練習ページ/12

Last-modified: 2015-07-05 (日) 20:45:45

大和の小ネタを短くしたいためBismarckのページを参考に大雑把に分けてみた。
元の文章内容は基本的に変更していないが以下の変更点がある
一、文章の並び替え
二、regionで閉じられていた表の開示(regionの解除)
三、一部文章内容の修正・分割 例:「トラックでの大和の任務〜」以降の文章の分割


現在regionで閉じられている部分については明確な基準にそって畳んだわけではないが
戦艦大和の小話的な物を拾い上げ、戦艦大和の性能などに関してはを畳みたいと考えている。

大和小ネタ改定案 Edit

軍艦に詳しくない人でも名前くらいなら知っているであろう、日本海軍の隠し玉にして世界最大の超弩級戦艦大和型の1番艦

設計や武装など

日本海軍きっての隠し玉であり、その性能は最高レベルの軍事機密として秘匿されていた。*23
その秘匿ぶりは議会を騙し予算を架空の陽炎型・伊号潜の建造予算や比叡蒼龍の改装予算に紛れ込ませていたほど。

  • 当然のように陸軍にも秘密、海軍内でも主砲の制式名を「四〇糎(センチ)」にする等、多くの海軍人も真のスペックを知らなかった。
  • 無論、当時の国民にもその存在を知らされることは無かった。そのため国民の間では「帝国海軍の象徴と言えば長門陸奥」というのが一般的であった。
  • 以上の理由に加え、後述するように図面等も終戦時に米軍の手に渡らぬよう大半が破棄されたため、大和型戦艦は現在のような知名度にもかかわらず、資料の少ない軍艦となっている。
    • ただし最近(といっても数年前)、全てではないものの相当量の設計図面が発見された。廃棄するには忍びないだかの理由で技師がこっそり持ちだしていたらしい。

折角最強の戦艦として就役したのに、当の日本海軍が「空母機動部隊こそ主力、戦艦はサブ」を立証してしまった、戦歴は色々悲しい艦。

戦歴

スペックに比して動かす負担もゲームと同様で高負担。

  • 一隻建造するだけで一個艦隊を余裕でぶっちぎる予算が吹っ飛ぶ。動かすとさらに燃料が消し飛ぶ。
  • 動かさなければ問題ないかと思いきや、弾薬庫内の適温維持などに主機を動かす必要があるため、結局吹っ飛ぶ。
  • ゲーム内の資源消費で水雷戦隊1個分が大和1隻分になっているのは実物と大体同じ量。ネタにされるボーキサイトの女王と違って現実でこうである。
お金の話

大和大学校

  • 砲術士官達は大和の中で砲術の勉強会を開いており、彼らからは「大和大学校」*36と呼ばれていた。
    (連合艦隊旗艦が武蔵に移り、連合艦隊司令長官がいなくなったため気の緩んだ乗組員の姿を見て、松田千秋艦長*37
    礁内出勤、運動訓練、主砲射撃訓練や士官を集めての兵稘演習を行ったのが始まり。)

大和ホテル

  • 旗艦業務以外にする事は無く、当時の日本海軍が保有する最大のトラック泊地に投錨していた事もあり戦況が悪化するまでは定期的に夏島への上陸が許され、内地からの便りも滞りなく届き、新鮮な青果物も豊富に供給され、月に1、2回は甲板上に設けられた特設の劇場で映画の上演が行われるなど、ガダルカナルを巡る凄烈な戦いが行われている中にも関わらず大和以下の戦艦部隊は安穏とした日々を送っていた。このため陸軍将校からは「贅沢ですね」と皮肉を言われ、同じ海軍の人間からも「こんな贅沢で戦に勝てるのか?」と非難されていたという。
    • お陰でついた仇名は、満州の主要都市に点在した満鉄傘下の高級ホテル「ヤマトホテル」と引っ掛けた「大和ホテル」。
  • 「居住性が帝国海軍艦の中では破格の高さ」*38だったことも大和がホテルと呼ばれた一因だったが、停泊してる間ただ居住するためのホテルと化していた訳ではなく、
    旗艦業務の他に入浴サービスの提供や陸奥と共に出動部隊に米・麦の補充の他、燃料供給や軍需部の仕事も請け負い出動部隊からは給糧艦とも呼ばれていた。
    • もっとも、冷房設置などの居住性向上は最上型から行われており大和型に限った話ではない。
  • 平穏時では士官食堂では軍楽隊の演奏がついていたが、これは艦内放送で全艦に中継され、下士官兵も食事には音楽付きである。
    贅沢の極みのように言われているが、大艦隊の旗艦には軍隊儀礼および広報活動上軍楽隊の乗艦は必須であり、その技量維持のためには演奏機会が必要なため、食事時に演奏を行っているのである。
  • 大和ホテルの逸話は比較的有名であるが、ホテル以外にも燃料搭載量を生かした泊地の貯蔵タンク代わりとして活用されていた。貯蔵タンクも足りず、代わりのタンカーも足りないという状況で、大和を含む戦艦部隊は泊地の貯蔵タンクとして日々活躍していたのである。ただし、燃料に余裕のある戦艦から駆逐艦等への給油を前提とした運用は特段おかしなことではなく、ごく普通にアメリカなども行っている。

受け継がれる大和の技術

  • 終戦直後、図面などの物的資料は大半が処分されてしまったが、技術者達と彼らが持つノウハウだけは確実に残された。
    事実、戦後いち早く復興の旗手になったのは造船業界であり、外国からの発注が相次いだ。その理由は「日本には大和型戦艦を造った高い技術力があるからだ」というものだった。
    特に大和建造で培った西島式工数管理法やブロック工法による大型船建造のノウハウは、その後も長らくマンモスタンカー建造などに役だっている。
    大和・武蔵は沈んだが、その技術は継承され、さらに発展を遂げたのであった。
    • 更には、大和を設計した技術者達は、日本初の南極観測船「宗谷」の大改造に関わることになる。
      なお、この宗谷はあの雪風に匹敵する強運を戦前から戦後まで持っているが、ぶっちゃけ書ききれないので詳しくは外部リンクのWikipediaにて。
    • 大和型で培った技術力はもちろん造船以外の分野でも大いに役立った。一例をあげると、戦後復興の象徴・東京オリンピックに先立って「東洋一のホテルを」と建設された
      「ホテルニューオータニ東京」最上階の回転レストランには大和主砲塔を回転させる特殊車輪技術が導入された。
      直径45mの巨大構造体を、コップになみなみと注がれた水が一滴もこぼれない程スムーズに回転させる技術は世界を驚かせた。
      ……のだが、技術者曰く「大和型の主砲より軽いんだし余裕余裕」とのこと。アレと比べれば、確かに大概のものは軽いだろうが……。なお、開業50年を経て現役である。

大和の名

過去の大和
  • もちろん「大和」の名前は彼女が最後であるが、実は一度復活しかけたことがある。
    • 3代目南極観測船として建造されていた砕氷艦の艦名を公募したところ、折りしも宇宙戦艦ヤマトブームもあり、日本人で初めて南極に到達した白瀬矗陸軍中尉が命名した「大和雪原」にちなんだ「やまと」が得票第1位となった。
      しかし砕氷艦を運用するのは海上自衛隊。「やまと」の名前を易々と使えるはずもなく、最終的に戦後白瀬中尉を記念して名づけられた「白瀬氷河」に因んだ「しらせ」という艦名で決着した。

その他の小ネタ

  • 艦内神社は大和国一之宮の大神神社(奈良県桜井市)ではなく、同名の大和神社(奈良県天理市)からいただいている。ただし、読みは「おおやまとじんじゃ」である*39
    • この神社の祭神の一柱には天皇家に連なるとされる太陽の女神、天照大御神がいる。
      イラストレーターのしずま氏いわく、大和のデザインのモチーフにこの女神もあるとのこと。
  • 時報では7時に朝食、12時に昼食、20時に夕食と言っているが、航海中の夏期日課では朝食、昼食、夕食はそれぞれ
    6時15分、11時45分、17時30分、冬季日課では7時、11時45分、17時、碇泊中の夕食は夏期日課では16時15分、冬季日課では15時45分であった。
    • どうして夕食、特に碇泊中がこんなに早いのかといえば、半舷上陸(正しくは入湯上陸)は夕食後となっていたからである。
      乗組員は所属艦船が家という扱いであったのである。

概要 Edit

一部艦娘の改造には、アイテム「改装設計図」が必要となる。
2014/07/16現在、改装設計図が必要な艦娘は下記の4隻

入手方法 Edit

「改装設計図」は、アイテム一覧から勲章を選択し、使用するをクリック、
「改装設計図に交換」を選ぶことで交換することができる。
この際、「改装設計図」1つに対し勲章が4つ消費される。

改装前後のステータス Edit

  • Bismarck級戦艦:Bismarck zwei
    No名前改造Lv耐久装甲回避火力雷装対空対潜索敵運(初期/最大)搭載速力射程スロット    燃料弾薬燃+弾備考   
    172Bismarck改309493699305805210/?16高速495115210
    173Bismarck zwei50+9694729706205220/8216高速4105135240
  • 利根型航空巡洋艦:利根改二, 筑摩改二
    No名前        改造Lv耐久装甲回避火力雷装対空対潜索敵運(初期/最大)搭載速力射程スロット    燃料弾薬燃+弾備考   
    63b利根改2556777976797907910/?16高速44565110
    64b筑摩改2556777976797907910/?16高速44565110
    188利根改二70+59797977828209015/6918高速4(2,2,9,5)5065115航巡
    189筑摩改二70+58797977838309014/6718高速4(2,2,9,5)5065115航巡
  • 龍鳳型軽空母:龍鳳
    No名前        改造Lv耐久装甲回避火力雷装対空対潜索敵運(初期/最大)搭載速力射程スロット   燃料弾薬燃+弾備考   
    184大鯨-3937391503604820/598低速3(2,3,3)351045潜水母艦
    185龍鳳25+3938492004806420/?31低速3(18,7,6)353570軽空母
    190龍鳳改504857623206207424/7945低速4(21,9,9,6)354075軽空母




*1 七九七号艦 46cm砲搭載
*2 七九八号艦、七九九号艦 両艦共に51cm砲を搭載
*3 ちなみに、全長だけでいうと戦艦大和は全長269m強の豪華客船タイタニック号よりも小さいことになる。
*4 当時、米国でも18インチ砲47口径砲が試作されており、アイオワ級に9門搭載する計画もあったが、大和型を16インチ砲艦と考えていたため、不要と考えられた。
*5 パナマ運河を通過できる船舶規格の最大上限のこと。パナマ運河の幅は約33mのためこれを超える艦はパナマ運河の通峡が困難となり、大西洋から太平洋に出る場合は南米をぐるりと迂回しなければならなくなる。
*6 非防御区画が少なくなるため
*7 主砲18インチ(46cm)8門以上 副砲15.5cm三連装砲4基or20cm連装砲4基 速力30kt以上 防御 主砲弾(18インチ砲)に対して20,000km〜35,000kmでの命中に耐える 航続距離 18ktで8,000海里
*8 公試状態で浮かんでいるときに側面から艦を見た時の長さ
*9 A-140では3連装3基を全て前部甲板に集中配置
*10 A-140G ディーゼル:70,000 タービン:70,000の併用型
*11 A-140F3、5 ディーゼル:60,000 タービン:75,000の併用型
*12 一度搭載した機関を換装しようと考えた場合機関室を取り囲む分厚い甲鈑を一度切り開かなくてはならないため、工期が長期間に及ぶ事に加え、今後改善される可能性があったとしてもそれでは大和型の竣工が遅れるだけであり、現状の頻繁に故障を起こす信頼性の低いディーゼル機関は主力艦たる戦艦に搭載するには不適格とされた。
*13 同型の艦本式ロ号ボイラーを搭載した比叡では蒸気圧22キロ、加熱蒸気300度となっているため、それよりも高圧・高温の大和型ではエネルギー効率自体は僅かではあるが上昇している
*14 大和と同じタービンを搭載した初春型駆逐艦のタービンが2万1000馬力で、それを8基搭載したことから16万8000馬力を発揮した。
*15 武蔵は公試で16万6520馬力を記録。こちらは15万馬力で運用した。
*16 なお利根型が主砲前部集中しているが、これは水上機を運用するためである。ネルソン級は主砲前部集中に起因するトラブルが多発しており、大和型がこの配置を採用しなかったのは結果論としてよかった
*17 また、航続距離、燃費、艦の小型化のためにタービンとディーゼルの混合搭載案まであった、今で言うCODAS艦であるが、試作としてディーゼルエンジンを搭載した潜水母艦大鯨は、期待した出力を出せなかった
*18 終末運転公試でも最大28.33ノットを記録
*19 出典元 KKベストセラーズ 戦艦大和建造秘録 「第2章 大和建造の記録 軽荷重心公試時重量調査表」P418
*20 出典元 双葉社 戦艦武蔵の最後「戦艦武蔵のメカニズム考察」 P95
*21 艦橋最上部の乗員が揺らされて負傷した
*22 戦艦などの大型艦でシフト配置をした場合バイタルパートが長くなるだけであり、小型艦のように生残性の向上は見込めない。
*23 軍縮条約脱退などで日本が新型戦艦の建造を計画していること自体は諸外国に知られていた。
*24 第二次ソロモン海戦では支援艦隊として出撃し夜戦での敵機動部隊の追撃が試みられたが距離、燃料、索敵結果から途中で作戦を断念し帰投
*25 あ号作戦のため中止
*26 元々支持構造の脆弱性は射撃実験の段階で発覚しており、若干の強化が施されたものの不十分だった
*27 出典元 KKベストセラーズ 戦艦大和建造秘録 「第3章 戦艦大和の生涯 米潜魚雷1本を喫す」P460
*28 出典元 アジア歴史資料センター リファレンスコードC08030566400 『昭和20年4月6日〜昭20年4月7日 軍艦大和戦闘詳報』
*29 出典元 KKベストセラーズ 真相・戦艦大和ノ最後 原勝洋 第7章「大和を攻撃した米海軍百十七機」P158
*30 第1波で「ベニントン」搭載VB-82のSB2C-4Eが1機、「ホーネット�」搭載VT-17のTBM-3が1機、「ベローウッド」搭載VT-30のTBM-3(爆装)が1機。第2波で「バンカーヒル」搭載VT-84のTBM-3が1機。第3波で「イントレピッド」搭載VB-10のSB2C-4Eが1機。
*31 第一次攻撃隊の往路で「バンカーヒル」搭載VF-84のF4U-1Dが突如錐もみ状態に陥り、そのまま海面へと激突。
*32 出典元 アジア歴史資料センター レファレンスコード C08030103200 昭和20年年2月1日〜昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報 (3
*33 出典元 アジア歴史資料センター レファレンスコード C08030566400 「昭和20年4月6日〜昭20年4月7日 軍艦大和戦闘詳報」
*34 出典元 KKベストセラーズ 真相・戦艦大和ノ最後 原勝洋 第11章「必殺の一撃は「大和」右舷への魚雷四本」P201
*35 航続距離過大とされ重油搭載量は計画時の6300tから5300tへ減らされ空いた燃料タンクは予備浮力とされた。
*36 海軍大学校は大学ではないので、艦長を学長でなく校長と呼んでいた
*37 猪瀬直樹の「昭和十六年夏の敗戦」にも登場する、その後標的艦摂津?日向の館長を経て着任、後に第四航空戦隊司令官で艦これではお馴染み
*38 兵員居住区の1人当たりの床面積が長門の2.6に対して大和は3.2
*39 双方の神社は鉄道で3駅しか離れていない、山の辺の道のハイキングコースでもあり、間には巻向遺跡もある