震電改
Last-modified: 2015-07-10 (金) 16:44:06
No.056 |
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| 震電改 | 艦上戦闘機 |
装備ステータス |
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火力 | | 雷装 | |
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爆装 | | 対空 | +15 |
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対潜 | | 索敵 | |
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命中 | | 回避 | |
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射程 | | |
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装備可能艦種 |
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駆逐艦 | 軽巡洋艦 | 重巡洋艦 | 戦艦 |
軽空母 | 正規空母 | 水上機母艦 | 航空戦艦 |
備考 |
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2013年5月イベント E-4クリア報酬 開発不可能 |
九州飛行機&海軍航空技術廠が生み出した、先進的なエンテ型の試作戦闘機「震電」。 推進プロペラを後方に配置し、重火力を機体前部に集中させた。後進翼の機体は、まさに未来と希望を感じさせるもの 現実世界では、海上に飛び立つことのなかった機体ですが、「艦これ」では着艦フックと尾翼等を補強して登場です! |
ゲームにおいて
- 2013年5月限定海域「敵泊地へ突入せよ!」において、最終海域「敵泊地強襲!」の海域突破報酬として入手が可能だった。
- サービス開始から一ヶ月も経っていない時期のイベントだったため入手者はかなり少ないオーパーツ。
そして全装備図鑑コンプの最難関
- 横須賀鎮守府でも様子見・不参加で未入手の人が多く、他のサーバー住民はイベント後スタートなので入手者がいない。
- ただし異動
(またの名を左遷)された人もいるため横鎮のみとは言い切れない。
- ちなみに1年以上装備実装されていない装備といえばもう一つ魚雷にある。
- ちなみにこのイベント、あまりの難易度の高さのためか、後でE-1~E-3の難易度が下がった。なお下がる前にE-3を攻略していた人には彗星一二型甲が手に入った。+運営から公開処刑というなの晒しもあったが
- もっとも難易度が下がっても当時の5%ほどの提督しかE-4を突破できなかった模様。下がる前は1%未満とか言われていた模様。
- 難易度が高かった原因としては艦種指定もそうだが、装備が全然ないこと、「無慈悲なうずしお(※公式表現)」、当時の潜水艦の仕様(正規空母も吸われた&耐久が高い)、当時のゲージ回復の早さ+猫爆撃等があった。
- また建造or開発レシピなし。キラ付遠征の法則、夜戦攻撃の法則、制空権の法則、攻撃力の計算方法の不明だった点。
- 決め手は渦潮による資源不足と当時は中破撤退推奨。中破轟沈説が主流だったこと。この点当時の難易度を推測することは容易だろう。(当時米帝プレイをやっていた人は楽だったのかは不明)
- 今やったら間違いなく楽勝と思われるが
- 対空値+15と言うあまりに高い能力値を誇るオーパーツ。
- 烈風の1.5倍の性能であり、2014年春イベントでも配布された烈風改と比べても1.25倍である。
- 高性能すぎるためか、登場から2年以上経っても未だに開発できない。
- 具体的には加賀改の46スロに乗せるとこれ一つで制空値101である。烈風改は81、烈風は67なのでこれだけでかなりの差が出る。
- ただし仮に開発可能となっても開発可能理論値の時点でボーキ280と電探レシピのボーキ(250)を超えてしまう。
- 14年秋イベでFuMO25 レーダーが実装されてこちらも開発不能だがボーキの理論値は290とついに陥落した。
- 2014年6月6日のアップデートまでは唯一の☆5装備であったが、天山一二型(友永隊)が出現したため、唯一ではなくなった。
- また7/18のアップデートで彗星(江草隊)も☆5装備となった。のちに艦隊司令部施設も☆5となった。
- その後着々と☆5装備が増え、2年目の2014年~2015年で☆5装備が一気に5個も増え、3年目1個増えたため、2015-07-28現在7個である。
- 同様に☆4装備もこの1年でかなり増えた。
- それでもこちらは1年以上入手困難とやはり別格を誇る。
- ちなみに唯一の☆5かつホロ背景止まり。
実装時期の問題か。
- 2014年10月のアップデートでついに装備ロックが実装された。この装備を持っている最古参提督が誤破棄するとは思わないが一応保険でロックしておくといいかも。
- 2015年5月17日。ついに実装から2年が経過してしまった。このまま幻の装備として語られるのだろうか。
- ものすごく余談だが、実装当時震電改の制空値が0になるという特大なバグがあった。(地味に紫電改二もだが)
- 2015年現在では艦戦系統では最強だが、当時は制空値計算式も不明であり、また仮に知っていても制空値0という罠により制空権喪失となりボーキもぶっ飛ぶという悲しい過去もあった。
- なお、当時の公式修正時の文言が「その性能を発揮しきれず明太子食堂となっていた感のある震電改」という言い方をされた為、古参には明太子食堂と呼ぶ人もいるとかいないとか。
- 何故明太子食堂なのかは、カードイラストの妖精さんを参照。
小ネタ
- 元ネタは大戦末期の日本海軍試作戦闘機J7W1震電。なぜ「改」がつくかの推察は後述。
- 開発元は九州飛行機。作った機体の大半が練習機や偵察機で、零戦等を作った三菱や、紫電改等の川西、九七式艦攻等の中島と比べるとかなりマイナーなメーカーである。
- 実際、震電開発時に九州飛行機の中の人が「本気で主力戦闘機を作ろうとするならウチなんかに頼まないだろう」と自虐している。
- 大手メーカーは戦争末期の苦境の中で過労死状態。こんな斬新過ぎる機体を開発できるメーカーは限られていた。
そんな中たまたま海軍の陸上対潜哨戒機「東海」の開発を終えて余裕のあったこの会社に白羽の矢が立ったというのが実情のようである。
- もっとも親会社は、今に続く魚雷発射管の名門・渡辺鉄工であり、海軍では名の知られた会社。発令からわずか13ヶ月で試作機を完成させている。
- 設計は、海軍航空技術廠の設計者にしてテストパイロット・鶴野大尉。400ノット(740km/h)の戦闘機を実現させるため、この機体構成に行き着いた。彼はいつでも「400ノット」とつぶやいていたという。
- 世界最強戦闘機を自分で設計して自分で飛ばすという「男の子の夢」を実現した史上数少ない人物である。
- 尾翼が機首に付いたその特異な形状(エンテ(Ente)型。ドイツ語で鴨とか雁とかの意)はマニアの間ではおなじみ。ちなみに妖精さんが座っている左側が進行方向です。
- ただ、エンテ型機は零戦のような通常の飛行機に比べ(特に縦方向の)安定性が悪く操縦が難しいという欠点がある。
また後ろにプロペラがあるので、脱出時に操縦士が巻き込まれてミンチ製造機になる恐れもあった。
このため震電は、緊急時には仕込んだ爆薬でプロペラをぶっ飛ばす予定だったとか。
- 鶴野大尉は、震電の設計の利点として、無駄な部分がなく、重量的に有利であることを真っ先に上げている。
- 前部胴体には五式30ミリ機関砲4門がみっしり詰まっており「伽藍堂」になっている部分はない。
- その部分はユニット形式になっていて、新しい武装が開発されたときにはそっくり載せ替えられるようになっていた。
- つまり軽量型20ミリ機関砲4門装備やロケット弾ポッド搭載なども考えられたというわけ。エンテ型は重心の許容範囲が広く、このような改造は容易である。
- エンジンは機体の後端にあるわけではなく、翼の上にのせてあり、これを延長軸をつけて機体後端のプロペラを回していた。
つまり、操縦席より後ろは胴体とは言えず、言うなればエンジンカウルなのである。
エンジンその他駆動系の重量は、すべて翼に乗るように工夫され、マスの集中化が図られている。
- 長い主脚は彩雲から、前脚は景雲から流用した。後につけられた接地防止用補助輪も工場にあった白菊の尾輪をつかった。鶴野大尉はこういうところは合理的である。
- 景雲の全備重量は8.1トン、彩雲は同5.25トンの上に艦載機であり、同条件で4.9トンかつ前輪式の震電には、むしろ過剰強度といえる脚である。
- アメリカでもXP-55アセンダーというエンテ型戦闘機が開発されたが、無理があったらしく開発中止に。
- アセンダーのエンジンはV型液冷のアリソンV-1710。P-40、P-39、P-38などに使用され実績の充分あるエンジンだが重要なのは液冷ということ。
当然の話だがエンジンカウルが後ろを向くこの形式では、冷却に多くの空気を取り入れる必要のある空冷には不利極まりなかった。
この形態の戦闘機を研究していた国は他にもスウェーデンがあるが、いずれにせよ空冷をやらかしたのは日本だけである。
もっとも同種の無茶はイタリアに一例あるが……*1*2
- 空冷エンジンを用いたことから冷却設計には注意が払われ、後部に強制冷却ファンを装備したほか、エンジン排気を導くことでカウル内の気流を加速し、均等な冷却が行われるように工夫されている。
- B29迎撃用として開発が開始された。最高速度が時速750kmなど計画上での性能は高い。またエンジンが機体やや後部にあるので、前部に30mm機関砲4丁をガン積みする予定だった。
- が、1号機が完成したのが1945年(昭和20年)6月、初試験飛行が行われたのが同年8月3日で、実戦には間に合わなかった。
- 1号機は米軍により押収され、現在はメリーランド州のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設*3にて分解されたまま
埃をかぶっている保存されている。
- この震電は「もし量産開始が間に合っていたら」と語られることが多いが、実戦で使えるシロモノだったのかというのは結構微妙らしい。
- 空襲で量産体制整えられないだろうだとか、操縦するパイロットいないだろうだとか、そういうのを抜きにしても微妙。
例えば「星型空冷エンジンをこんな所に設置してちゃんと冷えんのか?」「ていうか30mm*4を斉射したら振動ヤバくて当たらないんじゃね?」「ていうかエンジンが信頼できない」などなど
- 長い降着装置、プロペラ延長軸、強制空冷など「一個取り入れたらそれだけで納期が延びる要素」満載であるorz
- なお、試験飛行では低速飛行時に発生するはずのエンジン過熱は問題になっていない。
- 過熱が問題になっていたのはオイルの方で、オイルクーラのインレットの形状を変えることになっていた。
- いずれにしても、震電が空を飛んだ時間は数回の試験飛行で合計45分なので、実際どのような性能になっていたかはわからないだろう。
もしかしたらとんでもない失敗作だったかもしれない
- なお、初飛行に成功する数週間前にも飛行試験に挑んでいるのだがその時は機首上げでプロペラを滑走路に擦り見事にプロペラを曲げてしまい失敗している。
その対策として側翼の下に練習機用の小さな車輪を取り付けた。
- なお、その時の映像が残されている。
- 初飛行時のパイロットは鶴野大尉。つまり、ほかならぬ設計者自身である。最初のトライでプロペラを破損した件については、「つい、やってしまったんですな」と後年製作されたTV番組で述べている。
- プロペラをジェットエンジンに変えるだけで飛べる(ように見える)ことから「震電をジェットエンジン、またはロケットエンジンに換装したものが震電改」とされることがある。
実際にはそのような計画は存在せず、開発元の九州飛行機でも「機体はジェット化を目的とした設計では無い」「話には上がっていたが何も進んでいなかった」という事らしい。
- ジェットエンジン自体は存在していたが、問題が山積している中での開発で「橘花(ドイツからの技術提供によるジェット機)」の試験飛行も何とかたどり着いた状況だった。
- しかし、実際に航本ではある程度計画を進めていたとする説もあり、専門家によって意見が分かれる*4。
- ジェット化震電の可能性は有耶無耶ながら、プラモデル化され「震電改」の名称で販売されている。
- さて本機も「震電改」であるが、機体解説文に読むに「本来は地上用の震電を改造して艦上戦闘機としたヴァージョン」という艦これオリジナル設定の架空機体と思われる(命名法は紫電改二に倣った発想だね)。
名称に「改」が付いている理由はそういう立ち位置ゆえなのだろう。
- 現在でもフィクションでは零戦に次ぐ大人気。ウィキペディアに「震電に関連する作品の一覧」というページが成立するほどである。
- 「未完成の悲劇の機体」「予定では驚異的な高性能」「以上の2つの理由からして、完成していたら勝っていたかもという期待を感じさせる」「レシプロ機とは思えない特異な外見が
厨二マインド永遠の少年達の心を刺激してやまない」という、いろいろな好条件がてんこ盛りゆえだろう。
- 開発がギリギリ間に合って米軍になんとか一矢報いる正統派(?)から、
フィクションで3番目に人気の(これまた計画倒れな)日本の超大型6発戦略爆撃機『富嶽(G10N)』の護衛として米本土まで飛んでいったり、
魚雷や爆弾を積みながら制空戦闘もこなすマルチロールジェット機になったりと、夢とロマンと妄想とチート歴史修正詰め込みすぎの大活躍。
- ゆえに「着艦フックと尾翼を補強して最強の艦上機に」なんてのは非常に大人しい部類に入る。
- 「1950年になっても戦争が続いている」「対米戦争が起こらず、日米同盟でソ連と戦う」ようなif世界と相性がいい。
そのくらいしないと開発できるわけないじゃん、ということでもある。
- こういう状況から、最強の厨戦闘機という異名まであったりする。夢は見たいがあまり現実離れすぎるのも考えものかな……せめてフィクションの中でくらい夢見させてクダサイ
- 妖精さんが明太子を食しているのは福岡の飛行機メーカー(九州飛行機)が開発に携わったからだろうか。
- 極めて余談だがこの九州飛行機、戦後は渡辺自動車工業と改名し、バス車体メーカー(西日本車体工業)の子会社となって成功した。飛行機製造技術の転用が上手くいったことに合わせ、西鉄の勢力圏という地の利もあったと思われる。なお、2001年に会社は清算し解散している。
- 元の親会社である渡辺鉄工のサイトに、震電の特集ページがある。
この装備についてのコメント