あ行 |
アイアンボトムサウンド/アイアンボトム・サウンド |
読み | - |
使っている艦娘 | 夕立、衣笠 |
意味 | ソロモン諸島のサボ島・フロリダ諸島とガダルカナル島の間に位置する海峡。 太平洋戦争中、日米の大消耗戦となったガダルカナル島の戦いやソロモン海戦(第一次・第三次)により多数の艦船、航空機がこの海域に沈んだ。 海底を鋼鉄の残骸が埋め尽くしていることから「アイアンボトムサウンド(鉄底海峡)」と呼ばれるようになり、現在は絶好のダイビングスポットとして有名となっている。 艦これに登場する艦で挙げられる内でも主人公の「吹雪」を始め「暁」「綾波」「霧島」「比叡」「古鷹」「夕立」「巻雲」がここに眠っている。 細かいことだが、自己紹介にて夕立は「アイアンボトム・サウンド」、衣笠は「アイアンボトムサウンド」と呼称(記述)している。 なお、「サウンド」は古代英語を語源とした「海峡」という意味の単語であり、同一スペルだが「音」のサウンドではないので注意しよう。 |
アウトレンジ |
読み | - |
使っている艦娘 | 瑞鶴、瑞鳳 |
意味 | [射程:短]の敵の攻撃は届かないが[射程:長]のこちらの攻撃は届く距離から先制攻撃を行い戦況を有利に進めよう、といった考え。アウトレンジ戦法。 軍縮条約により米国に数で劣る日本軍が、艦隊決戦を有利に行うために考え出された。 発想は容易だが実行は困難で、特に艦載機による長距離攻撃にはかなりの練度を要した。 長大な航続距離を持つ一式陸攻、米魚雷の4倍以上の最大射程をもつ酸素魚雷、米海軍を上回る砲戦距離を維持できる戦艦群など、多くの兵器がアウトレンジ戦法を主眼として開発された……というのが10年ぐらい前までの定説。 現在では色々と当時の資料が出てきて、「必ずしもアウトレンジの為に開発されたのではない(=結果的にその様に使われたのは認める)」という感じである。 例えば長大な航続力を持つことで有名な零戦は、元々艦隊防空のために長い滞空時間を要求されており、航続力を要求されたものではなかった、などの例がある。 瑞鶴、瑞鳳両名がアウトレンジにこだわるのは、マリアナ沖海戦で数・質・練度の殆どで負けている米軍機動部隊に対し見出した唯一の勝ち目ながら、それすら容易く破られたため。 ただゲームシステム上、互いの砲撃が届く位置での殴り合いになりながら「アウトレンジで決めたいわねっ!」と言うことになるが、それは言わぬが花というものか。 |
赤煉瓦 |
読み | あかれんが |
使っている艦娘 | 飛龍 |
意味 | 海軍省・海軍軍令部の通称。本庁舎の建物がイギリスから輸入した赤煉瓦づくりだったことに由来する。 所在地は官庁らしく霞が関にあった。(場所は現在の厚生労働省・環境省合同庁舎の位置) 戦争末期の山の手空襲で本庁舎は半壊。残った建物も1980年代までに老朽化と狭隘化により取り壊され、海軍時代の建物は残っていない。 また、海軍省地下防空壕筐体の一部は現在の千代田線霞ヶ関駅として使われている。 余談だが、明治以来赤煉瓦造の建物は多く、通称”赤煉瓦”と呼ばれる現存物は各地にあるため、話題にするときは相手との連想対象のすれ違いには注意。 海軍関係の建造物では、海軍兵学校や舞鶴赤レンガ倉庫群などがよく赤煉瓦と呼ばれる。 これとは別にデスクワーク畑ばかりを歩み続けた軍人を「赤煉瓦」と呼称する場合がある。対義語は艦隊勤務ばかりを歩み続けた軍人に対する「両舷直」。 具体例では任期の大半を陸上勤務で過ごした井上成美提督あたり。 |
イージス艦 |
読み | - かん |
使っている艦娘 | 霧島、妙高など |
意味 | 後世に「イージスシステム」を搭載した軍艦、自衛艦のこと。 冷戦時代において、ソ連の飽和攻撃(90秒でミサイル100発など、敵の迎撃能力の限界を超える程の膨大な一斉攻撃)戦術への対抗策として米国が開発した。 人の判断頼りだった従来の防空システムとは違い、コンピュータにより多数のミサイルを同時に迅速に捕捉・迎撃可能。 各国のミサイル防衛計画の一翼を担っているが、非常に高価であること、米国が技術供与を行った国が限られていることなどから、2013年現在配備国は7ヶ国にとどまっている。 海上自衛隊には2014年現在こんごう型4隻(こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい)あたご型2隻(あたご、あしがら)の計6隻が配備されており、今後10年以内に2隻の増強が行われる模様。 よく勘違いされるが、イージス艦とは「イージスシステム」を搭載した艦の総称であり、「航空母艦・巡洋艦・駆逐艦(護衛艦)」のような艦種のひとつではない。 例をあげると、「きりしま・みょうこう」はこんごう型ミサイル護衛艦(DDG)であり、こんごう型イージス艦ではない。 イージス艦=駆逐艦と言う勘違いもよくある。確かにこんごう型・あたご型は元になっているのがアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦と言うのもあるので世界的に見ると駆逐艦だが、アメリカにはちゃんとタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦として巡洋艦も存在するのでイージス艦=駆逐艦ではない。 余談だが、なぜ今ではあきづき型やたかなみ型、むらさめ型もミサイルを搭載しているのにはたかぜ型・こんごう型・あたご型だけがミサイル護衛艦と呼ばれるかというと、長射程対空ミサイルを搭載し、艦隊防空(エリアディフェンス)を行うからである。 |
一航戦 |
読み | いっこうせん |
使っている艦娘 | 赤城、加賀 |
意味 | 「赤城」や「加賀」が所属していた最精鋭の空母艦隊「第一航空戦隊」の略称。 艦娘の「加賀」は新人揃いの「五航戦」に対してやたらと辛辣な節が見受けられるのだが、これは後発の五航戦搭乗員を一航戦の搭乗員が新米扱いして見下していたことに由来する。 なお、艦これでは「一航戦=赤城・加賀」のようになっているが、これはミッドウェー海戦の頃の所属艦であり、それ以前には龍驤や鳳翔が所属していたこともある。ミッドウェーで一・二航戦所属空母が全滅し、翔鶴・瑞鶴・瑞鳳で再編成された。後に大鳳や隼鷹も所属し、末期には空母ですらない大和も配備されている。つまり沖縄へ向けて大和が特攻したとき、大和は一航戦として出撃したのである。他に天城、葛城、隼鷹らがいたが既に航空機もなく燃料も欠乏していたので出撃は見送られた。 |
井上提督 |
読み | いのうえていとく |
使っている艦娘 | 比叡 |
意味 | 宮城県仙台市出身の海軍軍人である井上成美(いのうえ しげよし)を指す。 日本海軍史上最後に大将に昇進した人物。 謹厳実直で「計算尺」に例えられるほど頭が切れた一方で、歯に衣着せぬ物言いが嫌われたことも少なくない。 ワシントン条約に賛成、対米戦に反対したことから山本五十六・米内光政と共に「海軍三羽烏」と呼ばれた。 航空主兵論の立場から「海軍の空軍化」「基地航空隊の拡充」を唱えた。 開戦時には第四艦隊司令長官であり、ウェーク島攻略、MO作戦(珊瑚海海戦)に関わった。作戦指揮の巧拙に関して様々な意見を言われている。 海軍兵学校校長に補された時に様々な教育改革を行ったことは評価が高い。 マリアナ沖海戦後、再度海軍中央に呼ばれ終戦工作に奔走した。戦後は元軍人と関わることを嫌い、英語学習塾を開いて生計を立てていた。
陸上勤務が長く、数少ない艦隊勤務中に艦長を務めた比叡のことは殊に気に入っていたらしく「停泊中の比叡が見える位置に引っ越す」「自宅に比叡の絵画を飾る」などしていたそうな。 |
ヴァルハラ |
読み | - |
使っている艦娘 | 金剛 |
意味 | 金剛は「あの世」のような意味で使用している語。本来は北欧神話の主神「オーディン」の居城で、死せる戦士達の魂が集う場所でもあるためにこうした用法がなされていると見られる。 ヴァルハラに集められた戦士達は朝から日没まで殺し合い、夜は蘇ってオーディンの使いである美女たちの酌を受け酒盛りをするという。 数ある「あの世」でも一等血腥い場所の一つで、ヴァイキングには栄誉でも可憐な乙女に似合う場所ではない。金剛を愛する提督諸氏はそんな場所に彼女を逝かせないように。慢心はダメ、絶対。例え極楽浄土だろうとダメ。 ちなみに何でイギリス生まれの彼女を北欧神話由来の「あの世」に逝かせるのかというと、一応関連性としては20世紀以降のイギリス王室がドイツ起源であることが挙げられる。 ドイツ帝国までのドイツはプロイセン文化の為北欧文化の影響も根強かった*20。 とはいえ、最終的な理由は結局のところ帰国子女≒日本人だから*21ですべて説明がついてしまうというところだろう。 |
ヴィッカース社 |
読み | - しゃ |
使っている艦娘 | 金剛 |
意味 | かつて英国の重工業を支えた超名門企業。日本で例えるならば三菱的な立ち位置。 金剛や三笠などの名軍艦を建造したほか、機関銃や戦車など様々な軍事兵器の開発・生産を行っていた。 1928年にライバルのアームストロング社*22と合併し、長らく英国の重工業界をリードしていたが、2004年にBAEシステムズ社に買収され、現在ではヴィッカースの名を冠する企業は存在しない。 しかし、機械工学等の分野では「ビッカース硬度(HV)」という名で未だに広く知られている。 同社製の測定器に由来する命名であり、測定に使用するテストピースはダイヤモンド(金剛石)である。 なお、戦艦「金剛」の方が硬度規格制定より先に竣工している。 |
飢えた狼 |
読み | う - おおかみ |
使っている艦娘 | 足柄 |
意味 | 「まるで飢えた狼のようだ」「美しい艦とはとても言えない」 英国王ジョージ6世の戴冠記念観艦式にゲストとして招かれた「足柄」を評した英国人の一言。 また、「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった」とも評された。 外洋を長距離航行する巡洋艦のくせに、戦闘能力一辺倒で居住性が低いことを皮肉っていると言われている。 褒め言葉と捉えられなくもないあたりはブリティッシュジョークの妙技か。 実際、日本側は足柄に対するプラスの評価としてこの言葉を捉えたと伝えられている。 なお、これは「植民地を含めた外洋を行動する王立海軍」と「設立以来近海警備を主務としてきた帝国海軍」の違いもある。 なにしろ当時のヨーロッパ海軍の艦長室は貴族の伝統と植民地における外交も担当するため、ホテルのスイートルーム並の豪華な内装を持っていた。 それに対し、日米海軍はそういった配慮が薄いため艦長室であっても実用的な内装であった。 フランス人芸術家などはその機能美を賞賛していたりするので、個人の感性や国民性の違いなのかもしれない。 |
か行 |
鎧袖一触 |
読み | がいしゅういっしょく |
使っている艦娘 | 加賀 |
意味 | 鎧の袖が一瞬触れただけで倒せるというほど、簡単に相手を打ち負かすこと。今風に言うなら「グッとガッツポーズしただけで5点くらい入った」 一航戦の人間は珊瑚海海戦の戦果を聞いて「妾の子(五航戦)でも勝てたのだから、本妻の子(一航戦)なら鎧袖一触だ」と言ったといわれる。 この言動は、当時連戦連勝を重ねる日本軍に蔓延していた慢心気分「勝利病 Victory Disease」とも無関係では無かったとされている。 |
カレー |
読み | - |
使っている艦娘 | 衣笠、伊168など |
意味 | 言わずと知れた国民食であり、日本海軍を代表する料理。海軍軍人病死の最大の原因だった脚気を予防する食事として採用された。 海軍では長期航海で曜日の感覚を失わないよう、毎週「土曜カレー」を出す習慣があり、これは海上自衛隊にも受け継がれている。 なぜ土曜日かというと、カレーは材料に融通が効き、週末の在庫整理に都合が良かったからと言われている。 ゆえに、海軍では土曜日であり、海上自衛隊も当初は土曜日だったが、週休2日制となった今の海上自衛隊では金曜日となっている。 このためか、「カレーと言ったら金曜日」と言う風潮があるが、自衛隊でも土曜日の時期もあったし、そもそも大本の海軍では土曜日なので誤解の無いように。(ただし、必ずしも土曜日に出されていたわけではなかった。) 各艦ごとの調理員が独自のレシピを作り、その味を競い合い、海軍・海上自衛隊を問わず、艦長同士が歓談する際は自艦のカレーの旨さを自慢しあうことも頻繁であるという。 海上自衛隊HPのファミリーページにも各艦のオリジナルカレーレシピが載っているので興味のある提督諸氏は見てみるとよいだろう。 海軍や海上自衛隊に縁のある街での土産や町おこしに使われることも多い。 陸軍でも糧食として採用されており、一部の調理員のみがカレーの作り方を知っていた海軍よりも、兵員数に勝り、すべての兵が持ち回りで糧食を担当した(すなわち、全員がカレーの作り方を知っていた)陸軍のほうが国民食化への貢献が大きいとする説もある。 カレーの存在自体は戦前から国民に知られており、主に料理屋で供されていたが、終戦後に一般家庭の料理として広まった所以にこの説を上げるものがある。 因みに戦時中は敵性語としてカレーの名前を自粛、辛味入汁掛飯の名前で出している店もあった。 実は貴重な真水を大量に使うので、軍隊食としては大変贅沢な料理である。 ゲームでは一部の艦娘が食事時に様々なカレーを振舞ってくれる。鈴谷や早霜曰く「艦娘の数だけカレーがある」とのことだが、作ってくれない娘も数多いのでまだまだ未知数である。 |
観艦式 |
読み | かんかんしき |
使っている艦娘 | 足柄 |
意味 | 多くの軍艦を並べて観閲する式のことで、国家の祝典あるいは海軍の記念行事のひとつとして行われる。 艦隊の威容を誇示し、自勢力の士気を高めるとともに、敵勢力に対する示威行為とすることが目的である。 その為、たとえば未だ建造中だった最新鋭重巡那智を参加させるために突貫工事を行い、各種試験を後回しにして引っ張り出したなどの例もある。 現在では、同盟国・友好国との交流や、自国民の海軍への理解を深めることも目的としている。 日本における観艦式の起源は1868年(明治元年)に大阪天保山沖で明治天皇を迎えて行われたものであり、1900年(明治33年)の式から「観艦式」という名称が使われた。なお、比叡は練習戦艦となってからは艦隊に束縛されない存在であった為、スケジュール調整が容易で観艦式の「御召艦」を何度も任されている。 1933年(昭和8年)の観艦式の実際の映像 → http://www.youtube.com/watch?v=fvnRhsjIzNA 海上自衛隊でも実施しているので、興味のある方は調べてみると良いかもしれない。 ちなみに、某ジャンルの隠語として別の意味でも使われるのだが、詳細は大人の提督諸士のみ「観艦式 隠語」でググられたし。 |
艦隊決戦 |
読み | かんたいけっせん |
使っている艦娘 | 長門、Z1など |
意味 | 交戦国の主力艦隊同士が正面から激突し、相手戦力を壊滅させるまで戦うこと。「相手の海軍戦力を壊滅させることで継戦能力を奪い、戦争の決定打とする」ことが20世紀前半以前の先進国間の共通認識だった。第二次世界大戦までは艦隊決戦の主力は戦艦とされており、第2次大戦中も各国海軍はこぞって戦艦の建造・整備に傾注した。 日本海軍は日本海海戦での勝利を戦訓に連合艦隊を編成してきており、戦艦のみならず陸上機、駆逐艦、潜水艦までも艦隊決戦用の漸減戦力としていた。 一方、ドイツ海軍は準備不足のまま戦争に突入した為に艦隊決戦が困難になり、通商破壊戦に傾注していく事となる。 マレー沖海戦、ミッドウェー海戦などにおいて航空戦力のみで勝敗が決着したため、戦艦は艦隊決戦の主力から外れ、代わりに空母機動部隊が艦隊決戦の主力となっていく。 |
帰国子女 |
読み | きこくしじょ |
使っている艦娘 | 金剛 |
意味 | 学齢期頃に長期に外国で生活した後に本国(国籍のある国)へ帰国した者を指す語。 「帰国」と入っていることから、「本国で生まれて外国へ行って帰ってきた者」だけを指すと勘違いしている人も多いようだが、そんなことはなく、外国で生まれて本国へ来た者も含まれる。外国籍として外国で生まれ、本国へ来た後に国籍を変更した場合は「帰化」である。 帝国海軍から発注されて(=日本国籍)英国で生まれ、建造後日本へ来た金剛は帰国子女ということになる。もちろんこれは、擬人化したから「帰国子女」なのであって、帝国海軍が実際の金剛のことを帰国子女と呼んでいたわけではないと思われる。 現時点で艦これ実装艦では金剛が唯一の帰国子女である。初期の帝国海軍はほとんどの艦を外国の造船所で建造していたため、「帰国子女」の艦も多かった。 |
貴様 |
読み | きさま |
使っている艦娘 | 那智、初春など |
意味 | 現代ではかなり見下したニュアンスを感じる言葉だが、本来は文字通り「あなた様」を意味する敬称である。 海軍では、兵学校の同期生などが「イーブンな関係」であり「特に親しい間柄」であることを周囲に知らせる意味も含めて「貴様」という言葉を使っていて、可愛がっている部下に対しても使われる場合もあった。 兵学校生徒の友情と団結を歌った軍歌『同期の桜』でも「貴様と俺とは〜」と歌われているように、「貴様」を使うことは信頼の証でもあった。 ただ、元々は武士やその子孫の士族が使う言葉で、一般民には元々馴染みのない言葉であった。 それが徴兵制であった戦前戦中に軍隊で広く使われたため、しごかれる対象である徴集兵を呼ぶ言葉というイメージが、この言葉に馴染みがなく本来の意味を知らなかった一般世間に広く流布してしまい、現代のようなニュアンスになったと言われる。 海軍は薩摩閥だったので薩摩弁の「貴様(きさん)」が語源になっているという。ちなみに長州閥を母体とする陸軍では「貴公」を使うことが多い。 ゲームにおいて那智と木曾は戦友を呼ぶような気安さで用いているが、菊月は敵に対する罵倒の意味で使っている。 現代の言葉では「お前(気さくな意味でも、相手をけなす意味でも使われる)」に近いかもしれない。 |
艤装 |
読み | ぎそう |
使っている艦娘 | 加古、長門など |
意味 | 船の場合、船体を造って進水させた後に機関や兵装、室内外の各種装備などを船体に取り付ける工程・作業のこと、及びここで取り付けた装備のことを指す。 艦これにおいては、艦娘が背中に背負うなどしている兵装・機関のことを「艤装」と呼んでいるようである。 進水直後の艦はいわば「ただ浮くことができる状態」であり、進水の後も数か月〜数年かけて艤装が行われる。 艤装が終われば造船会社の手を離れ、艦籍に入ることとなる。艤装が終わることを「竣工」と呼び、艦籍に入ることを「就役」と呼ぶ。 軍の艦船の場合、竣工と共に艦籍に入ることになるため、「竣工・就役」は同日になるので「竣工・就役」と呼ばれるが、一般的に「就役」と呼ばれることが多い。 建造工程は、「起工(日)」→「進水(日)」→「就役(日)」となり、艦(船)や艦娘も進水日が誕生日となる。 余談だが、軍の事務の手続き上、就役日はある程度まとめられることが多く、同型艦の近い子は就役日が同じだったりする。 |
吉川艦長 |
読み | きっかわかんちょう |
使っている艦娘 | 夕立改二 |
意味 | 広島県広島市出身の日本軍人、吉川潔(きっかわきよし)氏のこと。 駆逐艦長月の水雷長を始めとして、春風、弥生、山風、江風、夕立、大波、と駆逐艦長を務め上げた駆逐艦乗り。 第三次ソロモン海戦では日米共に艦隊が混乱する中、春雨と共に米艦隊に突っ込んで米艦隊の混乱を拡大させた。 更に米艦隊を通過した後は、反転して今度は単艦で突撃。 砲術長に「どんどん撃て」という海軍には存在しない号令をかけ手当たり次第に撃ちまくり、海戦史に残る大乱闘を引き起こした。 第三次ソロモン海戦後は功績により海軍兵学校の教官職を命じられるが、前線勤務を望み拒否。 後に望みどおり大波の艦長としてソロモン海に帰ってきたが、セント・ジョージ岬海戦にて電探による先制攻撃を受け轟沈。 「艦長が艦と運命を共にするなんて馬鹿げてる」と普段から公言していた吉川艦長が、皮肉にも艦と運命を共にすることとなってしまった。 戦死後、その功績から駆逐艦長としては唯一の二階級特進により少将となった。
海軍兵学校を志望するも身長と胸囲不足により不合格となったため、器械体操と積荷作業で身体を鍛えあげ翌年見事合格を果たしたり(夕立放置時の「もっともっと鍛えなきゃ!」)、第三次ソロモン海戦で行動不能になった夕立をハンモックで帆を張り動かそうとしたり(夕立改二の艤装と小破時の「ハンモックを張ってでも、戦うよ!」)、夕立の台詞や立ち絵の多くに吉川艦長のエピソードが使われている。 |
帰投 |
読み | きとう |
使っている艦娘 | 多数 |
意味 | 艦船や航空機その他が基地に戻ること。「帰港投錨」の略であり、立派な海軍用語である。 「帰港」とあるように、元々は艦船が港に戻ることを言っていたらしい。 陸軍はこの語を使っていないはず。 |
機動部隊 |
読み | きどうぶたい |
使っている艦娘 | 空母系艦娘多数 |
意味 | 航空母艦を基幹とする、航空打撃力を発揮するための艦隊。航空母艦を中心として、これを護衛・支援する戦艦・巡洋艦・駆逐艦等で構成される。 陸上の航空部隊では攻撃可能な範囲は基地から一定の距離内に限られるのに対し、機動部隊は遥か遠方の敵勢力範囲まで進出し、空母艦上機による敵陸上基地の攻撃、敵艦隊の撃滅、上陸部隊の支援等を行える。 第二次大戦前、空母が実用化された当初、航空機はあくまで偵察等の補助戦力で、主力は戦艦と考えられていた。しかし航空機の著しい発達の結果、いざ開戦してみると真珠湾・マレー沖を皮切りに、太平洋戦線は航空機による戦争となったのは歴史が示す通り。 この戦術に早くから目を付け、研究熱心だったのが他ならぬ日本海軍である。そして研究の末、日本海軍は恐ろしい結論にたどり着く。
「空母と艦載機があれば全ての水上艦を一方的に沈められるし、陸上攻撃でも比類なき破壊力がある。じゃあ空母だけあればいいんじゃね?*23」
…かくして太平洋戦争では日米ともに世界屈指の機動部隊を擁し、機動部隊同士の衝突も度々発生。これは勿論、世界の海戦の最先端をゆく戦いだったのだが、防諜や空母のダメコン、更には搭乗員の育成システムや諸々の生産力に劣る日本は敗北*24。ここら辺、ヨーロッパ戦線にて世界初の機甲師団で列強を驚かせたドイツが、最後はソ連の機甲師団に踏み潰された顛末と重なると言える。 戦後はアメリカが砲艦外交の一環として原子力空母による機動部隊を複数展開し、世界最強の海軍として君臨している他、イギリスも軽空母を基幹とした機動部隊を保有。 現在の海上自衛隊についてはDDHを見ると良い。 |
牛缶 |
読み | ぎゅうかん |
使っている艦娘 | 秋雲、秋月改 |
意味 | 牛肉大和煮の缶詰のこと。 缶詰は保存が効くことから、戦前は軍需が需要の中心であり、特に牛肉大和煮の缶詰(牛缶)は人気が高かった。 なお、運営の中の人ことC2機関が製作した同人誌「こんな日には缶詰あけよ。vol.2」の中で、どう見ても私服の赤城さんにしか見えない「大和煮さん」(牛缶の「缶娘」)が、熱々の白飯と牛缶の組み合わせを大絶賛し、装備換装(おかわり)を要求している。 |
給糧艦 |
読み | きゅうりょうかん |
使っている艦娘 | 伊58「間宮」、夕張「間宮」 |
意味 | 艦艇や前線基地に食料などを補給する船。給糧艦「間宮」は中に冷蔵庫、食物加工工場などがあり、内部で軍属のプロ職人による羊羹、最中、アイスクリーム、ラムネなどが生産されていたため、艦艇の将兵から大人気であった。帝国海軍の下士官兵にとって給糧艦の護衛任務は艦隊決戦よりも優先されたとか。事実4隻建造された給糧艦「杵崎」型*25は3隻が無事に終戦を迎えている。また人気の給糧艦が撃沈された時は全軍がお通夜状態だったなどという話もある。 余談だが、現在は、給糧艦・給油艦・給炭艦・給兵艦等の機能を併せ持つ補給艦(AOE)「とわだ型」・「ましゅう型」計5隻が就役しており第一海上補給隊として「横須賀・佐世保・舞鶴・呉」の4港に分散配備されている。 ちなみにましゅう型は全長221m・基準13500t・満載25000tと、海上自衛隊ではいずも型に次いで2番めに大きい。 |
夾叉(挟叉) |
読み | きょうさ |
使っている艦娘 | 那智、大和 |
意味 | こちらが斉射した複数の砲弾が、敵艦を前後か左右に挟む形で着弾すること。 当時の中〜遠距離砲撃は公算射撃と言って、砲弾の散らばる範囲内(散布界)に敵艦を捕捉して常に夾叉を維持出来れば、いずれは夾叉弾の中から命中を得られるという、いわば確率に則ったものだった。 そこで夾叉したということは、命中は逃したが、既に標的(敵艦)を砲の散布界に捉えている(≒照準が合っている)、という状態を意味する。 簡単に言えば、「弾ブレで命中しなかった」だけで、照準は合っているのでこのまま調整して撃ち続ければいずれ命中弾が出る、という状況。 ゲームのシステム上に関係するものではない。 |
魚雷 |
読み | ぎょらい |
使っている艦娘 | 吹雪など他多数 |
意味 | 魚形水雷の略。内蔵動力により水中を自力で進む水雷(水中爆弾)のこと。 喫水下(艦船の水面下の部分)への攻撃は多量の浸水による大被害が期待できる上、水圧により爆圧が拡散せず一点に集中するため、少量の爆薬でも凄まじい破壊力を発揮することができた。 当たれば戦艦でもタダでは済まない強烈な威力ながら、強力な大砲に比べると重量が軽く収まるため、駆逐艦などの小型艦艇に搭載されている事が多い。 また潜水艦でも使用されていた他、航空機搭載用には短射程ながら大幅に軽量化されたものが使用されていた。 太平洋戦争当時の魚雷は、深度調整機能と単純なジャイロ誘導機能しか有しておらず、一定の深さをまっすぐ進むことしか出来ない。 そのため通常は、一度に複数発射することで命中を期待する兵器であり、その性質上潜行中の潜水艦への攻撃はほぼ不可能である。 大日本帝国海軍では主に、八年式空気魚雷(睦月型や吹雪型などの初期)、九〇式空気魚雷、九一式航空魚雷、九三式酸素魚雷、九五式酸素魚雷(潜水艦用)などが使用されている。 現代では潜水艦発射型対水上・潜水艦用の長魚雷、水上艦発射型対潜水艦用の短魚雷という区別が有るが、当時の魚雷にはソーナーなど、誘導装置が搭載されてないため、艦娘に搭載されている魚雷は当然潜水艦には当たらない。 なお、ざっくりとした値段だが、昔は「魚雷一本、家一軒」と言われるぐらい高価な代物で、演習時は爆発しない演習用弾頭を装着して、本体部分を整備して再使用していた。ちなみに演習用弾頭は赤色、実用弾頭は黒色であった。 上記のように値段の高いものであったが、魚雷は砲弾と違って炸薬を抜いて再使用したり、発射管が摩耗しないなど、撃てば再使用不可の砲弾や、撃つごとに摩耗する砲身などと違って費用は安く済むので、貧乏な日本にとってはその小型、破壊力と合わさって都合のいい武器であった。(日本が魚雷大国になったのもこれが理由と言われており、酸素魚雷もこれで生まれたと言われている。) なお、有名すぎて日本海軍魚雷はすべて酸素魚雷と誤解されるが、睦月型や吹雪型、初春型は最初は八年式空気魚雷や九〇式空気魚雷を搭載し、九三式酸素魚雷を初搭載したのは白露型である。初春型は大戦開始期には換装されたと言われている。吹雪型の響や潮は大戦後期に換装した説があるが、それ以外の吹雪型や睦月型は沈んでいるのでもちろん換装されていない。(だから吹雪や叢雲が酸素魚雷などと言うのは本当は間違いである。(吹雪改二?知らない子ですね) 余談だが、大戦当時の魚雷は簡単なジャイロを搭載してはいるが、まっすぐ進んで行かないと言うのも多々あった。伊58が「ゴーヤの魚雷さんは、お利口さんなのでち。」と言っているのはこの事が由来だと思われる。当時で言う「お利口さんな魚雷」とはきちんとまっすぐ進んでくれる魚雷のことを言った。もちろん現在の「お利口さんな魚雷」は諸元を入力し発射すれば敵艦を追尾して追いかけてくれるものである。 |
銀蝿 |
読み | ぎんばい |
使っている艦娘 | 夕張 |
意味 | 文字通り食べ物に集る蠅のように、艦の烹炊所(ほうすいじょ)や食料庫から食料や嗜好品をちょろまかす行為のこと。 もちろん窃盗罪に当たる犯罪行為なのだが、仮に見つかっても罰直(鉄拳で殴られたりバットで尻をぶっ叩かれたり)で済む事が多く、大事(起訴・法的処罰)になる例は稀であった。 ちょっとやそっとであれば見て見ぬふりをしたり、逆に便宜をはかる主計官も多かったといい、良くも悪くも海軍の伝統文化的な面があった。 ただ、当時の衛生状態を考えるに推奨しかねる行為であったことも事実である。 食料や嗜好品だけではなく、例えばある基地に故障機が不時着したら、その機体を後方に送れば修理可能にもかかわらず「全損」と報告し、部品取り機にしてしまう例なども多くあり、これは部隊ぐるみの銀蝿とも言える。 こういった話は日本だけでなく世界中の軍隊でも似通った話が回想録などで出てくる。 前線で戦う兵士にしてみたら、支給される食料やら物資が不足すれば士気は下がり、部隊や自身の命が危機に晒されるな場合もある。時には味方であっても掠め取って英気を養い、生き残ろうとする行為は半ば黙認するのが各国軍隊では暗黙の決まりだった。 まあそれにも限度があって日本軍でも度が過ぎて窃盗まがいになると犯罪であり、軍法会議ものであった。 戦艦陸奥の爆沈の原因として上がる1兵士の放火も、この兵士の窃盗紛いの銀蝿行為に査問委員会が開かれる事になり、自暴自棄になっての放火とされている。 |
駆逐隊 |
読み | くちくたい |
使っている艦娘 | 天津風ほか |
意味 | 帝国海軍の艦の編成単位の一つで、2〜4隻の駆逐艦で編成される部隊のこと。 通常、駆逐艦は駆逐隊に所属し*26*27、駆逐隊単位で水雷戦隊や航空戦隊に編成された。 通常は、性能を揃えるため同型艦で編成されるが、長期の修理や沈没などで欠員が出た場合には、他の駆逐隊から別型艦が転籍する場合もあった。特に、多くの艦を失った大戦末期には、生き残った艦を寄せ集めて駆逐隊が編成された。 指揮官は「司令」と呼ばれ、通常は大佐か中佐が任命された。 駆逐隊の番号は、所属する鎮守府ごとに分けられている(横須賀所属は1〜10、呉所属は11〜20、佐世保所属は21〜30、舞鶴所属は31〜40。後に横須賀41〜50、呉51〜60、佐世保61〜70を追加)。したがって新旧は番号順になっていない。また、本来は漢数字の「十」は使わない。 艦これ登場艦が所属した駆逐隊には、以下のものがある(括孤内は開戦時または開戦後最初の編成時の編成)。 ・第二駆逐隊(村雨・夕立・春雨・五月雨) ・第四駆逐隊(野分・嵐・萩風・舞風。満潮も後に在籍) ・第六駆逐隊(暁・響・雷・電) ・第七駆逐隊(朧・曙・漣・潮。響も大戦末期に在籍) ・第八駆逐隊(朝潮・大潮・満潮・荒潮) ・第一〇駆逐隊(秋雲・夕雲・巻雲) ・第一一駆逐隊(吹雪・白雪・初雪。後に解隊した第一二駆逐隊から叢雲が移籍。開戦前には深雪も所属していた) ・第一二駆逐隊(叢雲・東雲・薄雲・白雲) ・第一五駆逐隊(黒潮・親潮・早潮・夏潮。後に陽炎が移籍) ・第一六駆逐隊(初風・雪風・天津風・時津風) ・第一七駆逐隊(浦風・磯風・浜風・谷風。後に雪風も在籍) ・第一八駆逐隊(霰・霞・陽炎・不知火) ・第一九駆逐隊(磯波・浦波・綾波・敷波) ・第二一駆逐隊(初春・子日・若葉・初霜) ・第二二駆逐隊(皐月・水無月・文月・長月) ・第二三駆逐隊(菊月・卯月・夕月) ・第二四駆逐隊(海風・山風・江風・涼風。後に満潮も一時在籍) ・第二七駆逐隊(有明・夕暮・白露・時雨。後に春雨・五月雨が移籍) ・第三〇駆逐隊(睦月・如月・弥生・望月。後に卯月・三日月・皐月が移籍) ・第三一駆逐隊(長波・巻波・高波) ・第六一駆逐隊(秋月・照月) なお、公式ノベライズ「陽炎、抜錨します!」には「横須賀鎮守府所属の第一四駆逐隊」が登場するが、14駆は上記のように本来は呉鎮所属であり、また、史実の14駆は開戦前に解隊された後編成されていない。 |
轟沈 |
読み | ごうちん |
使っている艦娘 | 磯波、羽黒、菊月 |
意味 | 被弾した艦船が短時間(概ね1分半、但し2分、3分、5分説もあり)のうちに沈没することを指し、単に沈没しただけではこの言葉を使用しない。 既にボロボロの状態で進撃しない限り絶対にロストしない仕様の艦これでは、轟沈には当てはまらない。 しかし元々定義が曖昧なこともあり、「華々しく勝利した」「壮絶な最期を遂げた」ことを演出するために轟沈ではない場合もあえて轟沈と表現するケースがよくあり、「軍艦が沈むこと=轟沈」であるという誤解を生んだ。 同じように、「撃沈」という言葉も誤って使われることが多々ある。 「撃沈」とはこちらの攻撃で敵を沈めたという意味で、「敵艦撃沈」とは言っても「味方艦撃沈」とは言わない。 事故や自沈ではなく、戦闘によって沈没したことを表すために「味方が撃沈された」のように受身として使う場合もある。 なお、戦中の映画にそのものズバリ、「轟沈」というタイトルの宣伝映画(インド洋での潜水艦による通商破壊活動を記録したもの)がある。 その映画の主題歌も「轟沈」という名前である。潜水艦乗りの生活をユーモラスに歌った歌で、広く国民に流行した。DAM や JOY SOUNDといった大手のカラオケでも配信されている。 なお、轟沈どころか文字通り大爆発して瞬時に沈む様が「爆沈」と表現されることもあるが、こちらは正式な定義のある用語ではないので念のため。 |
五航戦 |
読み | ごこうせん |
使っている艦娘 | 加賀、翔鶴、瑞鶴 |
意味 | 「翔鶴」「瑞鶴」により構成された「第五航空戦隊」の略称。 昭和16年10月新編され、猛訓練の末真珠湾作戦に間に合ったことから一航戦などからは新兵扱いされていた。 とはいえ、他国に行けばアグレッサーとして通用するほどの技量を有していたとも言われている。それを新兵扱いできる一航戦マジチート。 珊瑚海海戦で米空母「レキシントン」を撃沈するなどの戦果を上げるが、「翔鶴」が大破し「瑞鶴」も艦載機に大被害を出したため、ミッドウェー海戦には参加できなかった。 ミッドウェー海戦後に「翔鶴」「瑞鶴」は第一航空戦隊として再編成され、以降終戦まで五航戦は空席のままだった。 |
さ行 |
至近弾 |
読み | しきんだん |
使っている艦娘 | 日向、雪風 |
意味 | 砲弾や爆弾などが直撃せずすぐそばに着弾すること。直撃弾ではないからといって舐めてはいけない。至近で着水した砲弾や爆弾がさく裂すると、その破片が横殴りに散弾銃の様になって船体に襲い掛かり装甲の薄い艦だと側面装甲を突き抜けたり、甲板にいる機銃員などの乗員に襲いかかったりするのである。 至近弾により発生した火災が命取りになった「鈴谷」や、爆撃の至近弾による破孔からの浸水で着底してしまった「日向」など、状況によっては艦に重大な影響を及ぼすほど危険。「隼鷹」はマリアナ沖海戦で至近弾数発の破片が船体を側面から斜め上に抜けて飛行甲板を突き抜け、甲板が大根おろしの様にザラザラになり着艦不可能になってしまっている。 なお、日本海軍の九一式徹甲弾は、敵艦の手前に落ちた至近弾が、そのまま水面下を進んで敵艦の水面下部に直撃することを狙って開発されたものであった。 |
七面鳥 |
読み | しちめんちょう |
使っている艦娘 | 瑞鶴、大鳳、龍鳳 |
意味 | ここでは未熟な艦載機搭乗員の揶揄。 アメリカにおいては七面鳥は代表的な家禽(家畜として飼われている鳥)であり、野生ではない家禽は容易に撃てることから、簡単に撃ち落とせることを意味するTurkey shoot(七面鳥撃ち)という言葉がアメリカにはある。 マリアナ沖海戦(主な海戦・作戦参照)の頃になると航空機の熟練搭乗員の不足が深刻となり、空母への着艦もできない錬度の低い未熟な搭乗員が多数戦闘への参加を強いられることになる。 これらの艦載機が米艦載機に一方的に、それも七面鳥を撃ち落とすように簡単に撃墜させられるという意味で、「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されることになる。 |
次発装填 |
読み | じはつそうてん |
使っている艦娘 | 神通 |
意味 | 魚雷発射管に予備の魚雷を装填すること。 大型兵器である魚雷(93式酸素魚雷で一発2700kg)を発射管に装填することは悪天候下では困難な作業であり、不確実であった。 だが、日本海軍の初春型駆逐艦以降の艦船は次発装填装置を装備しており素早く予備の魚雷を装填することができた。 次発装填装置を搭載した艦は再装填に所要する時間は3分半前後。在来型では十数分〜数十分かかることもある。 なので、あいつら魚雷撃って逃げやがったもう安心だ、と思ってたら戻ってきて殺られた、なんて例もある(コロンバンガラ沖海戦)。 例えば「陽炎型」などの甲型駆逐艦は四連装発射管2基8門を装備しているが、次発装填装置内に予備魚雷8本を搭載しているので、合計16本の魚雷を持っていることになる。 しかし、あくまで次発装填装置は予備魚雷を有効活用するためのものであり、用兵側にとっては最初から魚雷が発射管に入っておりいつでも使用可能な状態にある事が望ましいとされていた。 このため、高速駆逐艦として船体の大型化が可能だった島風では五連装発射管3基15射線を搭載し、次発装填装置は装備しなかった。 なお潜水艦の場合、2発目は発射管のすぐ後ろに配置されているので素早く装填できる(3発目以降は狭い艦内で動かすので大変な手間がかかるため、1回の戦闘で発射できるのは2発まで)。 |
シフト配置 |
読み | -はいち |
使っている艦娘 | Z1 |
意味 | 船の移動に必要な機関(ボイラーやタービン)の艦内への配備方法の1つ。 初めて近代軍艦に投入したのは1920年代のフランス海軍と言われている(諸説あり)ので少なくともドイツのみの技術ではない。 そもそも艦を動かすにはボイラーで起こした熱を使いタービンで全てのスクリューを回す方法が20世紀初頭より主流であった、しかし2つの大きな部屋を隣接させる必要がありそのどちらかの部屋に浸水した時点で艦の動きがほぼストップしてしまうといった欠点があったのでそこへの防御策というのがどの国の海軍も課題であった。 そこでボイラー室とタービン室を2つずつに分けて艦首方向から交互に配置、1ぺアにつき半分のスクリューを担当させることにより片方のペアがやられてももう片方のペアが生きている限り艦が動きを止めることを防ぐことのできる画期的な配置方法であった。 左右のバランスがやや悪くなるので少しクセのある動きになったりパーツ数が増えるのでコストがかさむといった欠点があったが、ドイツ軍やアメリカ軍はこれを積極的に採用し艦艇の生存率をかなり上げている、日本でこれが採用されるのは雑木林型と呼ばれる最終生産型の松型駆逐艦で1944年に入ってからであったが、もちろん理由はある。 アメリカ軍がなぜシフト配置を採用したのかというと、超ド級戦艦の設計をする段階になって、日英の戦艦に合わせて武装と装甲を強化しようとすると、当時のパナマ運河の通過に支障をきたしたからである(パナマックス)。よく大和型がらみで全幅の件について言われがちだが、人工運河やガトゥーン湖は当然外海よりも浅く喫水も問題であった。この為純粋に装甲で固めるのを諦めて、搦め手で生存性を高めようとしたのである。 一方日本はそんな制限がなかったので、喫水にかかわる水線下でも充分装甲させる事が可能だったし、ある程度喫水を深くとった方が艦も安定するのでそっちの方向に走った。その為防御区画を狭くして装甲の重さを減らすべく集中配置がとられたのである。末期の雑木林は、他で手を抜いても簡単に沈まないようにするためのやはり絡め手であった。 ちなみに現代の艦のほとんどはこのシフト配置であるが、当然原子力艦は例外である。 余談であるが某軍艦の設計が可能なゲームにおいて重要なキーワードの1つでもあり、採用すると耐久性が少し上がるので恩恵を受けている提督も少なくないとか。 |
巡洋戦艦 |
読み | じゅんようせんかん |
使っている艦娘 | 比叡、榛名 |
意味 | 装甲巡洋艦から発展した艦種。 優れた高速性と戦艦と同等の火力を有したが、防御面では戦艦に劣った。 大日本帝国海軍の金剛型(改装後の艦種名は戦艦)はその使い勝手のよさから数多くの戦いに投入された。 英語では「Battle Cruiser」と呼んでいる通り、本来は「戦艦並みの攻撃力を持った巡洋艦」なのであって「巡洋艦並みの速度が出る戦艦」ではない。 しかし、ユトランド沖海戦以降の防御力の強化による速力の低下や、軍縮条約破棄後に登場した新戦艦(高速戦艦)により、次第に巡洋戦艦としての特徴や優位性を失っていった。 余談だが、上記の高速戦艦というのは元々第一次世界大戦頃に提唱されたもので、その区分から言えば「長門型(ポスト・ユトランド世代)」「大和型(条約明け世代)」も高速戦艦となったりする。 ちなみに、金剛型の紹介文などで巡洋戦艦/高速戦艦と書かれていることがあるので2つの艦種を誤解している提督方もおられるだろうが、巡洋戦艦は前述の通り「戦艦並みの攻撃力(砲)を持っている{巡洋艦}」だが、高速戦艦は「従来の戦艦よりも高速を出すことの出来る{戦艦}」の事を指す。 そもそも、戦艦とは戦闘艦の中で最大の攻撃力(砲)を持ち、なおかつその砲に耐えることの出来る装甲を持った艦種のことを指す。この装甲が最大の重量元となり、当時の機関では20ノット位しか出すことが出来ず、使い勝手の悪いものであった、「なら巡洋艦に戦艦並みの砲をもたせ装甲は巡洋艦ほどにすれば30ノット以上出すことができるし最強じゃね?」と作られたのが「巡洋戦艦(戦闘巡洋艦)」である。 後に機関の技術が発達し、戦艦のままでも25ノット以上出すことが出来るようになりそれらの艦が「高速戦艦」と呼ばれるようになった。金剛型は当初巡洋戦艦として竣工し、前述のユトランド沖海戦の教訓を踏まえ防御力強化をした結果、戦艦に艦種変更をし、更に機関を換装し30ノットを超える高速戦艦となったのでどちらでも正しいが、艦これに登場する金剛型は機関換装を終えた状態と思われるので巡洋戦艦は誤りである。 余談だが、巡洋戦艦は艦種として存在するが、高速戦艦はどこの国の艦種にも存在しないので所詮通称である。 |
水上機 |
読み | すいじょうき |
使っている艦娘 | 木曾 |
意味 | 水面に浮いて滑走することで離着水が出来る航空機。なかでも、フロートによって機体を支えるフロート水上機を指す。 映画「紅の豚」に登場するドナルド・カーチス(最後に主人公と一騎打ちした人)が操縦する飛行機がそれである。 九八式水上偵察機(夜偵)のように胴体と着水浮力を稼ぐ部分が同一の形態は"飛行艇(Flying boat)"と呼ばれ、水上機とは区別されることが多い。 空母と違い滑走用の甲板が要らないので、直接着艦するスペースのない、空母以外の船でも哨戒・索敵をするために搭載可能である。 また、滑走路設営能力に劣っていても波の穏やかな湾があれば基地とすることが可能で迅速に戦力を展開できる。 軍縮条約下、仮想敵国である米国に対し空母戦力に劣る日本海軍は、水上機の開発運用に熱心で、各国の水準を超える高性能機を数多く送り出した。 その一方、水上機は離着水に波の穏やかな水面が必要という制限も抱えており、外洋上で着水・回収するには艦隊を円く航行させて航跡で波を打ち消す事が不可欠だった。この時の事故も多いため、日本海軍は再出撃の多い索敵を空母機に任せ、"艦爆と協働して先制で敵空母の甲板を潰す"為の水上爆撃機を待望するようになる。 なお瑞雲は水上機の最高傑作と言ってよいマルチロール機(多用途機)であり、ゲーム中でも航空機に係る殆どすべてをこなすことが出来る立場にある。*28 (丁字不利率低下のような特殊能力は除く) これらの伝統を引き継いだのか、ヘリコプターが幅を利かせている21世紀の現在でも日本は世界的な水上機大国である。 余談だが、旧海軍では潜水艦、巡洋艦、水上機母艦、戦艦などに搭載される航空機を「艦載機」、航空母艦に搭載される航空機を「艦上機」と明確に区別していた。(もちろん旧海軍だけの区別であり、各国の区別には当てはまらない。) |
正規空母 |
読み | せいきくうぼ |
使っている艦娘 | 祥鳳 |
意味 | 時代や国によって用法が非常に曖昧な言葉。 現代では概ね、軽空母との対義語という用法になっていて、艦これ世界でもほぼこれを踏襲し「大型高速の空母」を表す区分になっている。 日本海軍では、正規空母とは「最初から空母として計画/建造された艦」を指し、他艦種から改造された空母との対義語として使われていた。 つまり、艦の大小や能力の多少による分類ではなく、艦の出自・構造によって分類されていたのである。 よって、艦これでは軽空母である「鳳翔」「龍驤」は本来正規空母である。 逆に、艦これで正規空母となっている「赤城」と「加賀」は、戦艦/巡洋戦艦からの改造であるため、海軍では改装空母として類別されていた。これは本来の空母の構造とは異なる部分があるためである。 他にも「祥鳳型」「千歳型」など「他種の軍艦から改装された空母」が「改装空母」であり、「飛鷹型」等のように「軍艦ではない商船などから改装された空母」は「特設空母」というように区別していた。 軍艦と商船では船体の構造が全く違い、建造上でも運用上でも差異が出るからという観点でこのような区別がなされていた。 なお、日本海軍の艦籍には「軽空母」なるものは存在せず、空母黎明期の「若宮」を除き、全通飛行甲板を備えた艦の分類は大小を問わずすべて「航空母艦」であった。 諸外国もほぼ同じであるが、戦艦や巡洋戦艦からの改造は正規空母扱いになったり、「飛鷹型」のように大きければ正規空母扱いになったり(「飛鷹型」は飛龍よりも大型空母)、小型のものは空母として建造されても正規空母でなかったりと、国や時代でグチャグチャである。 ただあくまでも第二次大戦期の日本海軍では上記のような区分であるので間違いのないように。 現代についてはDDHを参照 |
斉射 |
使っている艦娘 | 長門、比叡、霧島、妙高、伊勢改、大和 |
読み | せいしゃ |
意味 | 戦艦主砲を砲塔ごとにバラバラに撃つのではなく、ある目標に全砲塔で向きや仰俯角などを合わせて一斉に発射すること。 着弾観測がしやすいため、その後の照準修正が楽になる。 アメリカなどでは全砲門を一度に発射していたが、1930年代以前の日本海軍では水圧機の問題から片舷ずつ交互に撃っていた(交互射撃)。 最初に斉射の有用性を見出したのはイギリスだが、初めて実戦で斉射を採用したのは日露戦争時の帝国海軍である。 その際に有用性は確かなものと確認され、この戦法を主眼とした革新的な戦艦「ドレッドノート」の開発へと繋がった。
なお旧海軍としては、繰り返しになるが「斉射」とはあくまで複数の砲塔を一斉に射撃することを指し、例えば金剛型では4門の右砲だけを一斉発射しても「斉射」となる。一方で8門全ての砲を一斉発射することを「斉発」と呼んだ。ただし、「斉発」は「斉射」の中の狭い概念にすぎないので、全砲の一斉射撃を「斉射」と呼んでも誤りではない。砲撃用語上は長らく交互射撃を全砲塔で行うことを「一斉打方」、全ての砲を一斉発射することを「斉発打方」としていたが、昭和12年の「艦砲射撃教範」改訂に伴って「一斉打方」は全ての砲を一斉射撃することに意味が変わり、新たに交互射撃を行う「交互打方」が新設された。 |
潜水母艦 |
読み | せんすいぼかん |
使っている艦娘 | 祥鳳、瑞鳳、大鯨 |
意味 | 潜水艦に物資を補給したり、乗員の休息をするための艦艇。旗艦設備も充実し、潜水戦隊旗艦となることもあった。 後々軽空母に改造できるように設計された潜水母艦もあり、「祥鳳」「瑞鳳」がそれに当てはまる。 字面だとややこしいが、要は、「潜水艦のための補給艦」であって、「潜水する母艦」ではないので注意。海外の極一部の艦をのぞき、潜水母艦は水上艦艇である。 なお、似た言葉として潜水空母(艦これでは「伊19改」「伊58改」「伊8改」「伊401」が該当)がある。 ゲームでは潜水空母を「潜母」と略されているが、そもそも帝国海軍に「潜水空母」なる艦種は存在しないので、通常は潜母というと潜水母艦の略である。 なので他所で使うと全く別物の意味になるので注意。 |
戦時急造艦 |
読み | せんじきゅうぞうかん |
使っている艦娘 | 雲龍 |
意味 | 戦時下で大量の艦を確保する為に、建造期間を可能な限り短縮して建造された艦の事。日本では雲龍型空母、改雲龍型空母、松型駆逐艦(未実装)、秋月型駆逐艦などがこれに該当する。 急造艦というと粗製乱造のイメージがついて回るが、雲龍型と秋月型は元々量産を前提に設計された艦では無く、雲龍型では3番艦以降、秋月型では6番艦以降になると量産に対応する為に一部の設計が変更され、工期を短縮する為に簡略化が行われている。無駄を省いて合理性を追求した結果、従来型より抗堪性やダメージコントロールに優れている場合が多い。中にはイギリスのコロッサス級空母のように、2000年代まで使用された艦も存在する。 ちなみに、アメリカの「月刊正規空母」エセックス級や「週間護衛空母」カサブランカ級も戦時急造艦の範疇に含まれる。また、米国の場合は戦艦を含めて最初から可能な限り量産に配慮した設計が行われていた。*29どこが急造品だ |
戦闘配食 |
読み | せんとうはいしょく |
使っている艦娘 | 雲龍改、秋月改 |
意味 | 艦乗組員が戦闘中に食べる食事。この時ばかりは兵卒から艦長まで、同じ食事で済ませて次の戦闘に備える。 具体的には、立ったままでもさっと食べられて、且つ余計な洗い物は出さないよう、一人2,3個のおにぎりが配られる*30。汁物は無し、副食は大抵が沢庵、まれに士気向上の為か牛缶が出たようである*31。 用意するのはもちろん烹炊員(厨房勤務)だが、駆逐艦でも数百個、大型艦なら千を優に超える数を握らなければならない。軍手を塩水に浸して握るのだが、それでも握り終わるころには熱々のコメで手が真っ赤。 その為、熟練した烹炊員の中には2つ合わせた茶碗の中でご飯を転がして、おにぎりを作るものもいたという。 しかも、これを食べる各乗員は殆ど配置を離れられないため、握ると同時に艦内各所のあらゆる所へ食事を届けて回る必要がある。これには烹炊以外も主計科総動員となり、まさに主計の戦争となる。 ミッドウェー海戦の時の霧島では炊き込みご飯のおにぎりが出たとのこと*32、冷蔵肉か大和煮の缶詰かは不明であるが、缶詰の場合は味付けの手間や漬物を省ける利点もあったのだろう。 真珠湾攻撃の時の瑞鶴の食事は、朝食(おにぎり、蒸したベーコン、きんぴらごぼう、味付け昆布、古漬沢庵)、昼食(おにぎり、おでん(牛肉、里芋、大根)、新漬沢庵)、夕食(弁当(内容不明、赤飯か巻寿司か稲荷寿司の可能性が高い)、煮込み(豚肉、馬鈴薯、大根、人参)、梅漬)、夜食(乾パンと、)であった。なお、搭乗員の弁当は出撃時に鉄火巻、卵焼き、煮しめ(大根、人参、松茸)、りんご、紅茶、ビタミン剤、帰投時にビタミン剤、コーヒー牛乳、サイダーであった。*33美味いものが飲めずに戦死したら大変だと往路で飲み物を飲んでしまい、帰路、喉が渇いたままで戻ってきた搭乗員もいたそうだ。 搭乗員の弁当には唾液が出やすいように巻きずしや稲荷寿司がよく供された。稲荷寿司や赤飯の缶詰もあったくらいだ。 さらに多忙になったり、荒天時や烹炊所(厨房)が被弾して使用不能になったときは、乾パンにお茶もしくは水という時もある。軍艦商船問わず、船乗りに乾パンは万国共通である。 搭乗員が弁当を所持しえない時や食事の追加として乾パンに梅、昆布、かつお節、チョコレート、塩、砂糖などが入った箱詰めの機上応急食(今でいうレーションのようなもの)*34を弁当代わりにしたそうである。 修羅場になると、そのへんに味方の手足や内臓が転がっている中で、血と油でどろどろになった手で握り飯を食べるというのも、海軍兵のたしなみの一つだった。(陸軍かつ時代は異なるが映画「二〇三高地」で五目飯と思って食べたものが実は…というシーンがある) |
た行 |
田中少将 |
読み | たなかしょうしょう |
使っている艦娘 | 長波 |
意味 | 開戦前〜ガ島ドラム缶輸送作戦の頃までの第二水雷戦隊司令官・田中頼三(たなからいぞう)少将の事。駆逐艦8隻で重巡4隻含む艦隊を破ったことで米国での評価は非常に高い。その後は駆逐艦による輸送作戦に反対していたため更迭される。 反面、日本ではスラバヤ沖海戦で旗艦神通が真っ先に離脱した件や第三次ソロモン海戦での無謀な強硬揚陸*35、そしてルンガ沖(後述)でも旗艦長波は予備魚雷を残したまま離脱し、そもそも海軍の作戦方針である鼠輸送自体に批判的だったこともあり、最終的に更迭された。少なくとも当時は良い評価はされていない。 現代でも見る人によって評価が驚くほど変わる人物の一人である。評価する人間の立場によって大きく評価が変わるという好例であろう。 |
多聞丸 |
読み | たもんまる |
使っている艦娘 | 飛龍、五十鈴「山口提督」 |
意味 | 二航戦(第二航空戦隊)司令官山口多聞少将の事。山本五十六長官の後任と目されていた名将。ミッドウェー海戦において戦死。 あまりにも苛烈な訓練を部下に課したために事故が頻発し「人殺し多聞」「気違い多聞」などと散々に言われていたが、真珠湾攻撃で彼の二航戦が航続力不足を理由に外されるという案を聞いた時、「置いて行かれては(厳しい訓練に耐えた)部下に顔向け出来ない」として出撃を訴えている。 戦死の報を聞いた多聞より先輩であった角田覚治少将は「彼の下でなら、喜んで一武将として戦ったのに」とその死を惜しんでいる。 (皮肉にも多聞の死後二航戦を率いたのは角田である) アメリカ海軍が山本五十六を暗殺した際(海軍甲事件)、山本五十六の代わりとなる提督は山口多聞だけであるが既に戦死しているので問題はない、と暗殺の許可が下りた。 なお、多聞という名は南北朝時代の名将楠木正成の幼名である多聞丸から取られている*36。 なお、ミッドウェー海戦において、敵空母発見の報告の際に「即時攻撃の要有りと認む」との意見具申を南雲長官に行ったとき、彼の二航戦も即時攻撃できる状態ではなかったことが近年の研究で判明している。 |
第四艦隊事件 |
読み | だいよんかんたいじけん |
使っている艦娘 | 龍驤 |
意味 | 1935年(昭和10年)9月26日、大演習に向かっていた第四艦隊が台風に遭遇。 想定外の大波浪を受け、「初雪」「夕霧」は艦首切断、「睦月」「龍驤」は艦橋圧壊or半壊、他の艦も甲板や船体が歪む(中には切断寸前のものも)など大惨事に。 この事件や前年に起きた水雷艇の転覆事故「友鶴事件」などを機に当時の艦船の強度不足や構造の脆さも浮き彫りとなり、全面的な補強改修が施された。 その甲斐あってか、戦中の日本海軍では波浪による重大な事件は起きていない。一方米海軍では台風などで大損害を出してたりする。 |
超弩級 |
読み | ちょうどきゅう |
使っている艦娘 | 扶桑、伊勢 |
意味 | そもそも超弩級の前に、弩級とは「一夜にしてすべての戦艦を旧式化させた」と言われたイギリスの戦艦「ドレッドノート(Dreadnought)」*37に由来する。12インチ主砲10門(但し片舷指向8門)の主砲火力は既存戦艦の倍、さらに速力も当時の戦艦が18ノット程度のところを21ノットも出せるという革命的存在だった。 それまでの艦隊戦は「近づいて小口径砲で砲座を破壊し、大口径砲でとどめを刺す」という戦法が基本であった。 それに対し「遠距離から多数の大口径砲の斉射で倒す」という戦法を主眼としたドレッドノートはまさに革新的な戦艦で、世界を震撼させたのである。 超弩級は弩級を超えている意を持ち、狭義には13.5インチ主砲10門を実現したオライオン級以降を指していう言葉である。 今では「スゴイ」という意味合いで何にでも付く形容詞になったが、本来の意味からは離れてしまった気がしないでもない。 ちなみに、ドレッドノートの登場を受けて、各国がこれを超える戦艦の建造に熱中したために、ドレッドノート自身は早々に陳腐化してしまい、実戦であげた戦果は潜水艦1隻撃沈(しかも体当たり*38)のみというなんとも言えない落ちが付いている。*39 ドレッドノート以前の戦艦は「前弩級」と呼び、有名なところでは三笠やクニャージ・スヴォーロフ、ロイヤル・サブリンなどがある。 なお、「弩」は「ド」の宛て字であるが、「弩」とは飛距離・貫通力に優れた大弓のことであり、その意味をふまえてこの字を選んだものと思われる。 |
通商破壊 |
読み | つうしょうはかい |
使っている艦娘 | Z1 |
意味 | 敵国の商船の撃沈・航路の封鎖等により海運を妨害し、物資の輸送を滞らせること。これへの防御が「海上護衛」。 近代海軍は通商破壊・海上護衛のいずれかあるいは両方のために存在すると言っても過言ではない。これらは旧日本海軍でも研究されたが国力などの関係から正面戦力の整備が優先された。 海軍弱国であるドイツは通商破壊を特に重視しており、Uボートを使用した大規模な通商破壊戦である「大西洋の戦い」が有名なほか、戦艦ビスマルクをはじめとした水上艦も通商破壊に投入された。 |
てー |
読み | - |
使っている艦娘 | 長門、由良、綾波、雷、川内、香取、呂500 |
意味 | 「撃て」という掛け声。 「うてー」ではなく「てー」という理由は色々あるが、 (1)「う」は戦場(特に海上)では聞き取りづらい (2)普段から「うてー」と言っていると、「撃つな」と言おうとしたのに「う」で発砲してしまう恐れがある (3)「う」の時点では「撃て」なのか「撃つな」なのか「うーん」なのかわからず、次を待たなければならず、撃つタイミングを逃してしまう なお、実際の射撃指示は現場の指揮官が行うものであり、艦長や司令などは「てー」とは言わない。上官の「右砲戦」「左砲戦」の号令指示が末端まで伝わって、現場の指揮官の「てー」で射撃する。 |
敵艦見ゆ |
読み | てきかんみ - |
使っている艦娘 | 敷波、名取、大淀 |
意味 | 文字通り「敵艦を発見した」の意。敵艦を発見した際普遍的に使われるが、特に日露戦争で仮装巡洋艦「信濃丸」から発信された電信を指す。 この通信を受けた「三笠」以下連合艦隊が迎撃のため出港した結果何をもたらしたか、提督諸氏はよくご存じだろう。 日本無線史上最も重要な通信のひとつとして知られている。 |
特型駆逐艦 |
読み | とくがたくちくかん |
使っている艦娘 | 吹雪型、綾波型、暁型 |
意味 | ワシントン条約制限下で設計された、世界中を驚愕させたクラスを超えた駆逐艦、それが特型駆逐艦です! 全24隻(艦これに出ているのは16隻)が造られ初期型の「吹雪型」(特I型・10隻)、特I型を少し大型にして主砲を別の物に変更した「綾波型」(特II型・10隻) そして前2タイプのいいところを残しつつ小型化したのが「暁型」(特III型・4隻)である。 特型駆逐艦を総称して「吹雪型」とも呼ばれることがあるので、一応全員親族ということになるが、その中で最後まで生き残ったのは「潮」「響」の2隻であった。 |
○○殿 |
読み | (人名+)どの |
使っている艦娘 | あきつ丸 |
意味 | 敬称の一つ。 海軍においては名前の後ろに役職をつけて呼ぶ事自体が敬称であるため、相手が目上の場合でも、階級もしくは役職をつけて呼ぶ場合は敬称をつけなかったが、陸軍はたとえひとつでも階級が上なら必ず殿をつけて呼ぶようになっていた。 |
友永隊 |
読み | ともながたい |
使っている艦娘 | 飛龍 |
意味 | ミッドウェー海戦時の南雲機動部隊の攻撃隊を指す。ミッドウェー爆撃と、飛龍による米空母ヨークタウン攻撃のいずれも、指揮官が飛龍艦攻隊長友永丈市大尉だったことからこう呼ばれる。 本来、南雲機動部隊の攻撃隊長は淵田美津雄中佐だったが、淵田中佐は盲腸手術のため友永大尉が代役の隊長となった。 ミッドウェー島を爆撃した友永大尉は、爆撃効果不十分という意味の暗号電文「カワ・カワ・カワ」を発信した。この報告もあり、機動部隊では雷爆装転換作業を始めることになる。 その後、ただ一隻残った飛龍から発進した友永隊はヨークタウンを攻撃、魚雷2本を命中させてこれを大破させた。 ただし、この時隊長である友永丈市大尉本人は、燃料タンクに被弾して半分の燃料しか積めない状態の九七式艦攻でそのまま出撃しており、攻撃後ヨークタウン艦橋付近に激突自爆し未帰還(死後2階級特進中佐)である。 実は友永が飛龍艦攻隊隊長になったのはミッドウェー海戦前であり、真珠湾攻撃から率いていた訳ではない。飛龍艦攻隊を率いていたのは楠美正少佐(友永と入れ替わりに加賀艦攻隊隊長に移動。ミッドウェー海戦で戦死)である。 |
な行 |
南雲機動部隊 |
読み | なぐもきどうぶたい |
使っている艦娘 | 赤城 |
意味 | 南雲忠一司令長官が指揮した第一航空艦隊、及びミッドウェー海戦後に再編成された空母機動部隊である第三艦隊のこと。「赤城」は前者を指している。 第一航空艦隊は、指揮下に一航戦・二航戦・五航戦・第三戦隊・第八戦隊・一水戦などがいた。開戦時の旗艦は「赤城」。 ハワイ真珠湾攻撃を皮切りに、ニューギニア方面の南方作戦やセイロン沖海戦・ミッドウェー海戦などを戦い、ミッドウェーで空母4隻を失い壊滅した。 文字通り世界最強の機動部隊であり、撃墜:被撃墜のキルレシオは10:1以上、セイロン沖海戦では艦爆隊の命中率80%以上を叩き出すなど、向かうところ敵なしの最精鋭部隊だった。 その状態から一転してミッドウェーで大敗したために、「慢心」という言葉が強調される要因になり、南雲提督を批判する声が非常に強かったが、 近年の再検証でこれに対する反証が行われており、南雲提督の再評価も進んでいる。批判と反論はかなり広範囲に渡るので、興味のある方は調べてみると良いだろう。 なお、第一航空艦隊は実は正式な艦隊ではなく臨時編成であった。そのため訓練や部隊内の指揮統制などに支障が出ていたという話が伝わっている。 正式な艦隊となったのはミッドウェー後に第三艦隊として再編成されてからであった。 第三艦隊は南太平洋海戦を戦った後に、司令長官が南雲中将から小沢治三郎中将に交代し、ここに南雲機動部隊の歴史は終わった。 南雲中将はその後サイパン島の戦いで守備隊の玉砕とともに自決した。戦死後大将。 |
西村艦隊 |
読み | にしむらかんたい |
使っている艦娘 | 扶桑、時雨、満潮 |
意味 | 1944年10月、捷一号作戦のレイテ湾突入に基づき編成された西村祥治中将を司令官とした艦隊。正式名称は、第二艦隊第一遊撃部隊第三部隊。つまりあくまでも栗田率いる第一遊撃部隊(第二艦隊基幹)に所属する部隊であり、「西村[艦隊]」というのも通称でしかない。*40 戦艦「山城」を旗艦に「扶桑」重巡洋艦「最上」駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」「時雨」を擁した。 当初は栗田艦隊と同時に突入し、敵戦力の分散を図る作戦であったが、栗田艦隊から到着遅延の連絡より、西村中将は自らの艦隊のみでの夜間突入を判断。スリガオ海峡を北東に抜けてレイテ湾を目指した。 24日22時頃に艦隊はスリガオ海峡付近に侵入したが、米魚雷艇の襲撃と追尾により位置を把握されたまま、未明に海峡南部に侵入。 翌25日3時頃には米駆逐艦隊の雷撃を受け扶桑が沈没するなど艦隊が半壊。4時前に米戦艦隊が砲撃を開始し、頭を抑えられた西村艦隊は「時雨」「最上」を除き撃沈され、撤退を開始。「山城」に乗り込んでいた西村中将はこの時に戦死。 最後尾の「時雨」は無事に退避できたが、「最上」は追撃で大破し操艦不能のまま、後続の志摩艦隊の「那智」と激突。「最上」には志摩艦隊の駆逐艦「曙」が護衛につきコロン湾に避退命令が下されたが夜明けに空襲を受け、最終的に乗員退艦後に「曙」に雷撃処分された。 結果、スリガオ海峡に突入して生還した西村艦隊所属艦は「時雨」ただ1隻のみとなった。
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鼠輸送 |
読み | ねずみゆそう |
使っている艦娘 | 村雨、雷、夕雲 |
意味 | 駆逐艦などの機動性の高い艦艇で(鼠のように夜にコソコソと)前線の島などに物資や人員を輸送すること。 特に序盤の激戦区だったガダルカナル島において行われている。 これは日本軍の輸送艦不足と敵の航空攻撃回避のために行われたやむなしの手段で、これらを含む駆逐艦の多用によって日本軍は多くの駆逐艦をソロモンの攻防で失った。 ちなみに米海軍はこれを「トーキョー・エクスプレス(東京急行)」と呼んでいた。 ちなみに潜水艦を用いた「モグラ輸送」や大発・小発を用いた「アリ輸送」も行われた。 鼠つながりネタだと、海軍には「鼠上陸」というルールがあり、船内の鼠を1匹捕まえると賞品として上陸許可が1回与えられた。 ちなみに、鼠の代わりにゴキブリ「G」を100匹(!)捕まえても上陸許可が1回与えられた。この場合は「油虫上陸」と呼ぶ。そんなに居たんだな…… |
は行 |
排水量 |
読み | はいすいりょう |
使っている艦娘 | 木曾など |
意味 | 軍艦の大きさ・武装の規模などをあらわす単位。 木曾などが「5500トン級」などと言っているのは、この排水トン数のことを言っている。 船の大きさや能力をあらわす場合、タンカーなどの貨物船なら「どれだけ積めるのか」商船なら「どれだけ稼げるのか」が重要で容積トン数で表す。 これは甲板から下の船そのものの容積を計算で出した値である。 軍艦の場合は「どれだけの武装をしているか」が重要であった。 そのために考え出された単位が排水トン数である。排水トンとは、船を水上に浮かべた際に押しのけられる水の重量をトン単位で示した数値で、船全体の重量に等しく、積み荷によって重量の変化がすくない軍艦の大きさを表すのに最も適している。 現在では乗組員・弾薬・燃料・水など、計画上搭載できるもの全てを搭載した状態での満載排水量が使われ、 第二次大戦当時は満載排水量から燃料および水の重量を差し引いた状態の基準排水量が主要国で使用された。*41 |
八十一号作戦 |
読み | はちじゅういちごうさくせん |
使っている艦娘 | 白雪 |
意味 | 時期的には「ケ号作戦」ころ。ラバウル基地を出て、ビスマルク海〜ダンピール海峡を通り、ニューギニア島の都市ラエへ向かう輸送作戦。 その途中で米・豪軍の空襲を受けた。別名ビスマルク海海戦、ダンピールの悲劇。海戦といってもほとんど一方的にボコられただけで失敗に終わってしまった。 しかもその失敗は事前に予測できていたのだが「命令だから」の一言のもと強行することに。「白雪」のページにも詳細。 |
おもな参加艦艇:白雪 朝潮 荒潮 時津風 朝雲 浦波 雪風 敷波 他輸送艦8隻 |
抜錨 |
読み | ばつびょう |
使っている艦娘 | 天龍、愛宕、鳥海など |
意味 | 錨を上げること=出港・出帆・出撃。ちなみに反対語は「投錨(とうびょう)」。 関連ネタとして、海軍・海上自衛隊では「出港」、民間や海上保安庁では「出航」という地味に面倒な言葉の違いがあったりする。 余談だが、海上自衛隊ではほとんどロープだけで係留することが多いため、錨は使わないことが多い。出港時に「錨を上げて」を慣例として演奏していることが多いが錨は使っていないことに注意。 |
ビッグセブン |
読み | - |
使っている艦娘 | 長門 |
意味 | ワシントン海軍軍縮条約によって、日米英の列強が保有が認められた7隻の戦艦の事。いずれの戦艦も、口径16インチ(約40cm)の主砲を搭載しており、当時、世界最強の7大戦艦と呼ばれた。 条約では、完成済みの戦艦は保有が認められ、そうでないものは廃棄される事になっており、会議中に完成艦とされていたのは「長門」とアメリカの「メリーランド」だけであった。 しかし、日本が「陸奥を残せ」とゴネた結果、バランスを取る為にアメリカは廃艦予定だった2隻の建造続行が認められ、イギリスは新たに16インチ砲搭載艦2隻の建造が認められる事となり、戦艦の保有率はかえって日本に不利になってしまう。但しほとんど語られることはないが代わりに戦艦を廃棄しており日本は摂津アメリカはデラウェア級2隻イギリスはサンダラーとキング・ジョージ5世級3隻である。日本はほとんど準ド級アメリカはド級イギリスは超ド級と廃棄戦艦で見れば日本が有利な結果となっている。 この結果を知った山本五十六は「陸奥1隻の為に、米英の戦力を随分と強化してくれたもんだ」と皮肉ったという。 ビッグセブンの内訳は以下の通りである。 *日本:長門型戦艦「長門」、「陸奥」 *アメリカ:コロラド級戦艦「コロラド」、「メリーランド」、「ウェストバージニア」 *イギリス:ネルソン級戦艦「ネルソン」、「ロドニー」 各国のパワーゲームの中で誕生したビッグセブンだが、いざ戦争が始まると戦場の主役は空母機動部隊に奪われてしまい、戦艦としての本分をまっとうできたのは西村艦隊を撃破した「ウェストバージニア」と*42、「Bismarck」と撃ち合った「ロドニー」だけであった。 |
平賀譲/平賀さん |
読み | ひらがゆずる/ひらが - |
使っている艦娘 | 妙高、夕張 |
意味 | 日本の海軍軍人であり貴族(従三位男爵)、そして艦艇設計士の平賀譲(ひらが ゆずる)氏のこと。軽量な艦体に重武装を備える氏の設計は諸外国からも脅威視され、「夕張」や「妙高型」などの功績から「造船の神様」とも呼ばれる。(ワシントン条約やロンドン条約で、巡洋艦の分類や保有隻数が厳しく規定された一因との説もあるほど) 一方で、頑固で反対意見を一切受け付けない性格から「平賀不譲(ひらが ゆずらず)」と皮肉られたり、その設計思想が(当時は)革新的過ぎて関係各処と『色々とあった』。 (所謂典型的な“斬新なアイデアを具現化する”天才。細かい改修とかウンウンな) なお、後任で特型駆逐艦や高雄型重巡洋艦、最上型軽巡洋艦の設計者である藤本喜久雄とは相当な確執があったと言う。 海軍退職後には以前から教鞭をとっていた東京帝大(現在の東京大学)の13代学長に就任。 東京帝大経済学部内で発生していたイデオロギー紛争を13名の辞職者を伴う形で終結させた「平賀粛学」がよく知られる。
平賀氏は蕎麦が好物だったようで、死ぬ間際にも蕎麦が食いたいと夫人に呟いたそうな。ちなみにその時に食ったのは有名老舗蕎麦屋、2013年2月に火事で燃えた「藪」である。(「夕張」が時報で蕎麦蕎麦と言うのはこれが元ネタ) 設計した主な艦娘:「夕張型」「古鷹型」「妙高型」「川内型」「大和型(監修のみ)」 彼に縁がある艦娘:「山城」「比叡」「島風」 参考>“「かんだやぶそば」出火 1880年創業の老舗 都の歴史的建造物(※外部リンク)” |
砲雷撃戦 |
読み | ほうらいげきせん |
使っている艦娘 | 睦月、長良、古鷹、大和など他多数 |
意味 | 艦砲と魚雷で戦うことを意味する架空の用語(ただし艦これ独自の用語ではない。某宇宙戦艦でも使われている。)。 旧海軍において、大砲で戦う場合は「砲戦」、魚雷で戦う場合は「魚雷戦(雷撃戦ではない)」と使い分けるのが正しい用語である 魚雷を使用する場合は「魚雷戦用意」と号令をかけ、操式の違う砲戦の場合は「砲戦用意」とは号令をかけず「右砲戦」「左砲戦」と号令をかけるようになっていた。 ちなみに潜水艦の場合は「襲撃戦」だとか。 魚雷は魚型水雷の略なので「魚雷戦」は「水雷戦」とも呼ばれることもある、そもそも「水雷戦隊」と呼ばれることから「水雷戦」の方が正しいとの説もある。 余談だが、海上自衛隊での同様の号令は「対水上(対空)(対潜)戦闘用意」という号令になっている。 |
ま行 |
右舷・左舷 |
読み | みぎげん(うげん)、ひだりげん(さげん) |
使っている艦娘 | 筑摩「みぎげん」、那智「うげん」、鳥海「ひだりげん」など |
意味 | 艦尾から艦首を見て右側と左側を指す用語。 海軍や自衛隊では戦闘中の聞き間違いを防ぐために「みぎげん」「ひだりげん」と呼んでいるが、民間や陸軍では「うげん」「さげん」と呼んでいた。 そして海軍の文献にはどちらの表記も混在してたりしてややこしい。 これは、海軍で特にルール化されていたわけではなく、現場の慣例的な面が強いために、ぶっちゃけどっちでも良かったからである。 ちなみに、船が港に着いたときは、左舷側を岸壁につける。古代の船には舵はなく、船尾の漕ぎ手のオールを舵のように使っていたが、右ききの人の方が多いため、舵として使うオールは右舷にあった。接岸の際は舵の邪魔にならないように左舷で接岸した。その流れを汲んで旅客機も左側から乗り降りする。 さらにいうと、日本の空母が左舷側に煙突を置かなかったのもこのため。下向き煙突からの排気が岸壁にどさーは大惨事ですな。 因みに英語でも、左舷を港側という意味から「port(ポート)」と呼び、右舷を舵取り板から訛った「starboard(スターボード)」と呼んでいる。なお、英語ではかつては左舷を「larboard(ラーボード)」と言っていたが、スターボードとラーボードが紛らわしいという理由でポートと呼び替えたという、日本と同じような事情がある。 |
や行 |
山本五十六 |
読み | やまもといそろく |
使っている艦娘 | 五十鈴 |
意味 | 新潟県長岡市出身の海軍軍人。連合艦隊司令長官。 旧姓高野。大尉時代に絶家となっていた長岡藩家老の家系である山本家の養嗣子となる。 少尉候補生の時に装甲巡洋艦「日進」に配属され、日本海海戦に参加。左手人差し指と中指を失い、左大腿部に重傷を負う。 早くから航空機の有用性に着目し、航空主兵を推し進める。 幾度かのアメリカ駐在経験で日米の国力差を実感しており対米戦には反対であったが、対米戦不可避の状況になると真珠湾攻撃を計画、これを実行し大戦果を挙げるが、ミッドウェイ海戦で空母四隻を失い、戦局は膠着状態に陥る。 苦戦が続くなか戦争指揮を続けるが、視察に訪れたブーゲンビル島上空で敵機の襲撃に遭い、戦死。 遺体は陸軍の都城歩兵第23連隊が発見し、本土に送られた。 実際には当時山本五十六が飛行機で視察に訪れることが事前にアメリカに知られており、アメリカ海軍は山本搭乗機であることを知った上で襲撃した、暗殺事件である(日本海軍では「海軍甲事件」と呼ばれた)。 なお、五十六という名前は父・貞吉が56歳の時に生まれたことにより名づけられたもの。 |
四航戦 |
読み | よんこうせん |
使っている艦娘 | 日向 |
意味 | 空母艦隊「第四航空戦隊」のこと。太平洋戦争初期は空母「龍驤」や「春日丸(空母『大鷹』、艦これ未実装)」が所属していたが、ミッドウェー海戦後に解隊。その後1944年に航空戦艦「日向(旗艦)」「伊勢」で世界にも類を見ない航空戦艦を軸にした航空戦隊として再編成される。 一時期、航空戦艦2隻に加えて空母「隼鷹」「龍鳳」も所属していたが、互いに作戦行動を共にしたことはない。 捷一号作戦や北号作戦に参加したが、航空戦艦の2隻は実戦で航空機を運用しておらず、太平洋戦争末期には軽巡「大淀」が所属するなど航空戦隊というよりは戦艦戦隊でありアメリカ軍もフィリピン戦線の懸念材料として執拗に追い回し続けた。 捷一号作戦で連合艦隊が壊滅状態に陥った日本海軍はシンガポールに停泊していたこの戦隊に対し、戦略資源を満載し日本本土へ帰還させる「北号作戦(主な海戦・作戦を参照)」を発動した。 司令官の松田千秋少将は標的艦「摂津」航空戦艦へ改造前の「日向」戦艦「大和」などの艦長を務めた歴戦の司令である。 彼が「摂津」艦長時に研鑽した爆撃回避法により、解隊されるまで日向・伊勢は爆撃によって命中弾・至近弾は受けたものの、遂に魚雷を受ける事は無かった。 彼のおかげで「伊勢」「日向」は艦これにおいて高回避・幸運艦として設定されたと言っても過言ではない。 四航戦は北号作戦終了後の45年3月に「日向」「伊勢」を浮き砲台に、「大淀」を練習艦とすることが決定したため解隊された。 なお、この四航戦に配属されるはずだったのが、第六三四航空隊である。 |
ら行 |
連合艦隊 |
読み | れんごうかんたい |
使っている艦娘 | 長門、雪風 |
意味 | 2個以上の艦隊で編成された、日本海軍の主力艦隊。当時の表記は「聯合艦隊」 日清戦争開戦の6日後、主力艦で構成された常備艦隊と、老朽艦などで構成された警備艦隊(西海艦隊と改称)をもって連合艦隊とした。 以後、日露戦争などの戦時や演習の際臨時に編成されていたが、大正12年(1923年)以降常設となった。 海上自衛隊でも同様の編成方式をとり「護衛艦隊」と称され、昭和36年(1961年)から常設された。 艦これ実装艦の跡目ではむらくもが護衛艦隊旗艦に就任している。 しかし、防衛計画の見直しにより2007年度をもって常設の護衛艦隊は廃止された。またなり損ねました……姉様…… なお、聯合艦隊の英訳は、現在はアメリカで使われていた"Combined Fleet"とするのが通例で、艦これの起動画面にも"Combined Fleet Girls Collection"と書かれているが、当時は"General Fleet"(略してGF)と訳していた。これは師匠であるイギリス海軍の戦時編成"Grand Fleet"と同じ略称にするためである。 |
ロクマル |
読み | - |
使っている艦娘 | 日向改 |
意味 | 「修理してもロクマルは載めないぞ」:後世の護衛艦「ひゅうが」搭載の対潜ヘリ「SH-60K」のこと(ただし、日本でロクマルと言うと陸上自衛隊の「UH-60J(ブラックホーク)」、海上自衛隊の「SH-60J」「SH-60K」のすべての機体のことを指す。ついでに世界でロクマルと言うと「UH-60」の派生型{シーホークも含む}すべての機体のことを指す。)。 原型初飛行からすでに30年以上経過している旧式であるが、変態的な魔改造最新技術を応用した近代化により未だ一線級の性能を誇っている。 勿論、姉妹である「いせ」や「22DDH」改め「いずもまる」をはじめ、多くの護衛艦に搭載されている。 航空戦艦「日向」のエレベーターサイズでも収納可能なので、やろうと思えば運用できる……かもしれない。 自衛隊いわく、(対潜は)単縦でも余裕wwwとのこと。 |
わ行 |
ワシントン海軍軍縮条約 |
読み | - かいぐんぐんしゅくじょうやく |
使っている艦娘 | 吹雪、妙高 |
意味 | 1922年に調印された海軍五大国(英米日仏伊)による海軍軍縮条約。 世界的な建艦競争・軍備拡張・莫大な軍事費増大に歯止めをかけるべく、主力艦の装備・保有の制限(と要塞建設の禁止)を施した。 ……のだが、かえってこの条約が制限の緩い巡洋艦・軽空母以下の小型艦艇の建艦競争に発展してしまった。軍縮とはいったい何だったのか…… その反省から1930年に、さらに厳しい条件のロンドン海軍軍縮条約が調印される。 すると今度は「数で劣るなら質で補うしかない」と、小型艦艇に制限ギリギリの無茶な設計を施して……とは言うものの、米国も似たようなことは大体やらかしている。*43 このワシントン海軍軍縮条約の影響を受けた艦娘たちは多い。 例:「赤城」「加賀」「吹雪型」(特型)「妙高型」「龍驤」「長門型」etc |
英字 |
DDH |
読み | でぃーでぃーえいち |
使っている艦娘 | 伊勢改、日向改 |
意味 | 後世のヘリコプター搭載護衛艦の艦種記号。通常の護衛艦よりヘリコプターの運用能力に優れている。 搭載したヘリは主に対潜哨戒・戦闘や輸送・救難にあたる。 余談になるが、いずも型の就役で「空母だろ!!」「護衛艦です!!」などと飛び交っているが、現代における航空母艦の定義とは、赤城・加賀等の黎明期の空母除き、全通甲板を持ち、艦載機(固定翼機・ヘリコプター・垂直離着陸機)を運用(離着艦・整備・格納・管制等)出来る艦船の事を指す。更に大きく分けると正規空母と軽空母に分けられ、 正規空母は固定翼機、つまり自力で甲板を滑走し離着艦が出来る航空機を運用できる空母の事を指す。(それに伴いカタパルトやアレスティング・ワイヤ、必要に応じてアングルドデッキなどを備えている) 軽空母は垂直離着陸機やヘリコプターを運用できる空母の事を指す。(大抵の場合はスキージャンプ台を備えている艦船が多い。) ヘリ空母は軽空母の狭義の一つとされ、ヘリコプターのみを運用する空母の事を指す。しかし、全通甲板を備える艦船は垂直離着陸機の運用や強襲揚陸艦とされることが多いので、純粋なヘリ空母は珍しい。(海上自衛隊のひゅうが型・いずも型の他にはイギリスの「クイーン・エリザベス級」等) したがってひゅうが型・いずも型は世界的に見れば軽空母(ヘリ空母)になる。 しかし、自衛隊としては、全て護衛艦としているので、「空母だろ!!」「護衛艦です!!」のような言い合いは無意味である。 そもそも自衛艦の中の戦闘艦艇全てが護衛艦(DD)と呼ばれているのは、、日本国そのものを他国の脅威から守る(護衛する)、艦隊を他国のミサイル・潜水艦等から守る(護衛する)、と言った味合いから第二次大戦中の駆逐艦の主な役割である、船団・艦隊護衛と言う役割と同じところから来ているので護衛艦としている。よってDDHやDDGのDDが直接に艦種としての駆逐艦を表しているわけでは無いので間違いのないように。 そもそも現代は、航空機と潜水艦の時代ということもあり艦種と言うものが曖昧になっており、大きさではなく用途や任務により分けられている所が多い。 |
Uボート |
読み | うー(独語読み)/ゆー(英語読み)- |
使っている艦娘 | 伊8 |
意味 | 第一次・第二次世界大戦で欧州の海で暴れ回ったドイツの潜水艦の総称。Uボートとはドイツ語で潜水艦を意味する「ウンター・ゼー・ボート(Unterseeboot)」の略語。一般的には「ユーボート」と呼ばれるが、ドイツ語の発音では「ウーボート」と呼ぶ。 ドイツ語以外でUボートと言った場合大抵ドイツの、特に両世界大戦期の潜水艦を指すが、ドイツでは時代や国を問わずあらゆる潜水艦をUボートと呼ぶ。 敵の補給線を破壊する通商破壊戦が主な任務なため、伊号潜水艦と比較すると小型。第二次世界大戦では連合国の商船3000隻以上を海の藻屑に変え、さらには戦艦2隻、空母2隻を撃沈するなどの戦果を上げている。 また、ドイツの高い科学力に裏付けされた新兵器を装備しているため他国の潜水艦と比べて戦闘能力が高いと言える。(例:音響誘導魚雷、電波吸収材など)*44 英国首相ウィンストン・チャーチル曰く「第二次世界大戦で私が真に恐れたのはUボートだけである」。 だが大戦後期には連合国側の対潜戦術・装備の発達によってUボートの被害は大きくなり、1131隻中849隻が撃沈されている。 |
VLS |
読み | ぶいえるえす |
使っている艦娘 | 日向改 |
意味 | 後世のミサイル発射装置。「Vertical Launching System」の頭文字で、日本語では垂直発射装置などと言われる。 ミサイルを垂直方向に立てて並べる形で搭載するため甲板上のスペースを有効活用出来、また発射装置がそのままミサイル弾薬庫を兼ねるので、従来の発射装置よりも圧倒的な連続発射が可能。 「ひゅうが型」護衛艦を始め、「むらさめ型」、米海軍の「アーレイ・バーク級」、仏海軍の「シャルル・ド・ゴール」など、現代の戦闘艦では多くの艦でこの系統の発射装置を装備している。 なおVLSはその殆どが甲板に埋め込まれる形で搭載されるものであり、甲板上で見られるのは発射口の蓋だけ。*45 初期の頃のこんごう型のMk.41 VLSには3セルほど魚雷の次発装填装置に値するミサイル洋上装填用のクレーンが搭載されていたが、結局次発装填装置と同じような末路をたどり廃止され、ミサイル搭載分に充てられた。なお、あたご型では当初から搭載されておらず、はじめからミサイル搭載に充てられている。 |