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Last-modified: 2015-07-20 (月) 03:26:19

初霜ページの小ネタ再編案 Edit

ゲームにおいて Edit

  • 長い黒髪と赤茶の瞳、赤ネクタイのブレザーの制服が特徴的な駆逐艦娘。
  • 駆逐艦の例に漏れず見た目が幼い一方、声は割と大人っぽく、口調も丁寧なものが多い。
  • 若葉がブレザーを着崩しているのに対して、初霜はきっちりと整えている。
    • 三日月とも似ているが、あちらは黒セーラー服・瞳が黄色・アホ毛と、割と違いがある。
  • 明るく平時の物腰は柔らかいが、史実では数々の逸話を持つ武勲艦である。ここにも「武勲艦娘=おっとり系」*1の法則が……
  • 口調こそ比較的穏やかなものの、二挺主砲や台詞、言わずもがなの中破絵などに滲み出るようにけっこうアグレッシブな性格をしている。
  • 下記のような強烈な逸話や武勲があるにもかかわらず、極めて平均的な能力値しかない。ドロップも1-1からよく出てくる。
    共に行動したり*2、護衛した艦*3は結構な数になるのだがそれらの艦への言及も無く、彼女について言及してくれる艦も若葉のみとゲーム内では不遇な扱いを受けていた。
  • なお、割と豪快に脱げてしまう。特に前があと初霜ちゃんマジイケメン
  • 以前から武勲艦として改二の筆頭候補に挙げられていたが、2015年1月23日アップデートをもってついに実装された
    • このアップデートでは初霜改および改二に放置ボイスが追加され、矢矧浜風(小ネタ参照)に言及するようになった。
  • 任務「『第二一駆逐隊』編成せよ!」「『第二一駆逐隊』出撃せよ!」「『那智戦隊』抜錨せよ!」で必要となる。
    • 第二一駆逐隊出撃任務(3-1ボスS勝利)は、入手手段が限られているプレゼント箱?が報酬となる。2014年クリスマス仕様の時に入手を逃した提督は狙ってみるのも一興であろう。1-6実装により、毎月プレゼント箱を1個ゲットできるようになった。
      • もっとも中身はそれほどだが

艦歴 Edit

略歴

稀有の幸運艦・初霜 〜「わたしが、守ります!」を果たした、その艦生 Edit

  • 駆逐艦建造の名門である浦賀船渠出身の初春型の四番艦。*4自身の言葉通り数々の激戦をくぐり抜け、終戦の半月前まで生き残っていた数少ない駆逐艦。
(←数々の激戦の概要 クリックで開きます)

初霜竣工 〜昭和の海原にドジっ子あらわる Edit

  • 一見しっかり者の初霜であるが、実は彼女、進水式で急減速して停止、おまけに支柱を折るという失敗をしている。
    折しも大勢の来賓が見守る中、軍楽隊が軍艦行進曲を演奏し、くす玉が割れて鳩と五色の紙吹雪が飛び出すという華やかな式典の真っ最中。関係者は真っ青になった。
    • 結局進水式は中止され、翌月改めて行われた。*6いきなりのつまずきに関係者たちは初霜の前途を案じたが、*7それが杞憂であったことはその足跡が物語っている。
      むしろ彼女の場合「ただでは水に漬かない=ただでは意地でも沈まない」という戦歴の前触れだったのかもしれない。
    • これ以外にも乗員が海に投げ出されたり、アッツ島沖海戦も微妙な結果だったり、さらに若葉・長波と衝突するなどキスカ撤退以前の戦歴は微妙だったりする。

資源輸送のエキスパート、第二一駆逐隊 Edit

  • 開戦時は初春子日若葉と共に第21駆逐隊を組み、阿武隈率いる第一水雷戦隊に所属していた。
    だが初春型の航続距離の問題で第21駆逐隊は機動部隊及び戦艦部隊と共に真珠湾に行くことは無く内海に留められた。
    • 第21駆逐隊は戦争末期の1945年6月に解散するまで存在し、日本が一番取り組むべきだった資源の輸送任務など地味ではあるが重要な任務に従事し続けた。坊ノ岬沖海戦に参加した数少ない駆逐隊のうちの一つである。
      • 初春型4隻以外にも、共に行動することは無かったが1944年末〜1945年1月までは時雨が、北号作戦直後〜坊ノ岬海戦までは朝霜が、坊ノ岬沖海戦直前〜坊ノ岬沖海戦の間にはが21駆逐隊に所属していた。
      • 坊ノ岬海戦で第21駆逐隊でたった1隻となった初霜は同じく雪風1隻の第17駆逐隊に編入された。

南方最前線時代 1942.1〜 ケンダリー攻略戦→マカッサル攻略作戦→バリ島攻略作戦 Edit

  • そんな第21駆逐隊が最前線に行くことになるきっかけが1942年1月、フィリピンのダバオまでの輸送船団の護衛任務である。
    • 当時蘭印部隊は攻勢を活性化させ輸送船団の護衛艦不足に悩んでいた。そこへちょうどダバオまでやってきた第21駆逐隊をそのまま部隊に編入することにしたのだ。

ケンダリー攻略作戦 〜初霜警備隊長代理 Edit

  • そして初霜達はさっそく24日にスラウェシ島ケンダリーの攻略に参加することになる。
    • しかし25日早朝、攻略部隊の指揮下に入るためケンダリーに急行していたところ、遭遇した攻略部隊の旗艦長良初春が突っ込み、初春は大破、長良は小破してしまう。
      長良はダバオへ単独回航、初春若葉子日に護衛されてダバオへ向かい、長良が修理を終えて復帰するまでの間、初霜に将旗が掲げられることになった。
    • このため一時的とはいえ、初霜は初参加の作戦で第1根拠地隊旗艦*8を務めることとなった。
  • その後マカッサル攻略作戦、続いてバリ島攻略作戦に参加する。

バリ島攻略作戦 Edit

  • バリ島攻略作戦では長良率いる支援隊の一員として参加。
    バリ島沖海戦にて連合国軍が撤退した後にその戦場へ到着し、長良と初霜は満潮救援の間ロンボック海峡北口を警戒することに。
  • しかし荒潮満潮を曳航して退避を開始したものの連合国軍による空襲を受けてしまい、満潮は曳索が切れた上至近弾で浸水、大潮も至近弾により浸水してしまう。
    そこで各艦は第1グループ(朝潮荒潮満潮子日)、第2グループ(若葉大潮)、第3グループ(長良、初霜)にわかれ北上を開始。
    その後のべ26機の空襲を受けたが特に被害なく無事スラウェシ島マカッサルへ帰投した。
  • その翌日第21駆逐隊は長良、第8駆逐隊らと共に輸送作戦部隊としてマカッサルを出撃。
    連合国軍によるバリ島飛行場への砲撃が予想され特に接敵せず、無事に揚陸を成功させることができた。

バリ海峡の不覚 Edit

  • バリ島攻略後の3月1日、初霜達第21駆逐隊は測量艦筑紫と共にバリ島とジャワ島間のバリ海峡を哨戒していた。
    • そこへスラバヤ沖海戦で生き残った米軍駆逐艦4隻がオーストラリアへの脱出をはかってバリ海峡へ到達。
      21駆逐隊は距離4,500で火蓋を切ったものの敵は戦闘するつもりが毛頭無かった。
      会敵した場合に備えて十分に缶圧を上げてあった米駆逐艦隊は直ちに最大戦速に速度を上げると猛スピードで振り切りバリ海峡を突破、21駆は敵艦の脱出を許してしまった。
    • もっともここで何も活躍していなかった訳でもなく、若葉と協力して発見した武装商船に砲撃、撃沈する戦果を上げていたりする。

北方戦線時代 1942.5〜 AL作戦(アッツ島攻略戦→アッツ島沖海戦→キスカ島撤退作戦) Edit

  • 1942年5月以降、初霜の姿は主に北方海域にあった。アリューシャン攻略(AL作戦)のため北方部隊に組み込まれ、そのまま警戒任務に当てられたのである。空母や戦艦が激突した南方と比べると地味な印象がぬぐえない北方だが、マメにちょっかいを出してくる米軍に対し少ない戦力と資材で備えなければならず、加えて北方特有の天象もあり、こちらはこちらで苦労の絶えない海域であった。

AL(アリューシャン)作戦発動 〜偵察、哨戒、また偵察 Edit

  • 昭和17年5月29日。初霜は大湊を発った。アリューシャン作戦が開始されたのだ。
    結果から言うと初霜の周辺では戦闘が起こらず、事態はおおむね順調に推移し作戦は終了する。しかしその間、初霜は休みなく走り回っていた。
    • 初霜属する第1水雷戦隊はアッツ島攻略の担当となり、さらに初霜は特務砲艦まがね丸を指揮し、別動して機雷を敷設するよう命じられた。荒れる海と濃霧に悩まされつつ、艦隊は静かに東へと進撃した。途中、ミッドウェー海戦の影響で多少の混乱と変更を生じたもののアリューシャン作戦は続行と決し、初霜はまがね丸を連れて分離。キスカ島の東隣にあるアダック島へ赴き、その近海に機雷をばら撒いた。
    • 敷設終了後、まがね丸と別れ阿武隈と合流。アッツ島ホルツ湾で上陸を支援する。湾内に漂泊し諸作業に当たる阿武隈の警戒に付いた。
    • アッツ島制圧後、慌ただしく給油を受けた初霜だが、すぐに次の任務が待っていた。阿武隈に率いられ、アッツ島隣のセミチ諸島へ赴き掃海と偵察に当たった。初霜は西島(アレイド島)の担当となり、3時間ほど実地調査を行った。
    • 6月10日をもって攻略部隊は編成を解かれ、ひとまず作戦は終了した。味方にはたいした損害もなく、皆互いの労をねぎらいあった。しかし、米軍の反応は早かった。12日には早くも飛行艇が姿を見せ、その後キスカへの空襲が開始されることとなる。潜水艦も迫りつつあった。1水戦にもキスカの東にあるアムトチカ島の偵察が命じられており、初霜の北方での苦闘はなおも続くのである。

アッツ島沖海戦 〜一水戦旗艦の視線が痛い… Edit

  • 昭和18年3月27日、アッツ島への第2次集団輸送部隊を襲撃すべく重巡リッチモンドを旗艦とする米巡洋艦隊が接近してきた。護衛に当たっていた北方部隊(旗艦那智)は敵艦隊撃滅の好機と見て全力で反撃に移る。アッツ島沖海戦である。初霜もこの海戦に参加した。
    • 戦いは米艦隊を発見した日本艦隊の反転により反航戦から始まり、日本艦隊が米艦隊の退路を絶ちつつ有利な風上に占位したこともあって追撃戦となった。あくまで輸送船団を狙う米艦隊と、それを追う日本艦隊。戦力的には日本艦隊優勢だったのだが、消極的な指揮と米艦隊の果敢な反撃に距離を詰められず、遠距離での撃ち合いに終始した。そのため初霜含め駆逐艦にはほとんど出番がなかった。
      • 海戦終盤、距離13,000m程度にて第1水雷戦隊は砲撃を開始、初霜は12,7cm砲6発を発射するも命中弾は無かった。また、左舷130°距離19,000mで魚雷5本を発射したが、これは大暴投となってしまった。発射に手間取っている間に相手は変針しており、しかも煙幕で初霜からはそれがわからなかったのだ。海戦後、一水戦司令部からも「魚雷は命令出たらすぐ撃てるよう、ちゃんと準備しときなさい。」と注文を付けられている。
    • 結局米艦隊は取り逃がし、輸送も中止となった。初霜にとっても苦い経験となった。
      その後、燃料の枯渇により北方部隊は身動きが取れなくなり、取り逃がした米艦隊に制海権を奪われる。アッツ島への船団輸送はほぼ不可能となり、後のアッツ玉砕キスカ撤退へとつながっていくのである。

キスカ島撤退作戦 〜「濃霧には注意が必要だ…特に初霜、お前は要注意だ。 Edit

  • キスカ島撤退作戦では濃霧の中若葉に突っ込み、さらに余勢でお尻を振って長波と接触するという大事故を起こした。
    長波は軽傷で行動に支障はなかったが、初霜と若葉は速力が12ktまで低下し、若葉は幌筵へ単独帰投。初霜は海防艦国後指揮の下、給油艦日本丸の護衛に付き本隊から離脱した。
    • もっとも、急減速した阿武隈に濃霧の中で一時行方不明になっていた国後が衝突した混乱下の事故なので、彼女の責任とは言えないのだが。
      ともあれここで全艦の不運を使い切ったのか、それとも本当に英霊の加護でもあったのか、撤退自体は成功裏に終わった。
    • 有志によるキスカ撤退戦図

南方護衛任務時代 1944.1〜 世界最大の海戦・レイテ沖海戦、勃発 Edit

潜水艦なんて怖くない 〜空母「雲鷹」を守れ Edit

  • キスカ撤退作戦も終わり、初霜は艦載機を運ぶ改装空母の護衛に従事することになった。
    1944年1月19日に能代旗艦のもと初春若葉、早波(艦これ未実装)と共に瑞鳳と雲鷹(艦これ未実装)を横須賀まで護衛していたところ、雲鷹が米潜水艦ハダックの雷撃を受けてしまう。
  • 初春若葉瑞鳳の護衛を任せて、初霜は能代、早波と共にハダックの追撃を警戒しながらサイパンまで雲鷹を護衛。
    雲鷹修復まで各艦は対潜哨戒をサイパン港外で続け、20日には救援として海風*9がサイパンに到着し能代と早波は横須賀に帰投。
    さらに30日には別任務のために海風がサイパンから離れ、その代わりとして第七駆逐隊の,そして皐月が到着した。
  • 雲鷹の応急処置を済ませ、初霜達は雲鷹を横須賀まで護衛、途中横須賀からやってきた高雄、玉波(艦これ未実装)が救援命令を受け初霜達と合流。
    しかし悪天候と敵潜水艦(ガジョン、ソーリー)の雷撃による妨害で中々横須賀にたどり着くことができず護衛する艦達の燃料が不足、次々と横須賀へと回航していった。
    これらの艦が横須賀で補給している間、雲鷹の護衛は沖波と岸波(共に艦これ未実装)が引き継いでいる。
  • 初霜も燃料不足のためいったん横須賀まで戻り、同じく燃料不足となった高雄と共に2月7日早朝に雲鷹達と再び合流、その夜高雄・雲鷹以下11隻の大所帯で横須賀に帰投することになった。
    一度燃料不足で離れたものの、初霜は最初から最後まで雲鷹の傍で彼女を守り続け、無事横須賀まで送り届けたのである。

あ号作戦 〜給油艦(タンカー)護衛任務、無事成功 Edit

  • マリアナ沖海戦(あ号作戦)の際は補給部隊として参加。雪風卯月、夕凪*10と共に給油艦6隻を護衛する。
    小沢機動部隊への補給は無事に終えたもののギマラスへの帰路で米機動部隊の攻撃を受け、足の遅い給油艦2隻が航行不能となる。
    補給部隊は仕方なく2隻を処分。その後ギマラスへ落ちのびることとなった。
    • 補給部隊の大部分は6月14日にダバオを出航したのだが、初霜は給油艦速吸と遅れて16日に出航している。
      そしてその速吸は、被弾こそしたものの航行不能となること無くギマラスへ帰投することに成功している。
      船団に被害こそ出たものの、彼女が寄り添った船はここでも生還した。
    • 以後レイテ沖海戦まで初霜はマモ01船団やモタ23船団、マモ02船団などの輸送船団の護衛が主な任務となる。

レイテ沖海戦 〜若葉沈没、レイテ突入ならず Edit

  • レイテ沖海戦の際、初霜属する第21駆逐隊は那智を旗艦とする志摩艦隊の指揮下にあった。
    他部署の要請により分派された第21駆逐隊は、マニラへの輸送任務を行った後、本隊を追ってレイテを目指した。
  • 合流地点に向け南下を続けていた若葉初春、初霜だったが、その途上で空襲を受け若葉が沈没してしまう。初霜は初春とともに救助艇を下ろして若葉生存者を救出した。
    救助艇が作業をする間、初霜は周辺をぐるぐる回って爆雷を投射、潜水艦を威嚇しながら救助を支援した。
  • ところが無事救助を終えて前進しようとした途端再び敵機が出現し爆弾を投下。これが初霜の2番砲塔横に命中、砲塔が誘爆して火を噴いた。
    幸い大事に至らなかったものの、*11第21駆逐隊は若葉を失い、その生存者を満載したため戦闘もままならず、しかも初霜も負傷したとあってレイテ突入は絶望的であった。
    止むを得ずマニラへ引き返し、若葉生存者を下ろして再度南下。本隊を追ってコロン湾に入港したところ、最上との衝突で艦首が折れ曲がった那智不知火に付き添われて入港するのに出会った。
    旗艦のこの無残な姿を見て、初霜艦長はレイテ沖海戦の敗北を悟ったという。

第二次多号作戦 〜敵制空下突破に秘策あり Edit

  • レイテ沖海戦での傷が癒えた初霜は第2次多号作戦に参加、輸送船を護衛して無事オルモック突入に成功した。
    彼女たちは来襲する敵機に対し輸送船の周りをぐるぐる回りながら煙幕を焚いて護衛。この戦術は功を奏した。
    • しかしそのうち端にいて煙幕のバリアから外れてしまった輸送船能登丸が被弾し、沈没。
      この時木村昌福司令官が乗る第1水雷戦隊旗艦は「お前らは船団を護衛し先にマニラへ帰れ、本職は後始末をしてから帰る」との旨の命令を下し、その場に残った。
      後始末とは能登丸生存者救出にほかならない。極めて危険な状況下での救助に司令官自ら当たるというこの命令に初霜艦長は感服し、木村司令官を尊敬したという。
    • その帰り道、空襲を受け行方不明になっていた第131号輸送艦を探すよう命じられ、初春、第9号輸送艦とともに捜索。
      航行不能になっている131号艦を発見し、9号輸送艦に曳航させることにして初春と初霜はその護衛に従事。マニラへ無事に帰還させた。

マニラ大空襲 〜戦隊壊滅の憂き目 Edit

  • そうこうするうち、マニラを米機動部隊の大空襲が襲うようになった。11月5日の空襲では那智が沈み、続行したが大破。
    霞はただちに救助命令を発し、初霜も初春、とともに彼女たちの救助に当たった。
    しかし13日にまたもや大空襲を受け、木曾や先の空襲で辛くも生き残った曙、そして姉の初春も被弾、沈没していった。
    • このフィリピンにおける一連の戦闘で生き残ったのは、初霜、朝霜、竹のみだった。*12
    • この時図らずも、爆発炎上する初春の吹き上げた黒煙がすぐそばにいた初霜を覆い隠して守ったという。
      こうして初春型姉妹は初霜1隻を残し全艦戦没、初霜は1人ぼっちになってしまった。

  • マニラ湾を脱出した後、初霜は霞と組んで榛名の護衛などを務めるが、タンカー日栄丸の護衛の際、レイテ沖海戦で損傷し応急修理後内地に向かおうとした妙高の再度被雷の報に接し分離、救援に向かった。
    • 妙高は大破した挙句、波で艦尾を引きちぎられ航行不能になっていた。初霜の援護のもと排水量や馬力に勝る霞が曳航しようとしたが、やはり重巡を曳航するのは物理的に無理であった。
      仕方なく羽黒に救援を要請、曳航してもらうことにしたのだが、途中、霞は礼号作戦参加要請を受け分離。初霜は妙高を守ることを優先とされ、礼号作戦に参加できなかった。

本土決戦への道 1945.1〜 北号作戦→坊ノ岬沖海戦→本土決戦 Edit

北号作戦 〜完部隊の栄光 Edit

  • 北号作戦で奇跡と言われる完全成功を収めた6隻のうちの1隻でもある。日向伊勢らを護衛して制海権のない危険海域を突破、呉に帰還を果たした。(有志による地図)
    • この時伊勢は敵潜水艦の放った魚雷へ高角砲を乱射し爆破するという離れ業をやってのけているが、
      すぐ近くの海面へ撃ち込むため初霜めがけて跳弾が飛び、危なくて仕方なかったとのこと。
      そして初霜自身も潜水艦から打たれた魚雷8本をすべて回避している。
    • 尚、同時期に硫黄島上陸作戦があり米機動部隊は支援のため南シナ海にいなかった。潜水艦及び陸上機による攻撃はあったものの空母群が待ち構えていなかったのは救いであった。

坊ノ岬の奇跡 〜被弾なし、戦死なし、戦傷2名、救助数300名超 Edit

  • 坊ノ岬沖海戦では、敵機動部隊の猛攻により僚艦が被弾し、撃沈されたり、航行不能に陥る中、唯一被弾なし・戦死なし・戦傷2名という正真正銘の奇跡を成し遂げ、最終的に多くの生存者を救助して帰還した。*13

  • 当初は大和斜め後方に配置されていたが、浜風の轟沈と矢矧の落伍を見るや艦長の独断で前進し大和の側方に占位。
    しかも途中からは通信設備を損傷した大和から「通信ヲ代行セヨ」との手旗信号を受け、大和の手旗信号や発光信号を読み取り転送しつつ、雷爆撃の暴風雨の中心で戦い抜いた。
    • 初霜艦長の酒匂中佐(海兵62期)の談によれば「護衛艦が沈んだら意味をなさない。護衛の目的を達するため全力を尽くした。」との事。
      初霜の「戦艦の護衛なら、任せてね♪」という台詞は大和を守れなかったものの最後まで沈まずに護衛艦として奮戦した事から来ているのかもしれない。


  • 激闘2時間。ついに大和は轟沈した。
    初霜の機銃指揮官らは指揮棒でデッキを叩き「大和がやられた!」と絶叫、地団駄踏んで悔しがり、機銃員たちもみな声を震わせて男泣きに泣いたという。
    初霜はなお健在であったが、護衛に当たっていた二水戦には大きな被害が出ていた。


  • 大和が沈んでも雪風の寺内艦長は闘志満々で、初霜に接近するや「沖縄に突っ込もう」と手旗信号で誘いをかけてきた。
    だがその時にはすでに連合艦隊司令部より反転命令が下っており、結局生存者救助ののち佐世保に帰投することとなった。初霜は矢矧浜風乗員を救助。その後、矢矧に乗艦していた第二水雷戦隊の古村啓蔵司令官を救助、並びに二水戦将旗を収容。最終的には乗員430名を含め、総勢約740名が乗っていたという。*14

  • 矢矧の乗組員の救助に向かう際、後進で佐世保へ帰投しようとする涼月と遭遇している。前進すると沈んでしまう程大破し、ジャイロコンパスが壊れ海図も焼失してしまった彼女のため方角の照合を手伝っている。
    涼月はその後いったん行方不明となるが、8日の午後二時過ぎに満身創痍になりながらも(帰投直前には漁船に「護衛」されながら)佐世保へ帰投することが出来た。
  • 既に沈没したと思われていた涼月が姿を現した際、佐世保は大歓声に包まれた。
    工廠はサイレンを鳴らし、初霜、雪風、冬月をはじめとした港内全艦艇も一斉に汽笛を吹鳴して涼月生還を祝ったという。*15

初霜、二水線解隊式を引き受ける Edit

  • 海戦後、初霜は二水戦の最期に立ち会った。
    佐世保へ帰投後の1945年4月20日13時、第二水雷戦隊の解隊に際する訓示、延いては解隊式が初霜にて行われたのである。
    華と謳われ、数々の仲間たちが散って逝った二水戦。初霜の「お疲れ様」という言葉は、きっと皆に届いたはずである
    • また余談ではあるが、初霜が付けている髪留めは乗員救助を行った矢矧のものではないかと言われている。
      卯月等の例があるが、矢矧の方が後から実装されているので真相は運営と絵師のみぞ知る所である。*16
    • 第二水雷戦隊司令部1945年4月10日付、天一号作戦海上特攻隊戦闘詳報には次の戦訓が記されている。
      “作戦は飽く迄冷静にして打算的なるを要す徒に特攻隊の美名を冠して強引なる突入戦を行ふは失ふ処大にして得る処甚だ少なし”
      初霜改ニにおける戦績表示台詞こそ、実に水雷戦隊最期の願いだったのではないだろうか。

本土決戦 〜初霜、天橋立を前に最期の奮戦 Edit

  • 最後は本土決戦に備えついに雪風と組む。もはや両艦とも隊を成すべき姉妹は無く、生き残ったもの同士で編成されたのである。
    7月30日、停泊していた宮津港が米機動部隊による空襲を受けた。これが初霜最後の戦いとなった。
  • 両艦共に奮戦し、酒匂艦長も艦橋天蓋のハッチを開けて指揮を執った。蛇行運動により投弾を回避するも、一弾が至近弾となり、第三兵員室に破孔が生じ浸水発生。応急修理されるも蛇行運動の継続もあり、浸水の度は増していった。
    対空戦闘は三十分余り続き、艦長自身負傷するも辛くも第一波の攻撃から難を逃れたのである。
    • だが雪風とともに陸岸で難を逃れようとした*17*18ところ触雷。触雷時の衝撃により機関室の前部で切断された状態となり、更に浸水が増し、右舷に大きく傾斜し始めた。そこで沈没を免れるために強引に獅子崎付近に擱座させ、そして傾斜が三十度に達したとき総員退艦がなされた。離艦した直後に第三兵員室付近で再度大爆発を起こし、後部マストが後方艦影の水面下に没するのが視認された。このとき艦の上空にはまた米艦載機が飛来するのがみられ、そのうち一機が艦の沈没を確認するように超低空で旋回を繰り返していた。
    • 終戦僅か2週間前のことであった。死者15名、負傷者約60名。彼女は戦時中に駆逐艦以上の艦艇で一番最後に行動不能となった艦艇となった。(なお雪風は幸いにもこの日の攻撃を耐え、晩に近くの伊根港に入港している)
      • ただし、終戦をポツダム宣言を受諾した8月15日ではなく正式に降伏文章に調印した9月2日とするなら、戦時中に駆逐艦以上の艦艇で一番最後に行動不能となった艦艇は8月22日に触雷着底した駆逐艦朝顔となる。


  • 問題のものは回数機雷で、まず雪風が接触、その後彼女が触れたとき爆発カウントに達してしまったのだ……。
    ただ戦闘詳報に回数機雷の記述はなく、初霜艦長の沈没時の証言にも雪風に続いて回数機雷に触れた経緯はなかったりする。
    • 回数機雷説は当時の海軍記者(新聞記者)と*19、終戦の年に生まれた作家が、それぞれ戦後に執筆した戦記で発表した話だが、公式記録とも言えないので、下記「戦艦大和ノ最期」の一件と同様、取り扱いには注意すべし。
      駆逐艦、水雷艇と哨戒艇、および海防艦全隻の履歴を記録した「護衛部隊の艦艇」の(二)P41において、"艦は1000、湾内において、米軍の磁気機雷に触れ、後部砲塔付近で爆発、キール折損"と、爆発した機雷が回数機雷では無く磁気機雷である事が記述されている。
    • 大戦末期に米軍が港湾封鎖に用いた機雷はMk.25機雷及びその派生型。磁気・音響・水圧で感応し、回数起爆設定が可能なもの。高性能すぎてアメリカ軍自身が戦後に処理できず、現在でも海上自衛隊が捜索・処理を続行中である。
    • このように回数機雷・磁気機雷のどちらだったのかは様々な記述があり、上記のような両方の特徴を持った機雷も使用されていた為、今となっては判断が難しいものになっている。

戦後 Edit

船体の行末 Edit

  • 戦後長く放置されたのは、呉空襲によって行動不能となった艦達は動かす燃料も無く対空戦闘後「大破着底」したのに対し、初霜は機雷で負傷後酒匂艦長の指示によりそのまま獅子崎付近(Google Map )に突っ込み「擱座」させられたためである。
    • 負傷していたとはいえ勢いよく突っ込んだためか船体が岸にめり込んでおり、水中爆破を行ってようやく曳航できた。
      しかしめり込んだ船体部分は残ったままで、現在でも初霜が擱座した海岸付近では網がひけないという。
      初霜より戦後処理が遅くなった艦艇は、現在艦これに実装されてる中でも雪風木曾明石ぐらいである。
  • 1948〜51年に浮揚され、舞鶴にて解体。波乱の生涯に幕を下ろした。

初霜の錨 〜海軍の栄光と悲劇の記憶に Edit

  • 墨田区の山田記念病院に錨が現存する。幅約2メートル、重さ2トン。全体が黒いペンキで塗られている。これは昭和15年から一年間 彼女に軍医中尉として乗り組んだ病院創設者山田正明元軍医少佐(S14年任官)が54年に戦後直後から開設していた当院の改築をした際に、記念となる海軍の遺品を展示しようと、大阪の船具屋でスクラップとなっていたものを捜し出し引き取り、当院の玄関に置いたものである。当初は「海軍の思い出を宣伝には利用したくない」ということで出所の説明を添えていなかった。しかし昭和60年7月31日に大和が海底から発見されたとのニュースに接し、「これも何かの縁」と思い、錨を改めて紹介することを決意し、説明板を設置した。山田院長はこれに際して「大和はあのまま静かに眠らせてやってほしいが、かわりに初霜の錨を展示することで、人々の記憶に海軍の栄光と悲劇をとどめたい」と述べた。それに因んでか、病院のシンボルマークも錨。
    • ちなみに坊ノ岬沖海戦を共に生き残り最後の駆逐隊を組み、初霜の最期を見届けた雪風とは、錨が現存しているという共通点を持つ。(
  • Googleストリートビューでも見ることができる。

いわれなき汚名 Edit

  • 有名な「戦艦大和ノ最期」では、初霜救命艇で乗員が軍刀を振るい、群がる救助者の手首を斬り落として転覆を防いだという話が記されている。
    初霜のいわれなき汚名

初霜の慰霊碑 Edit

  • 初霜の慰霊碑は佐世保東山海軍墓地に建立されている。
    また最後に第17駆逐隊に編入されていた縁から、呉海軍墓地の長迫公園にある「第十七駆逐隊之碑」にも初霜の名が刻まれ、合祀されている。
  • 初霜最後の艦長酒匂雅三は、太平洋を縦横に走り、激務をこなしてきた叩き上げの駆逐艦長である。
    • 彼は初霜に坊ノ岬沖海戦を無傷で切り抜けさせ、宮津湾で触雷し行動不能となる7月30日まで艦長を務めた。最後の戦闘の際に負傷し大怪我を負ったが命は取り留め、終戦後にの艦長を務めた後、昭和21年に京浜産業を創業させている。
    • ちなみに先述の十七駆逐隊之碑に初霜の名前が刻まれたのは彼の動きかけのお陰もある。
    • ネット上には終戦後の酒匂艦長の談話が存在する。初霜という艦について、終戦末期の当時の厳しい状況について知りたい提督には是非読んでいただきたい。

初霜の名を継ぐのは Edit

  • 2014年3月現在、初霜の名前は彼女が最後になっている。坊ノ岬沖海戦で共に生存した「雪風」は戦後すぐに、「涼月」「冬月」も2014年に同時就役を果たした新鋭艦が継承したので、残る彼女の復活も心待ちにしたいものである。
    • なお彼女は二代目で、初代は神風型(初代)の2番艦。国産駆逐艦としては最古参の艦であった。他の第21駆逐隊もこの頃からの姉妹である。

艦歴の参考文献 Edit

参考文献

小ネタ Edit

  • まったくの余談だが、第21駆逐隊の漢数字での名称は『第二一駆逐隊』である。だが第17駆逐隊は『第十七駆逐隊』でそのまま。
  • ハツシモという米がある。大粒で歯ごたえがありサッパリ味。粘り気が控えめで寿司飯にも向く米でJAぎふのイチオシだとか。同じくイチオシである相方はコシヒカリ。
    ユキカゼとかヤハギという米は残念ながら存在しない。ヤマトライスという企業はある。ハツシモも売ってます。
    • この米を使って造られた初霜という酒もある。また雪の風や大和川といった酒は存在する。ちなみに艦これ実装済み初春型姉妹には全員同じ名前の酒が存在する。
  • DMM-NEWSの記事で、初霜がピックアップされた。第二次世界大戦当時における駆逐艦という艦種の役割を簡潔に解説した上で初霜の艦歴を投影し、それが最も顕著に表れているセリフで締められている。提督なら一度目を通して損は無い記事であろう。

議論のルール制定1(自平成26年02月05日至27日) Edit

元頁:議論のルール制定

色眼鏡な要約
(1) 提起者は参加者が対立し進展しない当時の議論掲示板に辟易し、議論掲示板以外での意思決定を望んでいた様子。提案板8議題の中で一番最初に最も非実務的な「wikiのシステム自体が議論に不適」を第一議題に挙げる辺りからの推測。
(2) しかし議論掲示板以外での具体的意思決定工程を他参加者は想像できなかった。なので他参加者は、提起者が投票での迅速な意思決定を志向していると推察して実務的なルールを提案する。
(3) 提起者は議論の前提思想を固めた後で、実務処理を詰めようとしていた。しかし、提起者の前提思想は他参加者の合意を得れなかった。その間に他参加者発案の実務素案が蓄積した。
(4) 提起者が上手く他参加者の素案を議決に持ち込めず議論が遅滞する中で、提起者からコテハン関係の素案が提出される。具体的な誘導を久しぶりに提起者が行った事で、議論は他実務素案を棚上げしてコテハン議題に収束し始める。

もうちょっと詳しめな要約

こんな感じ Edit

名称燃料弾薬鋼材ボーキ司令Lv秘書艦
Lv
秘書艦種備考
10cm連装高角砲下限10103050128駆,雷,正空,戦
上限1003003003007952

ゲームにおいて Edit

  • 最も早くから着手でき、最も簡単であり、最も回転が速く、3番目に弾薬時給が良い。

小ネタ Edit

テスト

艦隊防空の装備例 Edit

装備考察のページに追加されたので一旦閉じます

修復資材早見表 Edit

鋼材=1回の戦闘で消費する燃料×0.3倍
燃料=1回の戦闘で消費する燃料×0.16倍
とした場合の各ダメージ段階での修復資材の簡易表。端数は切り捨てです。
基本的に最終改造時の表のみ。

議論板CVイラストレーターテスト Edit

a 両方ステータス欄 Edit

(上部案)

No.000
File not found: "エラー子.png" at page "練習ページ/6"[添付]ねこ吊るし(ねこつるし)告知妖精初代隊長
CV不明イラストレーター不明*20
艦船ステータス
耐久999火力999
装甲999雷装999
回避999対空999
搭載100000対潜999
速力高速索敵999
射程超長999
燃料2/10弾薬2/10
搭載装備
25000制圧用ねこ?
25000爆撃用ねこ?
25000殲滅用ねこ?
25000未装備
改造チャート
ねこ吊るしねこ吊るしえりぃと?(Lv5) → ねこ吊るしふらっぐ(Lv10) → ねこ吊るしおに?(Lv12) → ねこ吊るしひめ?(Lv15)
通信エラーが発生した為、
お手数ですが、オンラインゲームトップより
ゲームの再開をお願いいたします。

(末尾案)

No.000
File not found: "エラー子.png" at page "練習ページ/6"[添付]ねこ吊るし(ねこつるし)告知妖精初代隊長
艦船ステータス
耐久999火力999
装甲999雷装999
回避999対空999
搭載100000対潜999
速力高速索敵999
射程超長999
燃料2/10弾薬2/10
搭載装備
25000制圧用ねこ?
25000爆撃用ねこ?
25000殲滅用ねこ?
25000未装備
改造チャート
ねこ吊るしねこ吊るしえりぃと?(Lv5) → ねこ吊るしふらっぐ(Lv10) → ねこ吊るしおに?(Lv12) → ねこ吊るしひめ?(Lv15)
通信エラーが発生した為、
お手数ですが、オンラインゲームトップより
ゲームの再開をお願いいたします。
CV不明イラストレーター不明*21
セリフ一覧

メリット・デメリット Edit

  • メリット
    • 上に書いてある方が探し易い。
    • 他のページにテンプレごとコピペできる。
    • 声優が複数化しても行を増やせば良いので横長にならない。
  • デメリット
    • ステータス欄に含めるにはゲーム攻略にとっての重要度が低い。
    • ステータス欄の肥大化による、目で見た時の情報検索効率の低下。他のデータまで見にくくなる虞。
    • セリフ欄でも十分に探し易いので、比較して有意に探し易いか疑問。
    • 今後論争となった時に荒らしや編集合戦がステータス欄で行われる懸念があり、より危険である。
    • 声優が複数化すると縦長になる。
    • 長い人名が入ると二行になる。

b 両方セリフ欄 Edit

No.000
File not found: "エラー子.png" at page "練習ページ/6"[添付]ねこ吊るし(ねこつるし)告知妖精初代隊長
艦船ステータス
耐久999火力999
装甲999雷装999
回避999対空999
搭載100000対潜999
速力高速索敵999
射程超長999
燃料2/10弾薬2/10
搭載装備
25000制圧用ねこ?
25000爆撃用ねこ?
25000殲滅用ねこ?
25000未装備
改造チャート
ねこ吊るしねこ吊るしえりぃと?(Lv5) → ねこ吊るしふらっぐ(Lv10) → ねこ吊るしおに?(Lv12) → ねこ吊るしひめ?(Lv15)
通信エラーが発生した為、
お手数ですが、オンラインゲームトップより
ゲームの再開をお願いいたします。
CV:不明、イラストレーター:不明 (クリックするとセリフ一覧が開きます)

メリット・デメリット Edit

  • メリット
    • ゲーム攻略に重要な情報のみを一番上のステータス欄に集約でき、攻略wikiとして合理的である。
    • そのステータス欄直下であり、かつ従来から声優が掲載されていた場所でもあり、ステータス欄内表記と比較して声優・キャラデザの情報が殊更探しにくいと言うことはない。
    • 表記スペースにやや余裕があり、自由度が高い。
    • CVと関連性が高いセリフ欄に最も近い。
    • かなり長い名前を入れても自動改行されない(注釈除く)。
  • デメリット
    • 声優が複数化した場合、単純に1行表記を行うと情報量によっては横長になる虞。

d CVはセリフ欄、イラストレーターはステータス欄案 Edit

No.000
File not found: "エラー子.png" at page "練習ページ/6"[添付]ねこ吊るし(ねこつるし)告知妖精初代隊長
イラストレーター不明*23
艦船ステータス
耐久999火力999
装甲999雷装999
回避999対空999
搭載100000対潜999
速力高速索敵999
射程超長999
燃料2/10弾薬2/10
搭載装備
25000制圧用ねこ?
25000爆撃用ねこ?
25000殲滅用ねこ?
25000未装備
改造チャート
ねこ吊るしねこ吊るしえりぃと?(Lv5) → ねこ吊るしふらっぐ(Lv10) → ねこ吊るしおに?(Lv12) → ねこ吊るしひめ?(Lv15)
通信エラーが発生した為、
お手数ですが、オンラインゲームトップより
ゲームの再開をお願いいたします。

(イラストレーターを無理して画像下に移動案)

No.000
CV:不明不明不明不明、もしかしてしゃべるんでしょうか(あにめ?)、イラストレーター:不明、いったい誰なんでしょう(めでぃあ)ねこ吊るし(ねこつるし)告知妖精初代隊長
艦船ステータス
耐久999火力999
装甲999雷装999
回避999対空999
搭載100000対潜999
速力高速索敵999
射程超長999
燃料2/10弾薬2/10
搭載装備
25000制圧用ねこ?
25000爆撃用ねこ?
25000殲滅用ねこ?
イラストレーター

BracketName

 

WikiNameの書式で表現できない日本語などをページ名として扱えるようにする書式。

[[BracketName]] 

のように [[ ]] で囲うとBracketNameになります。
もちろん日本語?もOK。

25000未装備
改造チャート
ねこ吊るしねこ吊るしえりぃと?(Lv5) → ねこ吊るしふらっぐ(Lv10) → ねこ吊るしおに?(Lv12) → ねこ吊るしひめ?(Lv15)
通信エラーが発生した為、
お手数ですが、オンラインゲームトップより
ゲームの再開をお願いいたします。
CV・セリフ一覧

メリット・デメリット Edit

  • メリット
    • CVとセリフ一覧、イラストレーターと艦娘画像がそれぞれ関連性が高く、位置が近い。
  • デメリット
    • CVとイラストレーターの表記位置が分かれる。
    • 出典不明の場合脚注が2倍になる。

草案用ページ Edit

らん豚(らんぶた・らんとん) 原文用 Edit

とあるネトゲのコミュニティから、いつしか自然発生したと言われる顔文字。らんらん♪と鳴くかららん豚。
彼らがどこから生まれ、何故豚なのか、「らんらん♪」なのかは諸説あるため、詳しくは検索して頂きたい。
(´・ω・`)ショボーンと(´・ω・`)らんらんは微妙にだが違い、前者は文末に置き一時的な落胆や失望を示す時に使われるが、
後者は文頭に置きゲームや運営に心底呆れている、もうどうにでもなれと言う態度を装う意味合いが強い。

その実態は、ゲームやキャラクターに愛着を持ってしまい、ゲームがクソゲー化して離れたくても離れられなくなってしまったプレイヤーであり、
クソゲーを忌み嫌うがクソゲーに居ついてしまう悲しい習性を持ち、2chのスレッドなどに生息しているとされる。
しかし彼らはペルソナで顔を隠し口調も比較的穏やかだが、その心底には運営に対する身勝手な怨嗟と憎悪が渦巻いているため、その本質はアンチや荒らしの類と同質である。
顔文字を仮面としているのも、皮肉めいた雰囲気を出すことで煽るためであり、その性質上「らん豚が湧く=アンチの攻撃」という認識が新たに広まっている。

なお、経緯など詳しくはこちらを参照していただきたい。

らん豚(らんぶた・らんとん) 改変案用 Edit

とあるネトゲのコミュニティから、いつしか自然発生したと言われる顔文字。らんらん♪と鳴くかららん豚。
彼らがどこから生まれ、何故豚なのか、「らんらん♪」なのかは諸説あるため、詳しくは検索して頂きたい。
(´・ω・`)ショボーンと(´・ω・`)らんらんは微妙にだが違い、前者は文末に置き一時的な落胆や失望を示す時に使われるが、
後者は文頭に置きゲームや運営に心底呆れている、もうどうにでもなれと言う態度を装う意味合いが強い。

その実態は、ゲームやキャラクターに愛着を持ってしまい、ゲームがクソゲー化して離れたくても離れられなくなってしまったプレイヤーであり、
クソゲーを忌み嫌うがクソゲーに居ついてしまう悲しい習性を持ち、2chのスレッドなどに生息しているとされる。
しかし彼らはペルソナで顔を隠し口調も比較的穏やかだが、その心底には運営に対する身勝手な怨嗟と憎悪が渦巻いているため、その本質はアンチや荒らしの類と同質である。
顔文字を仮面としているのも、皮肉めいた雰囲気を出すことで煽るためであり、その性質上「らん豚が湧く=アンチの攻撃」という認識が新たに広まっている。

なお、経緯など詳しくはこちらを参照していただきたい。

月次作戦報酬 Edit

過去の各月次作戦に於いて各サーバ群トップランカーの提督へと贈られた
「ささやかなプレゼント」の一覧です。

【13年4月作戦】
【13年5月作戦】
【13年6月作戦】
【13年7月作戦】
【13年8月作戦】
【13年9月作戦】
【13年10月作戦】
【13年11月作戦】
【13年12月作戦】
【14年1月作戦】
【14年2月作戦】
【14年3月作戦】
【14年4月作戦】

コメント Edit

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • テスト -- 2014-02-08 (土) 18:30:04
    • てすと -- 2014-02-23 (日) 19:12:22
    • て須地 -- 2014-03-06 (木) 18:58:41
      • テスト -- 2014-03-06 (木) 18:59:03
  • 練習用ページのらん豚改変案受付終了につき消しました。 -- 2014-02-11 (火) 12:48:09
    • てすと -- 2014-02-27 (木) 01:46:25
      • てすと2 -- 2014-02-27 (木) 01:46:55
  • テス -- 2014-03-06 (木) 22:59:51
    • テス -- 2014-03-06 (木) 22:59:57
      • テス -- 2014-03-06 (木) 23:00:04
いろいろやってみるテスト
  • もっかい -- 2014-05-24 (土) 19:20:09
  • いろいろやってみるテスト3 -- 2014-05-24 (土) 19:13:12
  • 不正001 -- 2014-07-24 (木) 00:41:23
  • と -- 2015-04-26 (日) 10:21:19
    • と -- 2015-04-26 (日) 10:21:49
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 綾波神通鳥海高波夕立など?
*2 初春若葉子日雪風卯月長波浜風阿武隈長良能代矢矧・等々
*3 大和千歳日向伊勢瑞鳳龍鳳妙高・等々
*4 姉である若葉と比べると起工したのは遅いが、先に竣工したのは初霜である。設計に起因する問題で建造中から色々と手を加えられるはめになったのだが、その辺の事情は初春を参照。
*5 出典:「駆逐艦神風電探戦記」光人社NF文庫
*6 進水式は失敗したからといって翌日やり直すという訳にはいかない。大潮の日の満潮30分前というのが絶対条件で、やり直しには最低2週間待つ必要がある。しかも日の吉凶も重要で、仏滅は駄目で大安か友引でなくてはならかった。おまけに六曜や二十八宿も吉でなければいけない。前時代的な迷信ではあるが、これを無視すると工員が嫌がる。のみならず、事故があった際に「やっぱりねえ」と嫌味を垂れられるので、古いしきたり通りにやるしかなかったのである。
*7 進水式で失敗したりトラブルに見舞われるのは大変縁起が悪いこととされる。実際、進水失敗した巡洋戦艦筑波(弾薬庫爆発事故で轟沈)や艦首のくす玉が割れなかった戦艦土佐(軍縮条約のため未成、標的艦処分)、ドック内壁に激突損傷した空母信濃(生まれて10日で撃沈)や悪天候に見舞われた空母翔鶴(言わずもがな)など、散々な生涯を送った艦は多い。
*8 根拠地隊の任務は、占領地に設けられた海軍基地の防衛と管理。代打とはいえ、初霜は警備隊長として指揮を執ったのである
*9 艦これ未実装の白露型駆逐艦の7番艦。30日にサイパンから離れた直後の2月1日にトラック北水道付近で航行中、米潜水艦ガードフィッシュの雷撃の受けて沈没している。
*10 艦これ未実装の神風型9番艦。夕凪2代目。
*11 運良く小型爆弾で、それも瞬発信管を付けていたため。敵機も突然初霜たちに出会って、地上攻撃用か何かの爆弾をとっさに投下したものらしい。これが大型爆弾だったり対艦用遅発信管を付けていたら、まず前部弾薬庫爆発は免れない。
*12 竹は艦これ未実装の松型2番艦。
*13 この海戦の結果、大和、矢矧、朝霜、浜風が沈没。磯風、霞は航行不能にて処分され冬月、涼月は生還したがそれぞれ中破、大破。雪風は不発弾の直撃を受け死傷者を出した。このような大激戦の中、一際旧式でかつて失敗作の烙印を押された初春型の初霜が下記を含めた偉業を成し遂げたのである。
*14 新たに追加された放置ボイスで、初めて他艦に言及する相手が矢矧と浜風なのはやはりこのエピソード故であろう。なお軽巡の矢矧のみならず、同じ駆逐艦で後輩の浜風にも初霜はさん付けで呼びかけている。
*15 しかし既に係留する余裕もないほどに浸水が進行していた。佐世保到着時でさえ艦の中央部の乾舷が50cmを切り、艦首を引き摺りながら航行している状態であった。並のドックでは艦首が引っかかりトドメを刺してしまう恐れもあったため、曳船が無理やり本来の主を失った第七船渠へ収容したものの、入港時に前進で入港したことがさらなる浸水を引き起こしドック排水を待たず着底。ギリギリの生還であった。
*16 さらに初霜改二では濃紺でボロボロの鉢巻を身に着けるようになり、これも矢矧のネクタイ型スカーフではないかという説が浮上している。
*17 空中から投下する機雷はどうしても岸に投下するのは難しいため。第17駆逐隊の司令官から陸側に寄せて難を逃れるように地上から指示が飛んでいたが間に合わなかった
*18 因みに南方の戦いで機雷に散々悩まされてきた雪風は言われるまでもなく陸側を移動・回避していた
*19 伊藤正徳著「連合艦隊の栄光」。同著では初霜が宮津湾空襲を耐え抜き、舞鶴に移動中被雷している記述である事から創作であると判明している。実際は雪風と共に舞鶴に移動したのは潜水母艦「長鯨」で、両艦の中間付近で機雷が爆発したため被害は出ていない。
*20 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*21 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*22 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*23 イラストレーター加筆時はCV・イラストレーターに出典を記載
*24 CV加筆時はCV・イラストレーターに出典を記載