練習ページ/12
Last-modified: 2015-07-05 (日) 20:45:45
大和の小ネタを短くしたいためBismarckのページを参考に大雑把に分けてみた。
元の文章内容は基本的に変更していないが以下の変更点がある
一、文章の並び替え
二、regionで閉じられていた表の開示(regionの解除)
三、一部文章内容の修正・分割 例:「トラックでの大和の任務〜」以降の文章の分割
現在regionで閉じられている部分については明確な基準にそって畳んだわけではないが
戦艦大和の小話的な物を拾い上げ、戦艦大和の性能などに関してはを畳みたいと考えている。
大和小ネタ改定案
軍艦に詳しくない人でも名前くらいなら知っているであろう、日本海軍の隠し玉にして世界最大の超弩級戦艦大和型の1番艦
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| | 設計や武装など
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基準排水量65,000トン、満載排水量72,809トンの超大型戦艦である。
- 基準排水量及び満載排水量そして搭載主砲の口径で戦後ギネスブックに認定。最近の本には載ってないけど。
大和型の性能諸元(施工時)
主要目
全長 | 263m |
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水線長 | 256m |
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最大幅 | 38.9m |
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排水量(基準) | 65,000t |
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排水量(公試) | 69,100t |
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排水量(満載) | 72,809t |
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航続距離 | 16kt/7200海里 |
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軸馬力 | 15万馬力(計画)15万3553馬力(公試)16万8000馬力(過負荷全力) |
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速力 | 27kt |
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主要兵装
主砲 | 45口径46cm3連装砲3基9門 |
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副砲 | 15.5cm3連装砲4基12門 |
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高角砲 | 12.7連装砲6基12門 |
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機銃 | 25mm3連装8基24挺 |
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機銃 | 13mm連装2基4挺 |
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飛行機 | 九五式水上偵察機4機 |
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参考文献
「戦艦「大和」永遠なれ!YAMATO Forever!」 著者:原 勝洋 発行:KKベストセラーズ 2005/12/26
「究極の戦艦大和」 著者:「丸」編集部 発行:潮書房光人社 2007/8/19
「戦艦大和のしくみ」 著者:矢吹 明紀/南波 健一郎/市ヶ谷 ハジメ 発行:新星出版社 2012/8/5
- 当時日本海軍の保有していた主力艦は扶桑型、伊勢型、長門型などの老朽艦しか無く各国の新鋭戦艦に対抗するには不十分であったため、マル三計画で戦艦2隻(大和、武蔵)、マル四計画でも戦艦2隻(信濃、一一一号艦)計4隻の新戦艦の新造が最も古い巡洋戦艦金剛型4隻を代替するために計画された。
しかし実際に完成したのは大和・武蔵、航空母艦へ改装された信濃の三隻で、四番艦に相当する「第一一一号艦」は手を付け始めたところで解体、伊勢姉妹の航空戦艦化の資材に流用された。
更にマル五計画では改大和型戦艦1隻*1、超大和型戦艦2隻*2と行った改良型も計画されており、日本海軍は大和型を次世代戦艦のスタンダードとして量産しようとしていたのが伺える。
- 艦首が非常に高くなっているようにイメージされることも多いが、艦首乾舷は中央部とほとんど変わらない。
艦首に向けてせり上がっているように見えるのは、1番砲塔の付近の甲板を凹ませて砲塔の搭載位置を低くし、重心を下げる工夫をしたためである。この形状は「大和坂」とよばれた。
全体に乾舷は高く、良好な凌波性・安定性と膨大な予備浮力を生み出した。
- 艦体の設計に関して「良くも悪くも重巡洋艦の拡大型」とは、設計に関わった牧野茂氏の談である。
- 『大艦巨砲主義の極致』とは言われるものの、性能に比してコンパクトな作りになっている。全長は263mで全長だけならアメリカのアイオワ級の270.43mのほうが長い*3のだが、
アイオワ級は全領域で日本の新戦艦を上回る性能*4とパナマックス*5を実現させるため艦の全長を大きくしたので、全長だけで単純な比較はできない。
しかし、元々艦型が小さい方が防御上有利であるため*6大和型には可能な限り艦体を小さくすることが求められており、技術者たちが最も苦心したのは如何に小さい艦型で軍令部の要求通り*7の艦を造れるかという事であった。
最終的には技術者陣の苦心の結果、大和は全長263m 水線長256m*8 基準排水量65,000tと18インチ砲艦としては小さな艦として完成した。
大和型戦艦計画案の推移(概略)
計画符号 | 全長(m) | 最大幅(m) | 吃水(m) | 公試排水量(t) | 速力 | 馬力 | 航続距離(kt/海里) |
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A-140 | 294 | 41.2 | 10.4 | 69,500 | 31kt | 200,000 | 18kt/8,000 | A-140A | 277 | 40.4 | 〃 | 68,000 | 30kt | 208,000 | 18kt/9,200 | A-140G | 273 | 37.7 | 〃 | 65,883 | 28kt | 140,000 | 18kt/8,000 | A-140F3 | 246 | 38.9 | 〃 | 61,000 | 27kt | 135,000 | 16kt/4,900 | A-140F5 | 253 | 〃 | 〃 | 65,200 | 27kt | 〃 | 16kt/7,200 | 最終案 | 256 | 〃 | 〃 | 68,200 | 27kt | 150,000 | 16kt/7,200 |
*9*10
*11
- 当初30kt以上とした軍令部だったが大和型を30ktとした案では艦型が大きくなり過ぎる他、航続距離が短くなるといった問題があっただけでは無く、
米国の新戦艦が24kt〜25kt程度と考えられていたため、大和型を30ktとした場合のデメリットとメリットを比較して最終的には27ktとした上で、艦型の縮小と航続距離の増大を図ったA-140F5が採用される事となった。
しかし、試験も兼ねて1万馬力の大型ディーゼル機関を搭載していた潜水艦母艦大鯨では、ディーゼル機関の故障が相次いだだけでなく計画出力の6割程度すら出ない事が判明したため、
急遽大和型ではディーゼルとタービンの併用を改めタービンのみを搭載する最終案が決定された。*12
また、当時日本では毎平方センチ辺り30キロの蒸気圧、350度の加熱蒸気の使用も試みられていたが、大和型では機関の信頼性と耐久性を重視して、蒸気圧25キロ、加熱蒸気325度と低く抑えることとなった。*13
- 機関定格出力は15万3553馬力と翔鶴型空母に一歩譲るが、過負荷最大出力は他の追随を許さぬ16万8000馬力で帝国海軍史上最強。*14姉妹艦の武蔵をもってしてもここまでの出力は出せなかった。*15
- 「武蔵は機関の搭載こそ完了していたものの、缶とタービンをつなぐ高圧蒸気管や、その他の重要な配管類が突貫工事となってしまったため、大和より配管の精度が落ち、機関出力も落ちていた」とする説が一般的である。
- ちなみに大和と同じタービンを2基搭載した初春型駆逐艦の子日が過負荷全力で4万7000馬力、白露型駆逐艦の江風が4万7001馬力を記録している。つまり、最大で1基2万3500馬力程度を出せるタービンであり、これを8基搭載しているのだから、限界まで回せば18万8800馬力程度は出せる可能性がある。実際、朝日放送の「よみがえる戦艦大和」内で、元乗組員が「現在29.3ノット」との艦内放送を聞いたと証言している。当初計画は20万馬力で30〜31ノットというものだから、18万馬力以上出ていれば、29ノット台という数字が出ても不思議ではない。
- 軍令部の当初要求では30ノット以上であり、当初案には主要防御区画短縮と水上機運用を重視して、英国のネルソン級戦艦と同じく、主砲塔3基を全て前部に搭載するプランもあった*16。大和型計画時は戦艦・巡洋艦の水上爆撃機を一斉に発進させ、空母の攻撃力を補う考えがあったからである。こうした、大型水上艦搭載水上機を攻撃任務に転用する考え方の延長上に航空戦艦伊勢型があり、大和型戦艦も完成後に水上爆撃機瑞雲を16機搭載できないかと真剣に検討されたが、レイテ沖海戦などにより実現していない。
- 計画速力は27ノット*17で、ゲーム内の「低速」扱い軍艦としては最速。実際には大和が、昭和17年6月22日に佐田岬沖の公試で28.5ノットを記録し*18、武蔵も公試時に過負荷全力で28.1ノットと計画以上の速力も計測している。これはゲーム内で「高速」扱いの正規空母加賀(28.3ノット)、軽空母祥鳳&瑞鳳(28ノット)に匹敵する。レイテ沖海戦前も「大和型は重巡と一緒に夜戦しても問題ない速力だから、艦隊旗艦にしてくれ」と栗田艦隊司令部が連合艦隊に要望を出すなど、現場では低速とは思われていなかったようだ。大和型が「低速」扱いなのは、ゲームバランス的な観点からと思われる。高速扱いだと、なんと燃費が悪いことくらいしかデメリットが無くなってしまう。
- 柱島沖は水深が100メートル以下であり、公試海面としては浅すぎることも、公試速力が低めになる一因である。
一般に吃水の10-15倍程度の水深がなければ、海底からの反射波の影響を受けるとされ、高い速度を記録したのは水深の深い佐多岬沖・速吸瀬戸での試験である。
- 主砲も、用兵側の要望で50口径があげられていたが、建造当時の日本の技術・設備的に難しいので45口径となった。詳細は砲のページで。
- 副砲として15.5cm三連装砲、軽巡時代の最上主砲に使われたものを流用した。こちらも詳細は砲のページで。
- バルバス・バウを装備した艦として有名だがその内部にパッシブソナー(零式水中聴音機)を内蔵していた。現在のイージス艦等では珍しくない配置だが当時のそれも対潜を意識していない筈の戦艦としては中々斬新な設計でもあった。
- また大和型には竣工時には爆雷が装備されていた。*19武蔵の沈没時の証言(小川豊 左舷増設一二番機銃配置)でも艦尾のジブクレーン付近より飛びこんだ時に爆雷投下台があったというものがあり、大和武蔵ともに昭和17年に九五式爆雷10個装備していた模様である。*20
バウソナーを設置していた事も併せれば当初は一応とはいえ対潜能力も持っていたという事になる。
- 戦艦の集中防御区画は自分の主砲弾が直撃しても耐えられるように作るため、潜水艦の魚雷を食らっても乗組員が気付かない*21という超重装甲だった。流石大和だ、何とも無いぜ
- 大和型の缶・機械は、全て独立した水密区画に配置された。シフト配置*22のではなかったが、大型魚雷が命中しても内側の缶室・機械室への浸水は考えづらく、例え外側のボイラー6基が浸水で全滅したとしても内側の6基だけで15ktの速力を維持する事が出来るようになっており防備は極めて強固だった。
- 一方で、缶室・機械室一つ一つは狭隘になり、温度が上がりやすく作業環境が悪化した。このため部隊からは缶室・機械室への冷房装置の設置が要望されている。
- 改装で副砲を2基取り払い、その分対空装備を多量に追加した。その改装型は大和改として実装されている。
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日本海軍きっての隠し玉であり、その性能は最高レベルの軍事機密として秘匿されていた。*23
その秘匿ぶりは議会を騙し予算を架空の陽炎型・伊号潜の建造予算や比叡・蒼龍の改装予算に紛れ込ませていたほど。
- 当然のように陸軍にも秘密、海軍内でも主砲の制式名を「四〇糎(センチ)」にする等、多くの海軍人も真のスペックを知らなかった。
- 無論、当時の国民にもその存在を知らされることは無かった。そのため国民の間では「帝国海軍の象徴と言えば長門と陸奥」というのが一般的であった。
- 以上の理由に加え、後述するように図面等も終戦時に米軍の手に渡らぬよう大半が破棄されたため、大和型戦艦は現在のような知名度にもかかわらず、資料の少ない軍艦となっている。
- ただし最近(といっても数年前)、全てではないものの相当量の設計図面が発見された。廃棄するには忍びないだかの理由で技師がこっそり持ちだしていたらしい。
折角最強の戦艦として就役したのに、当の日本海軍が「空母機動部隊こそ主力、戦艦はサブ」を立証してしまった、戦歴は色々悲しい艦。
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| | 戦歴
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- 大和が参加した作戦はミッドウェー作戦、カ号作戦(支援)*24、戌一号作戦、渾作戦*25、あ号作戦、捷一号作戦、天一号作戦である。
- トラックでの大和の任務はカ号作戦支援、南太平洋方面の作戦支援、全作戦支援と転々としていた
- 1943年12月25日午前5時20分ごろ、陸軍独立混成第一連隊主力の輸送任務中にトラック島北方に差し掛かった時に米潜水艦スケートから雷撃を受ける。魚雷1本命中、この時に第三砲塔火薬庫と後部機関室に約3000tの浸水、この結果第三砲塔は使用不可能になり、1/3の戦闘力が失われる。
魚雷の命中で装甲が一瞬1mほど艦内部に押し込まれ、その後元に位置に戻り、表面上何の被害も無いように見えたが、実際には装甲結合部のリベットが全て切断されており、そこから浸水していた。
たった1本の魚雷で重要区画(バイタルパート)に浸水してしまうという設計上の問題が実戦にて証明されてしまった。*26*27
- 時折「日本戦艦中、航空攻撃で撃沈された唯一の艦型」ということで過小評価されることがあるが、
推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という軍艦史上最多にして空前絶後の大損害を受けてなお浮いており、襲い来る敵機を道連れにし続けた妹(武蔵)
戦艦1隻、軽巡1隻、駆逐艦8隻の艦隊に対し空母11隻、艦載機386機の波状攻撃による攻撃を受けて(命中魚雷10本 爆弾5発*28)沈んだので、決して簡単にやられたわけではない。
……ろくに海戦参加もできず戦果も挙げられずに消えていったとはいえ、ちょっと彼女らへの評価としては辛すぎるのではなかろうか。
- ただし艦隊の上空に到達して攻撃に参加したのは309機。また各飛行中隊の戦闘詳報での出撃数は計367機となっていて、
その中から大和を直接攻撃したのは117機「急降下爆撃機37機 戦闘機15機 戦闘爆撃機5機 雷撃機60機」である。*29
米軍の損失は戦闘全体を通して13機の喪失(被撃墜5機*30、原因不明墜落1機*31、帰投後修理断念による廃棄5機、2機が不時着水)。
日本側の記録では*32敵機撃墜19機以上、撃破数十機としており、その内大和の戦果は3機撃墜20機撃破とされている。*33
損傷した機体は52機(廃棄5機含む)にも登るので、いかに大和以下の艦隊の対空砲火が激しかったかが分かる。
- 天一号作戦に於ける大和への左舷集中攻撃説は、日本軍の戦闘詳報に掲載された大和の被害図で、被雷数10本中9本が左舷に命中したと記載されている事から広まったものだが、
米軍機の報告では魚雷投下数59本中35本が命中、内14本が右舷に命中したと記録されており、実際の被雷数とは別と考えても、米軍機は右舷にもまとまった攻撃を行っていた事が分かる。
戦史研究家の原勝洋は著書で『「大和」は左舷を計画的かつ集中的に狙われたとの通説を生んだ日本側記録は、書き換えなくてはならない』と述べている。*34
- 強固な防備は実戦でも証明され、大和・武蔵とも多数の魚雷が命中した後も、沈没の瞬間まで行足を失っていない。
- 大和への攻撃に参加したある米軍パイロットは後に「まるで島の要塞を攻撃しているかと思った」と語っている。
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スペックに比して動かす負担もゲームと同様で高負担。
- 一隻建造するだけで一個艦隊を余裕でぶっちぎる予算が吹っ飛ぶ。動かすとさらに燃料が消し飛ぶ。
- 動かさなければ問題ないかと思いきや、弾薬庫内の適温維持などに主機を動かす必要があるため、結局吹っ飛ぶ。
- ゲーム内の資源消費で水雷戦隊1個分が大和1隻分になっているのは実物と大体同じ量。ネタにされるボーキサイトの女王と違って現実でこうである。
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| | お金の話
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- 建造費は当時の価格で1億4287万円と言われている。これは現在に換算すると4000億円ほど、大体「ひゅうが」「あたご」で3隻、米軍のズムウォルト級駆逐艦1.2隻分となる。さすがにニミッツ級原子力空母はさらに高い(7000億円前後)
- これだけだと大した事がない額にも見えるが、1940年当時の日本のGDPは2014億ドル(1990年priceドル)である。同一価値換算で比較が出来る1990年当時の日本のGDPが3.1兆ドル。となれば1940年当時の経済規模は現在の15分の1程度と計算できる。
- 早い話、当時の日本が大和建造のために費やした負担は、今の日本が米軍の1空母打撃群に準ずる戦力を丸々揃えるよりも大きい。しかも建造してたのは大和だけではない。
- とは言えゲームと違う実物の大和は他の戦艦と比べてもそこまで燃費が違う訳でもない点には注意。むしろ、16ノットで10000海里の航続距離*35というのはかなり優秀なものである。19ノット相当では、大和は8,221海里、金剛型は8,300海里程度。搭載燃料はどちらもほぼ同等の6300〜6400tだったりする。現実の大和型戦艦は、その巨大さを考えれば通常航海なら世界屈指の低燃費艦でもあった。
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大和大学校
- 砲術士官達は大和の中で砲術の勉強会を開いており、彼らからは「大和大学校」*36と呼ばれていた。
(連合艦隊旗艦が武蔵に移り、連合艦隊司令長官がいなくなったため気の緩んだ乗組員の姿を見て、松田千秋艦長*37が
礁内出勤、運動訓練、主砲射撃訓練や士官を集めての兵稘演習を行ったのが始まり。)
大和ホテル
- 旗艦業務以外にする事は無く、当時の日本海軍が保有する最大のトラック泊地に投錨していた事もあり戦況が悪化するまでは定期的に夏島への上陸が許され、内地からの便りも滞りなく届き、新鮮な青果物も豊富に供給され、月に1、2回は甲板上に設けられた特設の劇場で映画の上演が行われるなど、ガダルカナルを巡る凄烈な戦いが行われている中にも関わらず大和以下の戦艦部隊は安穏とした日々を送っていた。このため陸軍将校からは「贅沢ですね」と皮肉を言われ、同じ海軍の人間からも「こんな贅沢で戦に勝てるのか?」と非難されていたという。
- お陰でついた仇名は、満州の主要都市に点在した満鉄傘下の高級ホテル「ヤマトホテル」と引っ掛けた「大和ホテル」。
- 「居住性が帝国海軍艦の中では破格の高さ」*38だったことも大和がホテルと呼ばれた一因だったが、停泊してる間ただ居住するためのホテルと化していた訳ではなく、
旗艦業務の他に入浴サービスの提供や陸奥と共に出動部隊に米・麦の補充の他、燃料供給や軍需部の仕事も請け負い出動部隊からは給糧艦とも呼ばれていた。
- もっとも、冷房設置などの居住性向上は最上型から行われており大和型に限った話ではない。
- 平穏時では士官食堂では軍楽隊の演奏がついていたが、これは艦内放送で全艦に中継され、下士官兵も食事には音楽付きである。
贅沢の極みのように言われているが、大艦隊の旗艦には軍隊儀礼および広報活動上軍楽隊の乗艦は必須であり、その技量維持のためには演奏機会が必要なため、食事時に演奏を行っているのである。
- 大和ホテルの逸話は比較的有名であるが、ホテル以外にも燃料搭載量を生かした泊地の貯蔵タンク代わりとして活用されていた。貯蔵タンクも足りず、代わりのタンカーも足りないという状況で、大和を含む戦艦部隊は泊地の貯蔵タンクとして日々活躍していたのである。ただし、燃料に余裕のある戦艦から駆逐艦等への給油を前提とした運用は特段おかしなことではなく、ごく普通にアメリカなども行っている。
受け継がれる大和の技術
- 終戦直後、図面などの物的資料は大半が処分されてしまったが、技術者達と彼らが持つノウハウだけは確実に残された。
事実、戦後いち早く復興の旗手になったのは造船業界であり、外国からの発注が相次いだ。その理由は「日本には大和型戦艦を造った高い技術力があるからだ」というものだった。
特に大和建造で培った西島式工数管理法やブロック工法による大型船建造のノウハウは、その後も長らくマンモスタンカー建造などに役だっている。
大和・武蔵は沈んだが、その技術は継承され、さらに発展を遂げたのであった。
- 更には、大和を設計した技術者達は、日本初の南極観測船「宗谷」の大改造に関わることになる。
なお、この宗谷はあの雪風に匹敵する強運を戦前から戦後まで持っているが、ぶっちゃけ書ききれないので詳しくは外部リンクのWikipediaにて。
- 大和型で培った技術力はもちろん造船以外の分野でも大いに役立った。一例をあげると、戦後復興の象徴・東京オリンピックに先立って「東洋一のホテルを」と建設された
「ホテルニューオータニ東京」最上階の回転レストランには大和主砲塔を回転させる特殊車輪技術が導入された。
直径45mの巨大構造体を、コップになみなみと注がれた水が一滴もこぼれない程スムーズに回転させる技術は世界を驚かせた。
……のだが、技術者曰く「大和型の主砲より軽いんだし余裕余裕」とのこと。アレと比べれば、確かに大概のものは軽いだろうが……。なお、開業50年を経て現役である。
大和の名
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| | 過去の大和
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- 艦名の由来「大和国」はかつて平城京を有した日本の中心だった場所であると共に、扶桑に並ぶ日本そのものを示す代名詞でもある。
- なお、戦艦大和は大和の名を持つ艦としては二代目で、初代は海軍黎明期の葛城型スループ艦二番艦。
日清・日露戦争に従軍し、測量艦を経て1935年に除籍された後司法省に譲渡され、浦賀で少年刑務所の施設となっていた。
最終的に解体されたのは1950年。名を継いだ二代目の方が先に逝ってしまったわけである。
- 測量艦時代の1926年、二年前に当たる1924年に日本海にて発見された海底山脈の精密測量を実施し、この山脈を大和堆と命名した。
この発見により、今まで一様に深い海だと思われていた日本海が実は起伏に富む海である事が明らかとなったのである。
- 何気に武蔵とは初代の頃から姉妹艦。ここの姉妹のようである。
- 初代大和の初代艦長を務めたのは、東郷平八郎中佐(当時)。
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- もちろん「大和」の名前は彼女が最後であるが、実は一度復活しかけたことがある。
- 3代目南極観測船として建造されていた砕氷艦の艦名を公募したところ、折りしも宇宙戦艦ヤマトブームもあり、日本人で初めて南極に到達した白瀬矗陸軍中尉が命名した「大和雪原」にちなんだ「やまと」が得票第1位となった。
しかし砕氷艦を運用するのは海上自衛隊。「やまと」の名前を易々と使えるはずもなく、最終的に戦後白瀬中尉を記念して名づけられた「白瀬氷河」に因んだ「しらせ」という艦名で決着した。
その他の小ネタ
- 艦内神社は大和国一之宮の大神神社(奈良県桜井市)ではなく、同名の大和神社(奈良県天理市)からいただいている。ただし、読みは「おおやまとじんじゃ」である*39。
- この神社の祭神の一柱には天皇家に連なるとされる太陽の女神、天照大御神がいる。
イラストレーターのしずま氏いわく、大和のデザインのモチーフにこの女神もあるとのこと。
- 時報では7時に朝食、12時に昼食、20時に夕食と言っているが、航海中の夏期日課では朝食、昼食、夕食はそれぞれ
6時15分、11時45分、17時30分、冬季日課では7時、11時45分、17時、碇泊中の夕食は夏期日課では16時15分、冬季日課では15時45分であった。
- どうして夕食、特に碇泊中がこんなに早いのかといえば、半舷上陸(正しくは入湯上陸)は夕食後となっていたからである。
乗組員は所属艦船が家という扱いであったのである。
概要
一部艦娘の改造には、アイテム「改装設計図」が必要となる。
2014/07/16現在、改装設計図が必要な艦娘は下記の4隻
入手方法
「改装設計図」は、アイテム一覧から勲章を選択し、使用するをクリック、
「改装設計図に交換」を選ぶことで交換することができる。
この際、「改装設計図」1つに対し勲章が4つ消費される。
改装前後のステータス
- 利根型航空巡洋艦:利根改二, 筑摩改二
No | 名前 | 改造Lv | 耐久 | 装甲 | 回避 | 火力 | 雷装 | 対空 | 対潜 | 索敵 | 運(初期/最大) | 搭載 | 速力 | 射程 | スロット | 燃料 | 弾薬 | 燃+弾 | 備考 |
63b | 利根改 | 25 | 56 | 77 | 79 | 76 | 79 | 79 | 0 | 79 | 10/? | 16 | 高速 | 長 | 4 | 45 | 65 | 110 | |
64b | 筑摩改 | 25 | 56 | 77 | 79 | 76 | 79 | 79 | 0 | 79 | 10/? | 16 | 高速 | 長 | 4 | 45 | 65 | 110 | |
188 | 利根改二 | 70+図 | 59 | 79 | 79 | 77 | 82 | 82 | 0 | 90 | 15/69 | 18 | 高速 | 長 | 4(2,2,9,5) | 50 | 65 | 115 | 航巡 |
189 | 筑摩改二 | 70+図 | 58 | 79 | 79 | 77 | 83 | 83 | 0 | 90 | 14/67 | 18 | 高速 | 長 | 4(2,2,9,5) | 50 | 65 | 115 | 航巡 |
- 龍鳳型軽空母:龍鳳
No | 名前 | 改造Lv | 耐久 | 装甲 | 回避 | 火力 | 雷装 | 対空 | 対潜 | 索敵 | 運(初期/最大) | 搭載 | 速力 | 射程 | スロット | 燃料 | 弾薬 | 燃+弾 | 備考 |
184 | 大鯨 | - | 39 | 37 | 39 | 15 | 0 | 36 | 0 | 48 | 20/59 | 8 | 低速 | 短 | 3(2,3,3) | 35 | 10 | 45 | 潜水母艦 |
185 | 龍鳳 | 25+図 | 39 | 38 | 49 | 20 | 0 | 48 | 0 | 64 | 20/? | 31 | 低速 | 短 | 3(18,7,6) | 35 | 35 | 70 | 軽空母 |
190 | 龍鳳改 | 50 | 48 | 57 | 62 | 32 | 0 | 62 | 0 | 74 | 24/79 | 45 | 低速 | 短 | 4(21,9,9,6) | 35 | 40 | 75 | 軽空母 |