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日向改

Last-modified: 2015-07-26 (日) 19:38:14
No.103
やっと時代が私に追いついたのか……。日向・改(ひゅうが)伊勢型 2番艦 航空戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久77火力63 / 79
装甲-- / 92雷装0
回避36 / 77対空45 / 89
搭載47対潜0
速力低速索敵20 / 49
射程30 / 79
最大消費量
燃料95弾薬105
艦載装備
1135.6cm連装砲
11瑞雲
11未装備
14未装備
改造チャート
日向日向改(Lv10)
航空運用能力を付与された航空戦艦、日向だ。
レイテでも奮戦したぞ。
戦略物資輸送作戦「北号作戦」も思い出深いな。
ああ、そうだ、海自のDDH「ひゅうが」に名は受け継がれている。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、改造直後の値とは異なります。
最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 基本的な部分は伊勢改を参照されたし。
  • 伊勢と同様、史実ネタにかけて運の数値がさらに+15上昇している。
  • 台詞では姉や最上改をはじめ、航空戦力好きな一面を見せてくれる。
  • 2014年4月23日のアップデートで弾着修正射撃が実装された結果、(制空権争いに勝つ必要はあるが)姉ともども昼夜を問わない連撃・カットインの鬼と化した。
    敵に空母がいない場合は、瑞雲シリーズや晴嵐のみでも制空権を取れるので、運用の幅も大きく広まったといえる。
    航空戦艦時代の到来かっ!?
  • 2014/10/24メンテにて装甲最大値が87→92に上方調整され、伊勢改と全く同じになった。
    • 同メンテ前に姉より2低かった理由は諸説あるが、「幾度もの事故で体に無理が来ている」説が有力か。
      バスト胸部装甲のサイズ説も根強い
  • 2014/10/24メンテにて艦載機搭載数が44→47に上方調整された。
    • 〜2014/10/24 搭載数44【11,11,11,11】
    • 2014/10/24〜 搭載数47【11,11,11,14】(4スロットのみ+3)
      ※燃料/弾薬を補給しないと艦載機が補充されないことに注意
  • 「これからは航空火力艦の時代だな」「単なる戦艦の時代は終わったな」「艦載機を放って突撃、これだ」「まあ、そうなるな」「VLS?そんな装備は知らんぞ」
    などなど名言(迷言)が多く、提督同士の会話で上記のセリフやそれを改変したものなど、日向のセリフに由来する言葉がたびたび交わされている。
    • なお、彼女が「瑞雲」に直接言及したのは平成26年の年末ボイスが最初であり、巷で言われているような瑞雲愛好家的な側面は、少なくとも表面上は見受けられないことに注意。
      彼女の言動は、戦艦の火力防御力と航空戦力の融合による「航空火力艦」推しである。

小ネタ Edit

  • 航空戦艦姉妹(妹)。が、例によって艦載機の配備遅延などで航空戦艦としては運用してもらえなかった。
    この時の事情は、2014年3月14日にめでたく新実装された瑞雲(六三四空)の小ネタで解説されている。
    • が、その飛行甲板に山のように対空火砲を増設。*1
      同時期の長門金剛榛名をも軽く上回る圧倒的な防空火器を備えている。さすがに大和には劣るが、攻撃側としては回れ右したくなるような対空火線を誇った。
  • 航空戦艦改装時、海軍は改装計画として三つの案を持っていた。
    • 後部の砲塔2基を撤去して飛行甲板をつける第1案。
      これが採用されたのだが、この案を強く推したのは意外にも航空戦を管轄する航空本部だったという。
      一番航空機搭載数が少ない案なのだが、工期が短期間で済むという利点があり、航空本部が母艦戦力をどれだけ渇望していたかがわかるというものである。
    • 後部と中部の主砲4基を撤去して前部の2砲塔だけ残す第2案。
      工期が長引くということで蹴られた案だが、軍令部の「昭和18年度中に工事を完了すること」という最重点指示を満たせると呉海軍工廠は自信を持っていた。
      搭載数40機程度を確保できる案だが、主砲2基4門だけでは砲撃戦で有効な砲撃ができなくなることや、ここまでやっても艦上機の着艦が不可能なこと、第1案に比して工期が長引くことなどの理由で流れた。
    • 完全空母化する第3案
      計算では、1段の格納庫と全通飛行甲板を備えることで、蒼龍並みの搭載数を持ち、防御力に優れるが速力に劣る空母になるとの試算だった。
      速力25ノット程度では、通常は天山や彗星といった新型機の発艦が困難ながら、戦艦譲りの巨体を活かして飛行甲板に余裕ができるため、それらの発艦・着艦も支障なく行えるというものだった。
      完成予定が昭和19年中旬以降にずれ込み、また資材の余裕もなかったために真っ先に蹴られた。
    • こういった紆余曲折を経つつも、日向と伊勢の改装はそれぞれ約半年で完成した。建造中止になった大和型戦艦4番艦の資材を流用しての改装だった。
  • 仮に計画通り航空機を搭載して、計画通りガチンコの空母決戦に投入できていたら・・・
    雑誌「丸・平成26年7月号〜伊勢型戦艦特集」の記述を借りるならば、
    伊勢・日向2隻の艦載機だけで赤城の艦攻・艦爆数に匹敵し、連続射出可能なカタパルトで短時間で全機発艦でき、空母戦の肝である先制攻撃で敵空母の甲板を爆撃で叩き潰し、
    敵前衛艦隊の追撃を自前の艦砲で蹴散らし、突撃しての掃討戦にも威力を発揮するという夢の様なロマンが実現していたかも・・・・・・しれない。
  • 一時解隊後再編成された四航戦(第四航空戦隊)の旗艦を拝命し、改装後初の実戦としてレイテ沖海戦に参加。
    姉ともども艦長が素人同然だったが、松田司令官謹製の爆撃回避マニュアルと航空改装で増強された対空火力ががっちりかみ合い、ほぼ無傷と言っていい状態でエンガノ岬沖海戦を生き延びる。
    一連の海戦において帝国海軍は大敗したものの、日向と伊勢は作戦を完遂して無事帰還した。
    • 航空戦艦に改装され、後部5・6番主砲を撤去したことで重量バランスが改善され、運動性が上がったという証言がある。
      もともと伊勢型は舵の効きがピーキーで操艦が難しい艦として有名だったが、レイテでの回避力は改装の副産物とも言える運動性向上の恩恵もあったかもしれない
  • 海戦後一旦内地に戻った日向は伊勢と共に射出機を取った後、輸送任務に従事するため再び東南アジアへと進出(所謂H部隊。概略は伊勢改を参照されたい)。途中で軽巡大淀や重巡足柄、複数の駆逐艦と合流し共に各地を転々とした。
    停泊中は四航戦と足柄・大淀が敵役となって駆逐艦の訓練相手をしていたと言う。*2公式4コマで伊勢型姉妹が教官役をしているのはこれが由来かもしれない。*3
    • ちなみにアメリカ軍は四航戦をフィリピン戦線の懸念材料*4としており、この大移動は残存勢力の集合と捉え、
      「いつ攻めてくるか分からない」と北号作戦まで執拗に追いかけ続けることになる。(特に攻撃を許した礼号作戦後はさらに彼女らの動向にピリピリしていた)
    • しかし偵察機を飛ばして彼女らを見つけても、偵察機の存在に気づかれていて逃げられもぬけの殻だった、というのを何度も繰り返す羽目になる。
      特にエンガノ岬沖海戦で取り逃がして以来四航戦に執心していたアメリカ海軍第三艦隊指揮官のハルゼーはそのたびに歯噛みしていたとか。
    • その意図を読み取ってか、北号作戦において松田少将もフィリピンに突入すると見せかける航路を取り、米軍に脅しをかけていた。
      まさか輸送作戦に従事していたとは夢にも思っていなかったのである。
  • 44年12月末、ベトナム沿岸のカムラン湾に進出していた日向は、礼号作戦に出撃する足柄から南西方面艦隊司令部を移乗させて、支援任務とともに木村艦隊の指揮を執っている。
    その後も伊勢・大淀足柄らとともに、連合軍の執拗な空襲を時には回避、時には迎撃しつつマレー半島やボルネオ島などの各地を渡り歩いていた。
  • 45年2月には戦略物資輸送作戦「北号作戦」に艦隊旗艦として参加。格納庫に戦略物資を満載して僚艦ともども無傷で帰還した。
    全滅覚悟の作戦だったが、それでも全艦無事に帰投した彼女らを見て海軍上層部が狂喜乱舞したらしい。
    完部隊と名付けられた北号作戦参加艦艇は、日向、伊勢、大淀初霜朝霜の6隻。2015年冬イベントで朝霜が実装されたことによって、完全再現が可能となった。
    護衛戦闘機や哨戒機の支援なき過酷な任務だったが、伊勢姉妹と随伴艦の持ち帰った物資は総計しても中型輸送船1隻ぶんにも満たなかった。
    しかも帰ってきた頃には燃料不足で出撃もままならず、呉港外(情島沖)で浮砲台となった。
    • この北号作戦において日向は伊勢に攻撃を仕掛けようとしていた米ガトー級潜水艦「バッショー(SS-241)」に向けて主砲を発射、命中こそしなかったものの至近弾によって追い払うことに成功している。なおこれが日本海軍の戦艦による「艦船目標」に対して行った最後の「主砲発射」である。
    • 帰還した時、松田少将による燃費重視の航行の甲斐もあって、日向と伊勢の燃料タンクには相当量の燃料が残っていた。
      しかし、その燃料も大和に移され、これを以って大和は最後の戦いに散っていった。
  • 以上のように、戦中は改装中を除いて第二戦隊・第四航空戦隊の旗艦を務めていたが、彼女が旗艦を務めた戦隊・艦隊・作戦とも、
    日向の指揮下の艦艇には一隻も損失がないという、特に戦争末期に活動した艦としては非常に幸運な記録を持つ。*5
    • 戦艦時代の事故連発が嘘のようである。航空戦艦となってからは「無事之名艦」とでもいうべき活躍だった。
      戦艦時代の暗い言動とうって変わって、航空戦艦で吹っ切れたような艦これでの彼女の変化は、この辺りを意識したものなのかもしれない。
    • 海軍内でも彼女の強運は有名だったようで、全滅も懸念されていた北号作戦の時も「日向、伊勢、大淀は運が強いからきっと大丈夫だ」という意見も出てたほど。*6
    • 彼女たちが被弾したのは、北号作戦後に第四航空戦隊が解隊された後である。
      燃料不足のために第一予備艦(作戦参加の機会ができれば直ちに復帰できる状態)となり、動けなくなってはさすがの日向もどうしようもなかった。
  • 連合艦隊主力艦でも数少ない生き残りだった榛名ともども呉鎮守府近海に停泊していたが、3月19日と7月24日の2度行われた呉軍港空襲で大破。
    草川艦長(北号作戦後に野村艦長と交代)以下計204名が戦死し、重軽傷者は600余名に及んだ。
    • 沈没ではないにも関わらず、乗員の死傷率は7〜8割にも達するという壮絶な戦闘であった。
    • 前記のように、特にレイテ沖で取り逃がした「航空戦艦」をこれまでつけ狙っていたハルゼー麾下の攻撃隊は、24日の空襲でその約7割が日向に殺到したという。
    • 多数の至近弾が弾薬誘爆を起こし、浸水で7月26日に着底したが、残存クルーが無事だった機銃と12cm対空噴進砲で28日の空襲にも応戦し、終戦まで戦い続けた。
      航空写真を見ると甲板の半分近くが水面下だが、それでも迎撃を行ったクルーの根性には頭が下がる。
    • 戦後、アメリカ軍が着底した日向を調査した貴重な映像がカラーで残っている。
      船首は吹き飛び、飛行甲板も直撃弾でボコボコにされ、艦橋もボロボロのままで佇む姿は、いかにこの空襲が激しいものだったかを伝えている。
      しかしここまで破壊されても、戦艦の命とも言える主砲は4基とも最期まで無事であった。
  • 戦後に復興資材として引き揚げられ解体されたが、この時の逸話がまた凄まじい。
    • 解体するために引き取ったスクラップ業者が、作業のために日向を浮揚させたところ、これに目をつけた鉄泥棒が艦内に侵入。
      泥棒が金でできたバルブを叩き壊すと、浸水してまた着底してしまった。生涯2度も着底した軍艦など探してもそうはいない。
    • これを裁く裁判で、浮揚したとはいえ航行能力のない船は、刑法260条(建造物等損壊の罪)でいうところの「艦船」になるのか?という議論がわき、結局「艦船」ではなく「建造物」として裁かれたという。(窃盗未遂器物毀棄被告事件 広島高等裁判所昭和28年(う)第196号
      • 海底に6年間も沈んでいて錆で腐食し、さらに3分の2を撤去されていたためもはや航行能力はないという理由で艦船ではないとされ、さりとて下甲板以下の巨大な構造をまだ残しており、さらに毎日7,80人ほどの作業員が解体作業のため出入りしており、地上ではないとはいえ一定の場所に係留されていたため単なる器物やスクラップの塊とも見なされず、結果として建造物扱いを受けるに至ったようだ。
    • さらに、浮揚作業員の待機所として使われていた第59号海防艦が、荒天のために日向と接触して沈没してしまった。
      • このように人災天災の連続で、日向1隻を浮揚する作業で逆に2隻が着底してしまったという、非常に困難な作業だった。
    • その後生涯2度目のサルベージを受けて、昭和22年7月4日、播磨造船所呉ドックにて解体が完了した。
      呉海軍墓地にある「軍艦日向慰霊碑」とは別に、この困難だった浮揚解体作業を記念する「伊勢日向浮揚解撤記念碑」が、広島県呉市音戸町にある。
  • 唯一残された航海灯と軍艦旗が大和ミュージアムに所蔵されている。
  • 数多くの有名軍人を輩出した歴代艦長の中でも、特筆すべきは第30代艦長の松田千秋(海兵44期)であろう。日向艦長の後に大和の三代目艦長を務めて少将に昇進、四航戦司令官として再び日向に座乗した人である。
    • ガチガチな印象の強い砲術出身であるが、駐米武官の経験もあり視野の広い指揮官だった。でも渡米経験のある士官としては珍しくアメリカ嫌い。
    • 総力戦研究所所員時代、研究生採用試験にあたって現在も広く使われている面接という単語を提唱した。
      • 現代の面接のように試験官と受験者の対面形式の試験自体はこの当時すでに行われていた。この形式の試験名に「面接」という単語を松田が提案し、採用されたということである。
    • 伊勢型・扶桑型の航空戦艦構想を主導したのもこの人である。
      またこの人の主張で電探の採用・開発が加速した経緯*7もあり、色んな意味で先見の明と行動力に富んだ提督だった。
    • 標的艦「摂津」*8の艦長時代に航空攻撃回避術*9と弾幕射撃術*10を研究し「空襲は全て回避できる」と豪語し、日向と伊勢の四航戦司令官として実際にそれをやってのけた超人であった。
      この人のおかげで日向と伊勢は航空戦艦となり、艦これでも強運・高回避艦になれたと言って差し支えないであろう。
    • 戦後はその構想力を活かして会社経営、発明家として100個以上の特許を取った。
  • 時は流れ平成の世、横浜で1隻のヘリ空母ヘリ搭載護衛艦が進水した。
    • 護衛艦として初めての全通甲板を持ち、自衛艦として初めて統合司令部機能を備え、災害派遣でも活躍できるよう医療体制も完備し、
      また初めて女性自衛官が乗り込むことを前提に設計された船でもあり、まさに革新的な新世代護衛艦の1番艦だった。
    • その記念すべき最新鋭護衛艦にDDH-181「ひゅうが」と名付けられた。海上自衛隊として初めての旧国名採用であった。
    • 「ひゅうが」の多目的室の一角に、ひゅうがと、その背後で守護神のように見守るかつての伊勢型航空戦艦の絵が展示されている。贈呈者はかつての敵手であったアメリカの企業である。
      米企業とは「ロッキード・マーチン社」。ひゅうが型護衛艦に搭載されるのではないかと一部で噂されていたF-35を作っている会社だったりする
      実は後ろで見守っている戦艦なのだが、後部マスト上部の取り付け位置から察するに日向ではなく伊勢だったりする。
    • またこの時、宮崎県(旧日向国)から「日向の名を持つひゅうがの活躍を県民一同期待して」という祝電と共に東国原英夫(そのまんま東)知事(当時)のサインが贈られている。
  • だいいちごえいたいぐんって・・・なんだ・・・
    • あなたの子孫「ひゅうが」が2015年3月まで旗艦を務めた、海上自衛隊第1護衛隊群のことです。海軍で言えば第1艦隊旗艦、つまり連合艦隊旗艦のような立ち位置なんですよ。
      • 当時の「第一護衛隊郡のご先祖隊」を、「日向」のほか、「島風」「村雨」「」「金剛」「」「秋月」のうち6隻で組める。興味のある提督はお試しあれ。
        なお、あと1隻は「ありあけ」→「有明」(初春型・未実装)である。
    • 当然ながら1護群やVLS(垂直ミサイル発射装置)は知らないのに、ロクマル(UH-60シリーズ)は何故かご存知なんですね、航空機に関しては抜かりがない、さすがは航空戦艦です。
    • 貴女の子孫ひゅうがは、竣工直後で参加が間に合わなかった「いせ」の分まで、航空運用力を最大に活かして東日本大震災の救援活動に奮闘しました。
    • 上述の通り、「ひゅうが」は平成27年3月25日付けで、退役する「しらね」の後継として舞鶴の第3護衛隊群に転属となりました。
      あらたに部下となった「愛宕」「妙高」「夕立」「巻波(夕雲型・未実装)」「冬月(秋月型・未実装)」「涼波(夕雲型・未実装)」らの子孫を従え、日本海の最前線を支える大黒柱としてこれからも活躍してくれることでしょう。
  • なお、日向が望んでやまなかった航空戦艦の時代という夢はレーガン政権下の米国で一度復活しかけていたりする
    ヘリコプターの発展やVTOL機の開発によって垂直離陸が可能な航空戦力が強力になったので、米海軍がアイオワ級の三番砲塔を撤去し、そこに飛行甲板を設けてハリアー攻撃機やヘリコプターを発進させようとしたのだ。
    • だが冷戦が終焉を迎えはじめた時代、いくら米帝と言えど大金をかけてわざわざそんな浪漫改装を施すはずもなく、すべからくすべて廃案となっている。
    • でも先走っちゃったメーカーから、航空戦艦アイオワやニュージャージーのプラモが発売されていた。F-19戦闘機*11といい、この頃の模型メーカーはこういうお茶目な失敗が多い。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 伊勢が瑞雲推して来たら何か可愛いなぁって思うんだけど、日向だともうネタ化してる感じがあって素直に受け止められないのは自分だけだろうか・・・アニメ足柄見てるとどうしても・・・ -- 2015-07-17 (金) 16:55:24
  • 32号改の改修担当もきた -- 2015-07-17 (金) 17:49:04
    • ちょっと前まで戦艦では伊勢と揃って唯一改修担当が1つも無かったのに電探改修解禁に伴って一気に来たね。嬉しいなぁ -- 2015-07-17 (金) 20:32:45
  • 阿武隈があんなぶっ飛んだ改装を実装されたんだから日向も艦載機を詰めるようになってもおかしくない(震え声) -- 2015-07-17 (金) 23:34:13
    • いや、瑞雲は艦爆と艦戦の両方の働きができるからいいんだ、 瑞 雲 が 特 別 い い ん だ -- 2015-07-18 (土) 11:23:04
      • 更に偵察機としての機能があるから弾着観測もできる 瑞雲はいいぞ・・・ -- 2015-07-19 (日) 09:16:21
    • 彗星は積めるようになってほしいなぁ。もしくは航戦用の特別な彗星が来るか。 -- 2015-07-18 (土) 11:34:39
      • 晴嵐との差別化が課題だな あっちは観測が出来て爆装もあるから -- 2015-07-19 (日) 09:14:30
    • いっそのこと流星をだな、まあ雷装無理なのはわかるがそこはロマンで -- 2015-07-19 (日) 01:17:15
    • 航戦用彗星の代わりにマスコットの瑞雲ちゃんが来るに違いない -- 2015-07-19 (日) 08:20:45
    • 彗星で扶桑型と差別化…これだ!問題は彗星乗っけて役に立つのかってことだがそこんとこどうなのさ、日向。 -- 2015-07-20 (月) 04:50:14
      • 艦載型彗星は一二型の改修版、つまり爆装は -- 2015-07-20 (月) 13:56:15
      • 心配すんな 彗星22型634空で爆装マシマシにすりゃあええんや -- 2015-07-20 (月) 17:55:55
  • 時代が自分に追いついたとかいう名推理 -- 2015-07-19 (日) 20:16:53
  • アーマードコア・ラストズイウン…これだ。フロムも角川に買収されたしな… -- 2015-07-19 (日) 22:44:22
    • ズイウン・タンク型→ズイウン・四脚型→ズイウン・二脚型→瑞雲→ズイウン・ジェット型→青ズイウンに進化していくのか -- 2015-07-20 (月) 06:26:29
    • ズイウン…その称号はお前にこそ相応しい -- 2015-07-20 (月) 16:13:33
    • このズイウンで、負けるはずがないんだ -- 2015-07-21 (火) 20:53:49
    • なにをしに現れた?ここはただの戦艦が来る場所ではない!航空戦艦である私が…私が為すべきことなのだ! -- 2015-07-21 (火) 21:52:56
  • 全部のスロットに瑞雲載せたら第4スロットだけ9だったんですけど…仕様? -- 2015-07-20 (月) 18:35:04
    • 補給してあげましょう -- 2015-07-20 (月) 21:12:09
    • 4スロ目に艦載機載せて補給で解決。補給出来ないなら戦闘して補給するといい -- 2015-07-20 (月) 21:21:41
  • ゲームはあまり好きそうじゃないけど、戦略シミュレーションは好きそう。 -- 2015-07-20 (月) 21:41:37
  • ログイン時の「推して参る」がとても好きだから出撃のときも言ってほしいなぁ。「航空戦艦日向、推して参る!」みたいな -- 2015-07-21 (火) 21:42:39
    • あの台詞いいよな。身が引き締まるっていうか、よしやるぞ!ってなる。 -- 2015-07-23 (木) 22:24:10 New
  • 2-4初クリア時に記念で撮ったと思われるスクショ(撮ったことも覚えてなかった)が出てきたんだが、突破メンバーの中にLv24日向(無改造、大破)がいた。たぶん海域突破する為だけに突貫で育てて、改造する資材を惜しんでたんだろうな。そして、それから2年近くもLv24のまま放置してたんだなぁと思ったら、なんとも言えない気持ちになったわ・・・久しぶりに、少しずつでも育てようと思う -- 2015-07-21 (火) 23:09:58
    • 火力低いけど安いし意外と強いから頑張って育ててくれ -- 2015-07-25 (土) 11:53:05 New
  • 古鷹が改二で青葉に言及する台詞増えたみたいに、日常的に伊勢に言及する台詞増えてくれないかなって思う。今は戦闘時とかばっかりで、確かに戦友とかそういう感じがして好きなんだけど、伊勢の感じからして多分母港でも日向にべったりだし、日向からその手のリアクションがないのは伊勢が無視されているようでちょっと寂しい -- 2015-07-23 (木) 17:38:00 New
  • 日向さんのお陰でヘリコプターにも興味をもってしまった。なぜだ! -- 2015-07-24 (金) 17:48:25 New
  • 今日が呉軍港2度目の空襲で日向が大破してから70年目なんですね。。二周年記念台詞の「みんな嬉しそうだ。まあ…悪くないな」が凄く凄くイイです。 -- 2015-07-24 (金) 20:06:56 New
    • 記念カキコ 日向は艦これを始めて間もない頃のメイン火力として頼りっきりだったなぁ... おかげでレベルは98。改二、こないかなぁ -- 2015-07-24 (金) 23:48:30 New
    • 着底は26日だから、空襲受けた後、2日間必死に頑張ってたんだろうなあ -- 2015-07-25 (土) 11:48:50 New
      • 最後の力を振り絞って耐えようとしたけども、姉より先に力尽きちゃったのが泣ける -- 2015-07-25 (土) 15:37:58 New
      • 大破着底してから70年・・・燃料も大和にあげて無念だっただろうなぁ…うちの鎮守府ではそんなことないですよ! -- 2015-07-26 (日) 17:31:54 New
  • 70年か………。よし、日向、一緒に寝よう! -- クモハ? 2015-07-24 (金) 22:09:06 New
  • 瑞雲を30機になった・・・日向さんも喜んでくれるかな〜 -- 2015-07-26 (日) 16:49:26 New
  • 58が日向の装備つけたら反逆しそう -- 2015-07-28 (火) 04:02:07 New!
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 飛行甲板の両脇に、空母のように対空火器を並べていた。また、甲板上には移動式の25mm単装機銃11基を並べることもできた。
*2 光人社『巡洋艦「大淀」16才の海戦』より
*3 日向は四航戦編成前に、一ヶ月だけだが錬成部隊である第十一水雷戦隊の旗艦を務めていたりもする。
*4 レイテ沖海戦後東南アジアに展開していた戦艦は四航戦の二隻のみだった事、またその海戦での激しい航空攻撃をほぼ無傷で乗り切ったので四航戦を「練度も高い危険な有力艦隊」と見ていた為
*5 厳密には、礼号作戦の折、日向は出撃する足柄から第五艦隊兼第二遊撃部隊の旗艦を引き継いだ時期があり、日向の直接指揮ではないながら、隷下の木村艦隊で清霜が戦没している。
*6 これを言ったのは氏名不詳ながら軍事参議官だという。軍事参議官とは、海軍大臣や軍令部総長などの要職を務めた将官が任命される役職である
*7 艦長時代にこの電探の動作試験に携わっていた
*8 河内型戦艦2番艦、金剛型の1世代前で日本最初で最後の弩級戦艦(超弩級ではない)。標的艦となり、演習爆弾等に耐える装甲と無人操縦設備を持つ。日向と同じく呉軍港空襲で着底した。なお、1番艦河内は火薬庫爆発事故で沈没しており、同じような事故を起こした日向の強運を強調する存在にもなっている。
*9 敵機が急降下爆撃の態勢を取ると同時に急転舵すると言う物
*10 高射砲や対空機銃が各自敵を狙うのではなく、高射長が指定した目標に向かって一斉に弾を撃ち込み弾幕を張ると言う物
*11 模型メーカーが先走って勝手に作っちゃった架空の米空軍ステルス戦闘機のプラモ。後のF-117とは全く関係ないが、ロッキードの関係者はこのインチキプラモのおかげで防諜ミスを疑われたとか