練習ページ/44

Last-modified: 2015-01-14 (水) 16:31:37
No.080
File not found: "080.jpg" at page "練習ページ/44"[添付]時雨(しぐれ)白露型 2番艦 駆逐艦
艦船ステータス
耐久16火力10
装甲6雷装24
回避43対空9
搭載0対潜21
速力高速索敵5
射程10
最大消費量
燃料15弾薬20
装備
12.7cm連装砲
未装備
装備不可
装備不可
改造チャート
時雨時雨改(Lv20) → 時雨改二(Lv60)
図鑑説明
僕は白露型駆逐艦2番艦の時雨だよ。
あのレイテ沖海戦では、西村艦隊に所属して、運命のスリガオ海峡に突入したんだ。
扶桑も山城も凄かったよ……。
皆が忘れても、僕だけはずっと覚えているから……。
CV:谷邊由美、イラストレーター:玖条イチソ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2013/10/23のアップデートで夕立に続き、Lv60にて二段階目の改造を行い時雨改二にまで成長する様になった。君の居場所はここだ。
    対空最大72を誇る対空特化艦で、運も実に50にまで向上する。雪風島風含む5隻の強駆逐艦群ではやや打たれ弱い部類だが、攻撃力はそうひけをとらない。詳しくは当該項目を参照。
  • 2013/10/16のアップデートで補給ボイス&放置ボイスが追加された。いよいよ彼女にもスポットライトが当たるはず。
  • 「西村艦隊」の一員として任務で必要になるので、一応留意。
    2-3クリアに立ち会う必要があるため、序盤から多少は育成しておくと任務達成が楽になるはずだ。
    • 西村艦隊には、満潮を加えて再編成・5-1クリアで勲章を入手する任務も新たに追加されているのでその点も留意。
  • 艦娘では意外に少ないボクっ子なのだが、経歴が鮮烈すぎるためかあまり話題にならないようである。
    • 勝ち気な皐月、ややとぼけた最上と来て達観した性格をしている。下記したその戦歴がそうさせているのか。
  • 背中に背負っている某MSのような状態の連装砲は、絵師さん曰く「リュックサックのように背負って持ち運んでいるだけで、
    砲撃時はこうして前に持っていく(陽炎黒潮の25mm連装機銃に近似したスタイル)からガンキャノンじゃないよね?」だそうだ。
    直々に某MSは否定されたので余り言わないように。但し、背負っているせいで、言われ続けることは間違いない。

小ネタ Edit

  • 白露型駆逐艦二番艦。開戦時は同型艦の白露、初春型駆逐艦の有明(未実装)、夕暮(未実装)と時雨の4隻で第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属した。
    1943年7月に有明、夕暮を相次いで失ったため同年11月に同じ白露型駆逐艦の五月雨春雨が編入され、第二七駆逐隊は白露、時雨、春雨五月雨の4隻編成となる。
  • 艦これのモデルになっている白露型の「時雨」は旧神風型を先代にもつ2代目である。
    先代の時雨は旧神風型の10番目として、日露戦争直後に誕生。しかし第1次大戦に参加したという記録も無く、実戦を迎えることなく引退したとされている。ある意味本当の幸運艦だった。
    • 代々幸運に恵まれた名前にもかかわらず、海自、海保とも「しぐれ」の採用例は今のところ無く。「時雨」の系譜は彼女を最後に途切れている。
  • 「時雨」とは晩秋から冬にかけての通り雨のこと、俳句では初冬の季語になっている。
    室町以降の長い戦乱の時代に、人の世の定めなさを時雨に託し詩歌に詠む風潮ができた。
    爾来、時雨は単なる自然現象としてだけでなく、人生の無常さの象徴とされてきたのである。
  • 史実では歴戦をくぐり抜け、「呉の雪風・佐世保の時雨」と言われた超のつく幸運艦*1時雨改まではその強運ぶりは影を潜めているが時雨改二に成長すると存分に発揮してくれるだろう。
    • だが雪風と同じく、味方が沈むシーンも多数見る羽目になった。
      • 第三次ソロモン海戦にて、かつては供奉艦として共に行動していた比叡の最後の姿を雪風等と共に見届けている。
      • トラック島空襲(丁事件)、渾作戦(第二次作戦で春雨が空襲で沈没)、あ号作戦(作戦発動まもなく白露が衝突事故で沈没)、捷1号作戦警戒(この任務で五月雨が座礁しのちに爆撃され放棄)を経て、とうとう第二七駆逐隊でひとりぼっちになってしまった。特に彼女の場合スリガオ海峡夜戦で臨時に編入された西村艦隊でほぼ壊滅の被害を受け(扶桑山城最上満潮山雲朝雲)、彼女を除いて誰一人残らなかった。
      • スリガオ海峡夜戦では次々に僚艦が沈んでいく中、一時退避した事と舵故障が功を奏して他艦より離れていた事でなんとか生き残った。
        しかし、それでも各部に被害を受け艦橋の各計器のガラスは着弾による振動で粉々に割れていたという。
      • それだけに終わらず、時雨が見届けた扶桑たちの最期は、国内では「大戦果」として歪めて報道された。
      • スリガオ海峡夜戦の看取り以外にも、1943年8月のベラ湾夜戦で味方駆逐艦(萩風、嵐、江風。いずれも未実装)全滅+輸送隊潰滅の憂き目に。自らも舵に魚雷一発をもらったものの不発で救われている。
      • レイテ沖海戦後の1944年12月、フィリピンに特攻兵器などを緊急輸送する空母雲龍の護衛任務に就いたが、雲龍は目的地にたどり着くことなく潜水艦の雷撃によって撃沈されてしまった。
    • そんな彼女も1945年1月24日、日本からシンガポールへ向けて輸送船団を護衛中、マレー半島東岸のシャム湾において、米潜水艦ブラックフィン(Blackfin:SS-322)の雷撃により被雷、ついに力尽きてしまう。
      • そのためか能力値は平均的。
  • 敷波らを沈めたSS-215「グロウラー」を撃沈している。
    • 護衛任務中にグロウラーを含む狼群に遭遇して、部隊全体でグロウラーを撃沈したことまではほぼ確実だが、時雨がとどめを刺したかまでは確認されていない。*2
  • 竣工は1936年9月。初仕事は戦艦「比叡」を御召艦として横須賀から北海道に向かう『昭和天皇』を白露と共に供奉艦として警護するという実に名誉あるものだった。この特別任務を無事に終えた後も両名は比叡と行動を共にし、昭和11年特別大演習観艦式にて再び比叡の供奉艦となった。*3観艦式終了後、時雨・白露は御召艦「比叡」と共に横須賀へ帰港。その後、第九駆逐隊に編入された。
    • 皮肉にも争いのない時代に誉れを共にした彼女の最後を彼女達は見届ける事になった。
  • 太平洋戦争開戦時には第1艦隊第1水雷戦隊第27駆逐隊に属し、1942年5月の珊瑚海海戦に参加、第1水雷戦隊として五航戦を直衛し、世界初の空母戦に参加するという武運に恵まれた。戦果としては米潜水艦に対し砲撃と爆雷攻撃を行い、撃沈確実と報告している。続く6月のミッドウェー海戦は中途まで参加し、第二戦隊を護衛している。
  • ガダルカナル島の戦いにて、第二十七駆逐隊(時雨・白露・夕暮)は輸送船2隻を護衛してギルバート諸島・アパママ島へ向かい、同島を無血占領した。続いて27駆第1小隊(時雨・白露)は、特別奇襲隊としてサンタクルーズ諸島・ヌデニ島の米軍飛行艇基地砲撃を命じられる。9月9日にヤルートを出発し、12日夜ヌデニ島砲撃を敢行、15日に本隊へ合流。以後、ガダルカナル島輸送作戦に10回従事した。
    • 10月17日、日本陸軍ガ島総攻撃前の最後の輸送作戦にてサボ島沖海戦で沈没した駆逐艦「吹雪」乗組員を含む231名を救助している。また作戦中の哨戒を担当した後、ヘンダーソン飛行場に対し発射弾数100発に及ぶ艦砲射撃を行った。
    • 11月1日の時点で時雨は第二十七駆逐隊司令艦に指定され、同月11日、時雨以下第四水雷戦隊はショートランド泊地を出撃し、洋上で挺身艦隊主力と合同、ガダルカナル島へ向かうも、日本海軍の動向を察知していた米海軍は事前に艦隊を配置しており、日米両軍の間で第三次ソロモン海戦が生起した。
  • 続く第三次ソロモン海戦では避退中の戦艦「霧島」に合流して同行していたが、第十戦隊司令官より命令があり、「比叡」救援の為に反転した。先に到着していた第十六駆逐隊「雪風」、駆逐艦「照月」と共に、第一夜戦で損傷を受け行動不能となった「比叡」を護衛する。しかし、浸水が進んだ比叡を放棄せざるを得なくなり、比叡乗組員退去後、「雪風」に移乗していた挺身艦隊指揮官/第十一戦隊司令官阿部中将より「時雨」以下第二十七駆逐隊に「比叡」雷撃処分の命令が下った。だが直後に山本五十六司令長官より「比叡の処分待て」の命令が入る。この後の比叡の最後には諸説ある為、雷撃処分か浸水による沈没か、確かな事は言えないものの、時雨と雪風が肩を並べた数少ない機会は、虚しくも悲しみを共有するものとなった。
  • 他の駆逐艦と同様、多くの輸送作戦に従事していた。特に1943年の中頃、ラバウル輸送、ルオット輸送、カビエン輸送、ラバウル輸送、ブカ輸送、レカタ輸送、コロンバンガラ輸送作戦に従事し、8月には輸送作戦に13回も参加しながらその間一発の被弾もなかったという。
  • ラバウル空襲に際して、同地に停泊していた時雨は空襲警報を待たずして機敏に空襲を察知、迅速に出航し、港の外にて対空戦闘を行い続け、撃墜7機と報告している。“空襲に際して狭い港内にいるのは危険であり、大型艦の妨げにもなる。駆逐艦は一刻も早く出航し、攻撃を行うべき”というのが第二十七駆逐隊共通の考えであった模様。
  • 第一次ベララベラ海戦、第二次ベララベラ海戦において数々の武勲を打ち立て、その活躍は昭和天皇にも報告された。特に顕著な第二次ベララベラ海戦における敵旗艦セルフリッジ大破の戦功をもって、当時の時雨艦長であった山上亀三雄少佐は天皇からは恩賜の短刀を賜っている。*4
    • 尚、第一次ベララベラ海戦及び第二次ベララベラ海戦間における目立った功績は以下の通り。
      • ベラ湾夜戦での生存。海戦後、米駆逐艦1隻大破を報告しているが、実際の戦果はなかったとされる。
      • 磯風・浜風と共に米駆逐艦群との砲雷撃戦を行い、大型駆逐艦或いは巡洋艦一隻を撃沈と報告。この戦果は時雨の功績と認められた。しかしながら米側の被害報告には記録されておらず、実際は誤認だったと思われる。
      • レカタ撤退及びブイン転進作戦「E作戦」、その一次作戦及び二次作戦に参加。米軍の妨害がある中、レカタの陸戦戦隊を収容し、断続的に繰り返される爆撃を潜り抜け、無事ラバウルに帰着。
      • 「松風」「磯風」と共同し三次にわたるツルブ輸送作戦と続くラバウル〜ブカ島輸送任務に従事。
      • 約12000名の将兵が脱出に成功したコロンバンガラ島からの撤収作戦「セ号作戦」の成功に貢献。
      • 所属していた第三水雷戦隊が米軍第四駆逐部隊と交戦。隊全体で「シュバリエ」沈没、「セルフリッジ」「オバノン」大破という損害を与えた。その中でセルフリッジ大破は時雨と五月雨の戦果と認められた。
    • 多くの輸送作戦、撤収作戦、そして度重なる海戦に参加し、ソロモン海を休みなく走り続けた時雨は誤認である戦果を考慮しても、恩賜の短刀の栄誉に相応しい働きをしたと言えるだろう。
  • 甚大な被害を出したトラック島空襲の際、多くの艦艇が撃沈されていく中、停泊していた時雨は春雨と共に出航。爆撃を受け中破するものの、同じ海路を進んだ練習巡洋艦香取と舞風を沈めた第50.9任務群に捕捉されず運良く脱出に成功している。つくづく空襲に縁のある艦である。
  • 渾作戦においてB-25爆撃機四機を撃墜報告した際、「B-25ノ超低空爆撃敢テ恐ルルニ足ラズト言フベシ」と25mm機銃に相当な高評価を与えた上で対空戦闘に対する自信を見せている。続くマリアナ沖海戦にて龍鳳の直衛に就き、自分を狙った爆撃を回避し、龍鳳に迫る雷撃機アヴェンジャーの雷撃も砲撃を以て阻止した後、自身に向けて投下された魚雷をも至近距離にて回避した事から、錬度に裏付けられた自信であった事が窺える。
    • またその当時から米軍のレーダー射撃を高く評価し、重大な関心を寄せていると同時に「敵トノ真面目ナル交戦ヲ避ケ避退運動中ノ陣形ハ単縦陣ハ不可ナリ、今日単縦陣ナレガ故ニ敵ノ電探射撃ノ左右精度ヲ増加セル傾向アリ、梯陣等ガ適当ナルベシ」と提言し、レーダー全盛時代の戦術を模索している。ここまで強い関心を持っていたのはベラ湾夜戦にて米駆逐艦がレーダーを装備し、十分に活用していたのに対し、日本駆逐艦がレーダーを搭載しておらず、敵にまったく気付かぬまま攻撃を受け、結果僚艦全滅に至ったという経験からだと思われる。しかし戦場で得られた所見を艦隊全体に共有する時間的余裕はなかったという。
    • 関心が深かった故か、対抗策の考案だけでなく行われる電探射撃の技量も高かったとされる。この事は沈没間際の対潜戦闘中に発せられた『本艦電探射撃照明射撃施設完備相當ノ練度アリテ自信アリタリ』という記録から窺える。*5
  • 第十七駆逐隊の面々、特に磯風浜風はソロモン海での戦いやヒ78船団の護衛などで関わり深く、歴戦を共にした戦友とも呼べる存在だが、並び称された「雪風」とは同じ艦隊に編成はされても諸々の事情で別行動する事が多く、戦場での関わりはほとんどなかった。互いに別々の場所で活躍があったからこそ『呉の雪風、佐世保の時雨』と並び称されたのだと思われる。
  • 頼りになるキャラクター性からか、コミック「side:金剛」や小説「鶴翼の絆」でちょっぴり優遇されていたりする。
    • なお、前者が単行本化するにあたって連載時に白だった下着が黒になるという、些細だが非常に重要な変更がなされている。
  • かつての僚艦であった雲龍と仲が良いのか雲龍改の時報で夕食としておにぎりと沢庵を差し入れしてたりする。
  • 戦後に纏められた公開資料『大東亜戦争功績便覧』による点数評価を計算した人によれば408点という評価を得ている。この点数は実装されている駆逐艦の中で堂々の二位である。不明確ながら軽微な減点要素があり、正確にはこの点数より若干下のようだが、少なくとも五本の指に入る評価である。
    • 資料や算出方法が変われば評価も変動する為、この順位はあくまで参考程度である事を追記しておく。

コメント Edit

コメントはありません。 練習ページ/44/コメント?

お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 もっとも、もう一つ座乗していた原司令の言葉として「時雨は飲兵衛で雪風は助兵衛」(上陸時の搭乗員の休暇の傾向)というのもあるのだが
*2 ちなみに肝心の護衛任務の方は、対象を別の潜水艦に沈められて失敗した
*3 一時的に比叡から愛宕へ昭和天皇が移乗し、御召艦が変わるも最終的には比叡を御召艦としている
*4 共に活躍した「五月雨」の艦長も恩賜の短刀を賜っている
*5 ただ皮肉な事に、この電探射撃からなる運動により「ブラックフィン」に絶好の射角を与える事となった