練習ページ/18

Last-modified: 2015-03-26 (木) 13:13:09

 多摩の編集案(作成中)だにゃ Edit

No.040
File not found: "040.jpg" at page "練習ページ/18"[添付]多摩(たま)球磨型 2番艦 軽巡洋艦
艦船ステータス
耐久25火力14
装甲10雷装24
回避36対空13
搭載2対潜19
速力高速索敵8
射程10
最大消費量
燃料25弾薬25
搭載装備
114cm単装砲
1未装備
装備不可
装備不可
改造チャート
多摩⇒多摩改(Lv20)
図鑑説明
球磨型軽巡洋艦の2番艦、多摩だにゃ。
水雷戦隊の旗艦として、ご奉公*1するにゃ!
にゃ?多摩って名前だけど、猫じゃないもん!
CV:佐倉綾音、イラストレーター:UGUME (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2013年12月11日のアップデートにおいて追加されたクエスト『「第5艦隊」を編成せよ!』に必要となる。
  • (能力的に)クセモノ揃いの球磨型で現状唯一の「普通の軽巡」ポジション。
    姉は総合力トップクラスのエリート、妹達は雷巡という強みがあるのだが、多摩にはそういう際立った部分が無い。猫好きは愛を注いであげよう。
    • 確かに数字だけ見れば「弱い方」などと言われても否定はしづらいのであるが…仕様上、夜戦での攻撃力はなんと138を誇るまでに成長する。*2
  • 球磨型に限らず、軽巡洋艦全体で見てもこの「普通の軽巡」ポジションは結構オンリーワンな個性だったりする。特徴が無いのが特徴
  • ドロップ範囲が非常に広く、1-1から5-3までほとんどの海域のほとんどの場所でドロップする。

小ネタ Edit

並び順を変えて色々付け加えてみた案その1
一旦全部多摩語で書きなおしてみる

この艦娘についてのコメント Edit

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • テストコメント -- 2014-10-06 (月) 15:33:43
  • テスト -- 2015-03-26 (木) 13:07:23
  • テスト -- 2015-03-26 (木) 13:09:10
  • テスト -- 2015-03-26 (木) 13:09:52
  • テスト -- 2015-03-26 (木) 13:11:13
  • テスト -- 2015-03-26 (木) 13:11:30
  • てすと -- 2015-04-11 (土) 08:51:50
  • 誤字コメ修正テストok -- 2015-07-03 (金) 23:16:12
    • 練習ページお借りしましたm(_ _)m -- 2015-07-04 (土) 00:00:57
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 図鑑にはご奉公と書かれているが、台詞ではご奉仕となっている
*2 大和改の火力が139。多摩改に三号砲*2装備時の156は霧島改二に46cm砲*2と同じである。「普通の軽巡」の夜戦攻撃力がどれだけ凄まじいものかよく分かるだろう。
*3 発足時は二個戦隊に一根拠地隊と水雷艇少々という編成である。
*4 ちょうどこの頃は八八艦隊の登場時期である。そのため新しく出来た順に一つか二つ押し出されて入れ替わっていく(これは準同型艦で性能差が少ない5500t軽巡という括りで混用していたから)という方式だったが北上はいなかった。球磨型が第3戦隊にいた1921〜23年はずっと二水戦旗艦だったからだろう
*5 もっとも作戦前の一時的な配置という感じだが
*6 「専門」ではない事に注意。実際に五十鈴が主砲撤去で落ちた火力を酸素魚雷を運用可能にすることで補ったということからも分かるように、防空しかしない(出来ない)フネなんて贅沢なものは作れないし仮にあっても使えないという考え方である
*7 速力重視の阿賀野型、改阿賀野型や防空重視の815号型という軽巡を造る予定だったが、完成した阿賀野型以外計画のみに終わった
*8 早くから対米協調路線を説いた人物で日露戦争では戦艦「三笠」の着弾観測員として勝利に貢献した。ちなみにこの人と兄の三郎氏は日本海軍史上唯一兄弟揃って海軍大将になった人物
*9 海軍大将として日独伊三国同盟に調印、後に初代海上護衛司令長官となった
*10 山本五十六の同期で開戦時の海軍大将、海軍大臣。先述の及川長官や大井篤作戦参謀と共に海上護衛の「航路帯構想」を進めた。一方で条約派の山本らとは政治的に対立していたことから陸軍に近い立場をとることが多く、「東條の男妾」などという陰口をたたかれたりもしていた。
*11 「ダンピールの悲劇」の原因となった八十一号作戦を強行したり、かと思えばキスカ島撤退作戦の成功を支えたりした人。扶桑姉妹を浮き砲台にしたサイパン奪還作戦(計画のみ)や大和の水上特攻なども発案している
*12 出典:帝国海軍と艦内神社
*13 勿論木曾の項で触れているように固有名詞である艦名の書き方がコロコロ変わってはいけないのだけれども
*14 出典:帝国海軍と艦内神社
*15 当時最新鋭の川内型すら旧式化が懸念されていた。神通や那珂、阿武隈は事故や建造中の被災によって近代化改修したので結果的に新しくなったのだが…
*16 ちょうどこの頃は八八艦隊の登場時期である。そのため新しく出来た順に一つか二つ押し出されて入れ替わっていく(これは準同型艦で性能差が少ない5500t軽巡という括りで混用していたから)という方式だったが北上はいなかった。球磨型が第3戦隊にいた1921〜23年はずっと二水戦旗艦だったからだろう
*17 もっとも作戦前の一時的な配置という感じだが
*18 「だいたい」というのは一時的に木曾と旗艦を変わることが何度かあったため
*19 ついでに一水戦にもちょくちょく顔を出して旗艦をしたりしている
*20 「専門」ではない事に注意。実際に五十鈴が主砲撤去で落ちた火力を酸素魚雷を運用可能にすることで補ったということからも分かるように、防空しかしない(出来ない)フネなんて贅沢なものは作れないし仮にあっても使えないという考え方である
*21 速力重視の阿賀野型、改阿賀野型やそのものズバリ防空重視の815号型という軽巡を造る予定だったが、完成した阿賀野型以外計画のみに終わった。故にこれらの型名もあくまで仮称である