのに苦労している」(雪風乗員の手記より)
- 復員船の役目を終えた後に賠償艦として引き渡され、駆逐艦でありながら中華民国(台湾)海軍旗艦「丹陽(タンヤン)」として就役。どうも連合国にも雪風の強運っぷりは伝わっており、旗艦就任はそれを見込んでの事だったんだとか。
この時陰陽思想で雪も風も陰に属する字のため名前がいまいちということで、陽である丹(赤)と陽を使うことになった。
余談だが、中華民国海軍の艦艇名には日本からの賠償艦・米国からの供与艦を問わず○陽が多い……というか名付け元の都市名に○陽が多いというべきか。
あちら流の験担ぎと思われ、総称して「陽字號」などと呼ばれることも。ちなみに、帝国海軍艦艇由来の「陽字號」は以下の通り。
中華民国海軍での名称 | 帝国海軍での名称 |
丹陽(DD-12) | 陽炎型・雪風 |
信陽(DD-15) | 橘型(改松型・改丁型)・初梅 |
華陽(艦艇番号未付与) | 橘型(改松型・改丁型)・蔦 |
瀋陽(艦艇番号未付与) | 峯風型(改峯風型・野風型)・波風 |
汾陽(艦艇番号未付与) | 秋月型(乙型)・宵月 |
衡陽(艦艇番号未付与) | 松型(丁型)・楓 |
惠陽(艦艇番号未付与) | 松型(丁型)・杉 |
- 中華民国海軍に引き渡しが決まったあとも乗員たちは清掃や手入れを怠らず、連合国の関係者が「敗戦国の軍艦でかくも見事に整備された艦は見たことがない」と驚嘆した。
引き渡された当初は武装は降ろされていたが、国民党海軍の手によって旧帝国海軍の鹵獲兵装(長10サンチ連装砲とか)を取り付けられ、後に補給の問題からアメリカ式の火砲に換装されている。
- なお、丹陽として就役した後も幸運ぶりを発揮。詳細は省くが、幸運通り越した異能生存体っぷりは健在だった。
中共艦艇と交戦中、突如ボイラーが本調子を取り戻したことで往時の高速を発揮し危機を脱したり、命中寸前の砲弾が突如空中で爆発したという逸話も残されている。
- ソ連油槽船拿捕や人民解放軍の沿岸用コルベット撃沈等戦後も活躍し1965年に一線を退いたが、その後も訓練艦として就役していた。
日本で雪風返還運動が始まり、1969年には1年後の返還が約束されるところまで漕ぎ着けたのだが、夏の暴風雨によって老朽化していた船体が大破し、あえなく解体された。
栄えある帝国海軍最後の実働艦は、結局最後まで戦没することは無かった。
この時のこともあって、当時の中華民国だった台湾でも雪風、もとい丹陽は人気があるんだそうな。何せその生涯を描いた擬人化漫画があるくらいだし!
- 取り外された錨と舵輪は1971年、元艦長や乗員たちが出迎える中で返還された。
返還式典は火葬場の拾骨のように沈痛な空気に包まれ、「あの雪風がこれだけになってしまった」とかつての乗員たちは男泣きに泣いたという。
現在は江田島の海上自衛隊第一術科学校校内の教育参考館に静かに安置されている。また台湾の中華民国海軍司令部(台北市)と海軍軍官学校(高雄市)には彼女のスクリューが残されており、軍官学校校史館には丹陽時代の資料や模型などが展示されている。
- 艦艇の性能的に考えれば雪風が島風と同能力値になっているのはおかしく見えるかもしれないが、決して運が高いことで発生したエピソードを反映しただけではない。
その理由は生存していたことによる搭乗兵の練度上昇と共に、幸運艦として有名になるにつれて次々に搭載されていった装備類にある。
なんと最終的には、当時最新でまだ開発途中のソナー、対水上・対空レーダー二基、針山のような対空火器を装備というとんでもないカスタムが施されていたのだ。
- 優先的に新装備が施されたのも、「間違いなく帰ってくるだろう(新装備が沈没で無駄にならない、実戦データを持って帰ってくれる)」という期待があってのこと。
- それもあってか、小さな駆逐艦の癖に砲撃成績は優秀だったとか。ナイショだよ。
- 雪風乗員の練度の高さを伝えるエピソードとしては、戦闘時の被弾を想定した応急処置訓練に関する冬月(艦これ未登場)の士官の証言がある。
「訓練ではいつも雪風が群を抜いて早く、しかも精確な処置ができていた。」 戦闘で中々破損しないからって、日々の訓練を怠ってたわけじゃないのですよ?
- 被弾損傷や人的損耗も少なかったもののゼロというわけではなく、終戦までに乗員9名が戦死。一般にはこの「9名戦死」が広く伝わっているが元乗組員達により出版された手記によれば13名戦死とある。
仮泊中に行方不明となった兵(艦から落下した形跡があり溺者となったと考えられた)達も含めての死者の数であり、「戦闘中の死亡でなくても彼らを忘れないでやって欲しい」との元同僚達の願いが込められている。
- 戦記に見張り兵の戦死者のことが記されていたことから、「手にした馬鹿デカい双眼鏡はそのことに配慮してのものでは?」という意見があったが……。
グラフィックを担当したしずまよしのり氏によると、物を見ることしかできず武装としては特に意味をなさないはずの双眼鏡を持っているのは、雪風が数多くの艦が沈むところを見てきたためらしい。雪風の双眼鏡には仲間の最期を看取った涙が溜まっているのだという。
- もっとも「見る事しかできない」と言う解釈は史実の雪風と異なる。ダンピールの悲劇の後の荒潮発見や敵機に撃墜され漂流中だった海軍機「銀河」のパイロットの救助、上述の輸送船樽島丸の生存者救助など、実際は探索活動に役立ち多くの命を救った。
第3次ソロモン海戦の比叡*16や、輸送任務で沈没した村雨と峯雲(艦これ未実装)の乗員の収容など、太平洋上を駆け回った雪風は緊急の救助信号を受け現場に駆け付けた事も多かった。
- 尚、頭に載っているのは測距儀、頭の横にあるのは22電探、口元にあるのは伝声管である。
電探が装備された頃、雪風で「電探から出る電波が水虫に効く」と言う噂が流れ、電探を囲んで座って水虫の脚をかざすのが流行ったそうな。艦娘の雪風がそれをやられてるシーンを想像してみると…。
- 彼女の生涯については『雪風ハ沈マズ』(豊田穣著・光人社)という名作がある。全期間を最前線で活躍した雪風らしく多くの海戦や他艦のエピソードも豊富で、艦これファンなら読んで損はない。
- 余談ですが……
終戦から十数年が経過し、復興を果たした日本に、再び軍艦の建造が認められる事になりました。
戦後初めての自国生産による軍艦。生まれ変わった日本にとって、そして発足して間もない海上自衛隊にとって、
極めて重要な意味を持つことになる最初の護衛艦。はるかぜ型護衛艦。
その二番艦が、一番艦はるかぜより一月早く進水する事となりました。
戦後復興を象徴する、正真正銘の最初の護衛艦。
この排水量1700トンという小さな彼女に与えられた名は──
「ゆきかぜ」
──です。
この名が発表されたとき、旧海軍の関係者や、復員船となった雪風のおかげで祖国に帰ることができた人たちは、
皆、同じ言葉をもって迎え入れたそうです。「おかえり」と。
- 海上自衛隊発足後の文字通り1番艦になったのは偶然ではないと云われている。戦後初の護衛艦のネームシップを「ゆきかぜ」にできなかった理由は「武勲艦として、あまりに有名すぎたから」。そこで、地味な護衛任務を太平洋戦争を通じて全うした名誉艦である「はるかぜ」をネームシップとし、そのかわりに先に「ゆきかぜ」を進水させたと伝えられている。
- 代表的なものとして某元幹部学校校長を務めた元海将が回想として上記のことを「駆逐艦春風」という本に文章を残している。また草創期の将官の何人かも回想録に記している。海兵学校末期の出身者にとっては憧憬をもって記憶されていたらしい様子が伺える。
- はるかぜ型以前に使用されたありあけ型護衛艦の前身はアメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦だった。
- またこのはるかぜ型の設計は、白露朝潮を元に、米駆逐艦の長所をミックスしたものとなっている。
- 陽炎型駆逐艦は朝潮型の小改良型なので、広い目で見ると初代「雪風」と2代目「ゆきかぜ」は歳の離れた姉妹と見ることもできるかもしれない。
- そんな2代目ゆきかぜが活躍したのが1974年に起きた第十雄洋丸事件*17災害派遣部隊に選出され、3日間の砲撃により無事(?)燃え盛るタンカーを撃沈した。
- ゆきかぜは多くの改装を受けつつ第一線にあったが、1981年3月に特務艦に変更され、1985年に除籍された。
- 武勲艦に駆逐艦が多いのが日本海軍の大きな特徴である。諸外国の駆逐艦はフレッチャー級のように哨戒などを主任務にしていたのに対し、日本の場合は雷撃艦として攻撃に特化していたから。実際に運用されるのが駆逐艦だけなので、必然的に武勲艦が生まれることになった。
- 現在、今度は海上保安庁「すずかぜ型巡視艇(現:ひめぎく型巡視艇)」CL81として、第一管区・花咲で活躍している。
ちなみに161隻いる姉妹の中には「はまかぜ(CL50、第三管区・横浜)」「しまかぜ(CL59、第二管区・石巻)」「はつかぜ(CL73、第二管区・宮古)」「さつき(CL119、第十管区・宮崎)」「すずかぜ(CL11、第一管区・小樽から第五管区・姫路に配置換えに伴い「ひめぎく」に名称変更、その後CL143、第一管区・小樽が再襲名)」もいる。およそ50年の時を超え、ゆきかぜは「はまかぜ」と「はつかぜ」と再び姉妹となれたのだった。
- 上記の通りあまりにもエピソードが多いため、もっと詳しく知りたい提督諸氏はwikipediaや関連する書籍などで各自調べていただきたい。
コメント
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